「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」

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アンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督。MCU最新作、「アベンジャーズ」「エイジ・オブ・ウルトロン」に続く3本目のアベンジャーズ集合作品で、来年の「アベンジャーズ4」(副題はまだ発表されず)でいよいよシーズンフィナーレとなります。
いやーーーーーちょう面白かった!!!!!!
とにかくむったくた面白かったので、MCUはなんか聞いたことあるけどシリーズの作品全然見てない(一部しか見てない)からなーとおもって気が引けている向きには、とりあえず映画館に行って見ていらっしゃいよ、話はそれからだと言いたい。それでハマらなくてもね、たとえばのちのち「スターウォーズの1作目を映画館で見たんだ」みたいな、それを同時代で体験したことそのものが貴重な体験となって語られる類のやつ、インフィニティ・ウォーはそういう部類に入る映画なんじゃないかと思う。同時代でこれを体験した証として一度足を運んでみてください。それで気に入ったらそれぞれの単独作を見てみたりしてください。それに今ハマれば来年のシーズンフィナーレにはこのお祭り騒ぎを一緒に体験できる!飛び込むなら今!
以下、話の展開をがっつり書くのでまだ見ていない人はこの先見るべからずです。いやマジで。読んでから決めよう~とか言ってクリックしたらアカン!アカンで!

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「パシフィック・リム アップライジング」

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スティーヴン・S・デナイト監督。2013年に公開された無印パシフィック・リムの続編です!当初は監督もギレルモ・デル・トロ続投の予定でしたが製作側でちょっとゴタゴタしたりして撮影開始が遅れ、デルトロはプロデューサーに専念という形に。

当初は無印の前日談になるのではとか噂もありましたが、最終的には「裂け目」が閉じたあとの世界、主人公はペントコストの息子、という形で落ち着きました。カイジューの出現が止まり、救われた世界で享楽的に生きる市民たち。環太平洋防衛軍はイェーガーの製造を進め、カイジューの再来に備えるものの、巨大中国企業無人型イェーガーを開発し、そのプレゼンを推し進めている…というのが物語の発端。以下、作中の重要人物についての展開を書いていますので、まだ見てないけどこれから見るよって方はご注意ください。

屈折したペントコストの息子が、かつての森マコを彷彿とさせるような少女と出会い、来るべき危機に備えて立ち上がる…という王道っちゃ王道の展開です。ジェイク・ペントコストと最初にコンビを組むネイトとの間でもう一つ二つなんかあってもよかったのになって感じはあるかなあ。マコとジェイクが普通に家族として厚い信頼関係があるのはよかった。そういえばジェイクがイェーガーをひとりで操縦しようとして2歩でぶっ倒れたみたいな話をするところありますけど、ヤンシー亡き後ひとりでカイジュー倒して帰還したローリーハンパねえな!と改めて思ったり。鼻っ柱の強い女子が抜群のセンスを見せて集団から抜きんでるみたいな展開は個人的にnot for meなのでアマーラとジェイクにそれほど燃え上がらなかった部分はあります。

イェーガーvsイェーガー戦があることと、無人機の展開と、あと白昼での戦闘が続くのでイェーガーのバトルを堪能できたところは楽しかったです。特にイェーガーvsイェーガーは一度は見たいと思う展開!って感じでした。

ただ、最新のイェーガーがたくさんでてきて、どれもかっこいいビジュアルなんだけど、なんだろう、あのどこか「鈍重」とでもいうような人型兵器へのフェティッシュがちょっと感じられなかったのが残念でした。無印パシリムのあのジプシー・デンジャーの登場シーン、あの重量を感じさせるビジュアル、鉄を叩く雨の描写、その兵器が動く、動くぞ!という、それだけで胸を熱くさせたショットに類するようなものが個人的には感じられなかったなあと思います。

あと、パシリムといえば当時まだそんなに普及していなかった4DXとの親和性が異常に高くて、自分がイェーガーの操縦席にいるような感覚を味わえたのがめちゃくちゃ楽しかったし、関東近郊に4DXがなかったので名古屋まで遠征しにきた人がいたりとか、そういう意味では「参加型映画鑑賞」の先鞭をつけたと言っても過言ではないと思うんだけど、それもあのイェーガーの操縦が、2人のパイロットがブレイン・ハンドシェイクを経たうえでないと動かせないという束縛がよりあの4DXの臨場感、同調性を高めた気がするんですよ。今作はそこの部分での(つまりイェーガーを動かせるかどうか)にまったくといっていいほど描写を割いていないので、ただただ軽快なロボットアクション!みたいになってるのがやっぱりちと物足りない気がしました。

ニュートとハーマンの科学者コンビが思いのほかフューチャーされていて、個人的にはニュートのあの展開は大あり派なんだけど、彼のなにがプリカーサーに付け込まれたのか、みたいなところはもっとあってもよかったかも。あと、全然ネタバレを観ていなかったので、最終決戦が東京!っていうのも全然知らなかったんですが(東京というか富士山やね)、ああいうところで出てくる日本に正確性を求めてないのでその描写がどうとかいうのは全然気にならなかったなあ~。

このあと続編とかシリーズの話もあるんでしたっけ、どうだったかな。中国でかなり高い興行収入を叩きだしたっぽいので、まだまだ続くかも。個人的にはニュートの運命が気になりますし、あと!ローリーもいつだって帰ってきてくれていいのよ!

「四月大歌舞伎 夜の部『絵本合邦衢』」

仁左衛門さま一世一代と言われちゃ観に行かないわけにいかないでしょう!ということで遠征予定にむりくりねじ込みました。

分家のボンボンで本家乗っ取りを狙う大学之助、その大学之助に瓜二つで彼の手先となって悪事を働く太平次の二役を仁左衛門さまがつとめられます。文字通り出ずっぱり。そして悪&悪。二役を演じるというと真逆の役柄というのがどっちかというと王道の筋立てのようにも思えますが、そこはさすが大南北といいましょうか、種類の違うタイプの悪を重ねてくる、そしてそれをまさに当代一の名に相応しい役者が演じるというんですから、これが面白くないわけがない。

大学之助と太平次はどっちも悪の限りを尽くすって意味では共通してるんだけど、ぜんぜんタイプが違うんですよね。大学之助は典型的な「人を人とも思わぬ」タイプで、目的達成のために目の前に転がってる石ころを蹴飛ばすみたいな感覚で人を殺す。自分が悪だとも思ってない、むしろ自分の意に沿わないものこそが悪であるとさえ思っていそう。対する太平次は悪を悪として自覚しながら遂行するタイプ。殺すのも盗むのも悪いこと、でもなんでそれをやっちゃいけない?そんなあっけらかんとしたこわさがある。

数々の殺しの場面が出てきますが(だって本当に殺しも殺したりって数だもの)、個人的にこれは…たまらんな(舌なめずり)(やめなさいよ)と思ったのが太平次がうんざりお松を殺す場面。うんざりお松て、また名前もいいじゃないの。時蔵さんの婀娜なおんなっぷりもとてもよかったし、惚れている、がゆえに裏切られたらひどいよ、とお松が匂わせた瞬間に「あーめんどくせ、殺しちまおう」ってなる太平次。その心の動きが手に取るようにわかるのもすごいし、そんなものが見えるような距離でもないのに、殺すことを決意した瞬間太平次の目の奥のひかりがすっ…と消えたようにおもえる、そんな感覚を味わえるのがまたすごい。井戸の水を汲ませて、その縄をそっとお松の首にかけて締め上げて、そのまま井戸に放り込む…いやはや。いやはや。非道といえば非道以外の何物でもない、この場面にこんなにときめくのはなんなんでしょうね。物語の力というか、人間の、深淵を覗き込みたいという心理というか、これを書く作家もすごいし、一部の隙もなく板の上で見せてくれる役者もまたすごい。

あと、倉狩峠の場でのお米と孫七、あのサスペンスの作り方のうまさなー!あ、あ、戻ってくる、戻ってきちゃう、ってどうしても観客は思っちゃうし、実際その悪い予感のその通りになる、悪夢が現実になるのを見るしかないみたいなあの時間!ほんとすさまじい。

太平次も大学之助も、殺した後に敬意がない、人は死ねば仏というが彼らにとっては人は死んだらただのモノ、というところは共通していて、それがますますこのふたりの悪辣さを際立たせているし、仁左衛門さまのふとした表情や仕草がそれを倍掛けで輝かせてる感じでした。扇で顔を隠して舌を出す場面も印象的だけど、それよりも見得をするときのカッと開いた眼、もううしろに「どーん!」て効果音見えるもんね。ああ、芝居を!見ている!って気持ちにさせてもらえる瞬間だよなあ。

一世一代って、まだまだぜんぜんこれからも見たいです~!と思うものの、この演目の出ずっぱりさを考えると仁左衛門さまの決意もわかるような気もしたりして、ファンの心は複雑です。ともあれ、本当にいいものをみさせていただいた!という気持ちになる舞台でした。

「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」

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ジェイク・カスダン監督。エンドクレジットで「カスダン…てローレンス・カスダンとなんか関係あったりして~」とか思って調べたら関係あるどころじゃなかった!ご子息だったよ!マジか!しかも「再会の時」とか「シルバラード」にご本人子役で出てたんだって!なんと!

ジュマンジって確かロビン・ウィリアムズが出てた映画であったよな~なんかテレビで観た気がするな、という程度の認識だったんですけど、奇しくも全米で同日に公開された「グレイテスト・ショーマン」と共にすさまじく息の長い興行収入推移を見せ(3週目で最後のジェダイから首位の座を奪っている)、ソニーピクチャーズ独自制作・配給としてもっとも稼いだ作品になったという話と、最初に見た日本版の予告がノリノリで面白そうだった…というのが公開を楽しみにしていた理由です。あれほんとよかった。カバ!サイ!の中に出てくる突然の上腕二頭筋!笑いました。

いやしかしこれ、これだけの興収を叩きだしたのもよくわかる、ものすごくよくできた作品でした。めちゃくちゃ笑えてわくわく楽しめて、最後の最後まで完ぺきな作り!あまり食指が動かないな~と思っていた方でも実際見たら最高に楽しめること請け合いです。

ボードゲームなんて今時だれもやらないよ、というごもっとも!な設定からテレビゲームになった「ジュマンジ」の世界に吸い込まれてしまった高校生4人。この4人が「仲良しグループ」じゃなくていわゆる「スクールカースト」でぜんぜん違う階層にいる4人だというのがまず設定としてうまいところ。そして今作がもっとも成功している理由が、その4人がゲームの中で自分と全く違うキャラの「アバター」を選択しているという点です。ヲタク少年はもりもり上腕二頭筋欠点なしのスーパー教授(ロック様だよもちろん)に、アメフト部のエースはチビの動物学者に、自撮りとスマホ命のパリピギャルは太った中年のおっさんに、ガリ勉少女はナイスバディの戦う女に、といった具合。

この「外見と中身がちぐはぐ」という設定があることによって、どんな小さなフックもすべてが笑えるゾーンに突入できるんですよね。リスにビビるロック様、泣いちゃダメ、泣いちゃダメ、と自分に言い聞かせるロック様、最高でしかないし、ダダ洩れるフェロモン…ケーキ…あっはっは(思い出し笑い)。でもって自分大好きイケてるあたし大好きのパリピギャルが中身になっているジャック・ブラックの凄さよ…!マジで、ジャック・ブラックがむちゃんこかわいい女の子に見える!いやほんとに!下ネタの見せ方も誘惑レッスンもいやもうヒーヒー笑いながら見ました。

笑えるだけじゃなくて、この外見と中身のアンバランスさがそれぞれのキャラクターに変化を及ぼすのもすごく自然に描かれてるし、全員が全員のライフと勇気を振り絞って目的を達成しようとする物語の構図のうまさったらない!

私はゲームをやらないのでいわゆるゲーム特有の用語みたいなものに全然明るくないんですけど、登場人物の中でゲームに詳しいのはひとりだけなので、他のキャラに説明するという形でちゃんとわかるようになっているのも行き届いてるよなーと。ライフの使い方も、最初の頃のしょうもなさ満点のものからシリアスなもの、ここぞ!という展開のものまでほんと、よくできてる~~~!(そればっか)

地元の映画館では吹替の上映しかなかったので吹替えで見ましたが、これ吹替えわりと正解かも。前述のとおり「外見と中身がちがう」ことによるアンバランスさは字幕よりも伝わりやすい気がします。マジ卍~!とか音で聴いたほうが楽しいもんねやっぱり(笑)。とにかくすごく楽しかったしおススメです。なんかむしゃくしゃするしパーッとした気分になりたいな!って方はぜひ足を運んでみてください!

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

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スティーブン・スピルバーグ監督作品、で主演がメリル・ストリープトム・ハンクス…盤石か!と言いたいところですが、よく言えば盤石、悪く言えばフレッシュさあんまりない…とか思ってたんですけど、いやはやいやはやである。当たり前だけど、うまいもんはうまい!のである。伊達に盤石と言われてるわけじゃないんですよ私たち、という感じである。横綱相撲の感すごいです。参りました。

Based on true storyってやつなんですが、寡聞にして当時のワシントン・ポストの社主が女性であったこと、しかも夫の突然の死によってその地位を引き継いだことを知りませんでした。ベトナム戦争下のアメリカ、「泥沼」が続くベトナム戦争の裏で政府は何を知っていたのか。それを示す当時の国防長官の作らせた膨大なメモが報道機関の手に渡る。まずはニューヨークタイムズ。そしてワシントン・ポストに。

こうした「政府の陰謀暴露」というような主題だとどうしても「真実を証明するための証拠」を入手するまで(この映画でいうと、「ペンタゴン・ペーパーズ」をポストが手に入れるまで)のドラマを描いてしまいそうなところ、この作品のドラマはそこにはなく、その事実を報道するべきかそうでないか、というメディアとしての姿勢と決断を問う作品になっているところがすごい。すごいし、まさに時宜を得た作品だなと思いました。国防に関する情報は最高機密である、そこに否やを差し挟むひとは多分いないでしょう。ただその大前提を拡大解釈して言論を弾圧しようとする政権に、果たしてメディアはNOを突きつけられるのか。新聞と政権はどこか持ちつ持たれつな関係、「親しい友人」たちへのふるまい、株式の公開と銀行の顔色…そういった要素を超えて、やるべきか、やるべきでないか。

メリル・ストリープが主演であの時代のワシントンポストの社主、さぞかしバリバリのウーマンリブ盛り盛りのキャラクターなんだろうなと思っていたら、全然違いました。先入観いくない。彼女は自分の父が有していた新聞社が夫に譲られ、その妻であることに満足し誇りさえもっていた。けれど、夫の自殺という事態になってポストの経営者の座に座ることになる。彼女の葛藤は、ベン・ブラッドリーの妻が語る台詞に集約されています(あそこでベンの妻が「あなたは何も失わない、これによってますます名を上げるだけ」って台詞が入るのほんとにいい)。相応しくないと思われながら、能力がないと思われながらその椅子に座ること、NOということが言えなくなること、決断することによって文字通りすべてを喪うかもしれないこと…。彼女が孫娘の部屋で、夫が亡くなった後の社主を引き受ける挨拶をするために娘が書いてくれたメモを読む場面、めちゃくちゃよかった。誰も読まない細かい約定も、規約も、ベッドの上に書類を持ち込みながら読み込んでいた彼女の必死さ、役員会でも、株式公開の場でも、ドアを開けた向こうには男性しかいない。そういう世界。だからこそ、あの電話のシーンでの、やるのよ、やらなければ、という彼女の答えに胸が熱くなる。

やるか、やらないか、の決断と共に「新聞ができあがるまで」のショットが絶妙に組み込まれてて、めちゃくちゃかっこよかったなー。バグディキアンがリーク元を突き止めるために動いているときの、あの公衆電話のシーンもよかった。シルバーの電話ボックスが鏡面のようになってバグディキアンの表情がぼんやりうつるところとか!

裁判所から出ていくところで、記者はタイムズ陣営に殺到し、キャサリンたちポスト陣営は何もそこでは語らないのだけど、裁判所前に詰めかけた女性たちがだまって彼女を見送る目がすべてをかたっていて、ここも素晴らしいシーンでした。そしてあの評決を聞くシーンね!電話越しに判事意見を読み上げる、「新聞が奉仕すべきは国民であって統治者ではない」。伝えた女性記者の「ありがとう」という小さな声が重なるところ、「小さな反乱に与するのが夢だった」というバグディキアンがブラッドリーに持ってきた紙包みが同様にペンタゴン・ペーパーズを報道する各社の新聞だったことがわかるところ、いやもう胸熱の連打すぎますってば。

キャサリンとベン・ブラッドリーが輪転機の間を抜けながら(あそこで龍のようにのぼっていく新聞の遠景のショットめちゃくちゃかっこよくない!?)語っているシーンでラストかな、と思いきや、ニクソンのポストへの圧力(これ例の録音テープの中にあるんですかね?)を語る音声と、続いて映るウォーターゲートビル…うぉー!てなりましたね。なりましたし、あっ大統領の陰謀見たい…て思いました。そういえばポストの編集部で、机の間を抜ける記者を平行して机越しにとらえるショットが「大統領の陰謀」にもあったよなーと思ってたんでした。監督なりのオマージュだったのかも、なーんて。
最後に、私の大好きなドラマ「ザ・ホワイトハウス」で(そういえばジョシュ役のブラッドリー・ウィットフォードが本作にも出てますね)首席補佐官であるレオ・マクギャリーが語ったベトナム戦争についての台詞を引用します。

私は戦争に行きました。・・・二度と行きたくない。もし時間を遡ることが出来るなら、1964年8月4日の閣議室に行きたいんです。アメリカの船がトンキン湾北ベトナムの攻撃を受けたあの時です。大統領に私はこう言いたい。考え直せと。あなたは取り返しのつかない間違いを犯し、とてつもない数の兵士を地獄の泥沼に送り込もうとしている。道徳観のないリーダーが率いる、信念のない兵士を、明確な使命もなく、終わりのない戦いに。

「中村勘九郎 中村七之助 春暁特別公演」

勘九郎さんが4月から大河ドラマの撮影に入られるので舞台はしばらくお休みされるわけですが、その前にご兄弟での春暁特別公演で全国回ってくださるという。岡山公演にお邪魔しました。
芸談では1年ふり返りトークと質問コーナーがあったのですが、面白かったのが「アメリカのおすすめスポットを教えてください!」というご質問。勘九郎さんが思わず「ざっくりすぎる!」と返していましたが、質問者さんの意図としては「近々にアメリカに旅行に行く」「アリゾナの別荘もあり何度も訪米しているおふたりは詳しいに違いない」「おススメ教えて!」という流れだった(あとでちゃんとご説明なさった)ようです。どこに行くんですか?との勘九郎さんの問いに「ニューヨークとロサンゼルス」。わお横断なの豪儀だな(という私の心の声)。西海岸のおススメは七之助さんが「本場ディズニーワールド」。驚いたのが「ショーもいいですよ」って発言に質問者さん「ショーのおすすめも…」って更問したんだけど、それにぱぱっといくつかショーのタイトル答えてたこと!ほんとに好きなんだね…!わしゃショーのタイトルなんかひとつも言えんよ(その前に行ったことねーだろーが)。

そしてニューヨークのおすすめで勘九郎さんが挙げたのが先日ご自身でご覧になったという「SLEEP NO MORE」。廃業したホテル地下2階地上6階約100室を舞台に繰り広げられる体験型プレイ。タイトルから明らかなとおり「マクベス」を下敷きにしているようで(最初そのものずばりのタイトルを言うのをためらわれていた様子だったけど、その後バーナムの森とかいろいろ言っちゃってたのであまり意味はなかった)最初のバーでの呼び出しから始まって非常に熱弁を奮っておられたし、また魅力の伝え方がうまい!観客は積極的に関与するも傍観者を決め込むもいずれのスタイルもアリっぽいのですが、勘九郎さん曰く「積極的にぐいぐい乗っかってった方が面白い」そうです。しかも勘九郎さんはラッキーなことにクライマックスで吊るされた役者を助け起こしたら、その彼ががばと抱きついてきて耳元でかの有名なマクベスの台詞「tomorrow ,and tomorrow ,and tomorrow」を言ってくれたらしく「もう耳から鳥肌!」と大興奮だったそうです。「ラッキーだったなー」と何度も仰ってました。実際にその演目も面白そうだし勘九郎さんの熱い語りも聴けたしでなかなかない機会だったなーと。

そうそう、おふたりが「中村屋と岡山は縁の深い…」って話されてて一瞬「?」となったけど、そうか桃太郎だ!そうだそうだすまんすまん!と思いました。駅前にもあるものね桃太郎の銅像(あるんですよ)。

小三郎さんたちによる「鶴亀」、勘九郎さん「浦島」七之助さん「枕獅子」と舞踊演目が3つ。枕獅子面白いですね!芸談でも七之助さんが「いろんな踊りが組み込まれてる」と仰ってましたが、ほんと見応えありました。最後顔を直さず毛ぶりになるのも不思議な感じだったなー。勘九郎さんの「浦島」、いやーニコニコ笑いながら見てた。なんつーか、ほんとわたしこの人の踊りが好きなんやな…と20分強の時間でもしみじみ思うね。釣り竿を使った振りがあまりにも(パントマイム的な意味で)真に迫っていてどよめきが起きたのが面白かったです。ぱっと開けたらおじいさん、なんだけどその爺ぶりがまた達者であった…そういえば決闘!高田馬場でも妙にうまかったな爺さんの役が…。

残念ながらスペインには行けませんのでしばらく勘九郎さんの舞台もおあずけ、ですが、この年になると知っている、まだまだ先だなとか思っていても月日、わりとあっという間。次の逢瀬までにいろいろ貯めておきたいです。お金とか。あと…お金とか(無理だろ)。

「江戸は燃えているか」

TOKIOの松岡くんと獅童さんを迎え、新橋演舞場に三谷さんが初登場。物語は三谷さんが大大大好きな勝海舟の、これまた大大大好きな江戸城無血開城のエピソードをメインにして、勝海舟邸での西郷を迎えてのドタバタを描いています。

三谷さんのいいところとわるいところがきっちりでたなーというのが最初の感想かな~。なにしろ、題材は三谷さんにも思い入れのある歴史的事実で、そこの裏を自在に描くというのだから人物配置などのうまさはお手の物だし、そもそもひとつの「誤解」をどんどんふくらませて転がしていく喜劇は三谷さん自家薬籠中のものというところですよね。冷静に考えれば「いやそんなことないでしょ」と思うようなすれ違いも、微妙に「ありえる」線で成立させていくところはさすがです。前半と後半で「だます」相手が反転するのもよい構成。

わるいところ、というのはまず演出面で花道を具体的な「外へ続く通路」としてしまったこと。あれじゃただのセットの一部だし、実際あの邸宅から出ない登場人物は花道を使わないわけで、あの構造の持つ魅力を半分も活かせてないと思うんですよね。これじゃ新橋演舞場でやる意味ないのでは…と思ってしまいます。

もうひとつは、どれだけすれ違いのドタバタで爆笑していても、見ている方には笑いながら少しずつある種の鬱憤がたまっているわけで、それは「はやく真実に気がついてくれ、だれか!」というものなんですよね。だからこそ、いよいよ西郷がその真の顔を見せ、それと渡り合えるのは本物の安房守だけ…!となったその瞬間は最高のカタルシスを味わえる場面であるわけです。だからもう、勝と西郷が真に顔を合わせたその瞬間からは一気に畳みかけてほしい。あそこで勝の妻の空気の読めないひとことはまったくもって芝居の醍醐味を削ぎます。これは三谷さんの悪い癖が出たなあという印象でした。

聖子さん、さすがの緩急で場を作るのも笑いをさらうのもめちゃくちゃ自然。大きい劇場での場数を感じる。田中圭さんはこの手の三谷さんの舞台でもっともしどころのある役(前半後半のいずれも「状況を承知」した役でありつつ、ことの首謀者ではない)をイキイキと演じてらしてとてもよかったです。ただの巻き込まれ型というよりは、彼なりの意思と過去を底に感じさせるキャラクターを見事に立ち上げてらしたな~と思いました。松岡茉優さん、わたしホントに大好きなんですけど、しかし舞台で見るとなんというか…もう一声つーか、所作に若干の不満が残る。ちょっとバタバタしすぎというか…着物を着ているひとの動きではないんですよね。そういうところ大事だと思うヨー。獅童さんはいわば自分のホームグラウンドで、今までにも縁のあった三谷脚本で、時代劇で、とこれで俺が輝かなかったらウソだ!とでもいうような輝きぶりでした。楽しそうだったよ。よかった、よかったよ。

最後の展開はえっ?あっそうくる?と思ったし今までの空気とのバランスが~とも思ったんだけど、ただなんつーか、ああいう展開自体はそれほどきらいじゃないんですよね。ただもうちょっと見せ方がな~!という気はする。そしてあの展開に持っていくならそのタネをできれば笑いにまぶした形で蒔いておいてもらえるとよりゾっとできてよいのにな、という気はしました。

全然関係ないんですけど、セットの雰囲気がねえ、彦馬がゆくになんか似てるような気もしてしまって、懐かしさにちょっと浸ってしまいましたよ!