あなたの声がつれてくる


石塚運昇さんが亡くなられた。
きっと石塚さんの声に触れたことのある人の数だけ、その思い出があるとおもう。私にとってもそうだ。私がもっとも愛するドラマ「ザ・ホワイトハウス(原題:THE WEST WING)」で、石塚さんは次席補佐官のジョシュ・ライマンの声をあてていらした。私はこのドラマを本当に何度も繰り返し見ていて、中でもいちばん好きなキャラクターがジョシュで、石塚さん独特の、深みのある、でもどこか軽妙洒脱な声がほんとうにジョシュのキャラクターとぴったり合っていて、演じているブラッドリー・ウィットフォード自身の声よりも、石塚さんの声の方が深く深く刻まれてしまっている。

ザ・ホワイトハウスのシーズン1第5話に「妙な陳情」というエピソードがある。オフィス開放政策の一環として上級スタッフがホワイトハウスにやってくる陳情者の対応をするストーリーラインと、次席補佐官のジョシュが「核攻撃を受けた際の緊急避難所」に入るためのパスをもらうストーリーラインが平行して描かれる。ジョシュはふだん口の減らない男だが、有事の際のパスが自分にしか渡されなかったことに戸惑わないではいられない。そしてかれのその戸惑いは、幼い頃火事で実の姉を亡くしていること、そのときに自分だけが逃げおおせたことから来ていることが次第にわかる。

西棟の自分のオフィスで、ジョシュがシューベルトアヴェ・マリアを聴きながらCJと話すシーンを、何度見たかわからない。アヴェ・マリアの美しい旋律を「まるで…奇跡だよ」と語る場面、「シューベルトはまともじゃない」「まともじゃないからすごいものが作れる」…話を聞くCJはジョシュの戸惑いを汲んで、部屋を去り際に一言こういう。「あなたってやさしいところがあるのね」。結局、ジョシュはそのパスを持っていることができない。これを持っているとみんなの目を見ることができない、悲劇のときには友人のそばにいたい、とジョシュは言う。

このドラマがNHKで放送されていた当時、放送枠がERの後釜だったため、毎回惰性でなんとなく見ていた私は、このエピソードを境に一気にこのドラマにのめり込んだ。ストーリーの面白さ、アーロン・ソーキンの手による圧倒的な台詞術、魅力的なキャラクター。そしてその真ん中にいつも、石塚さんの声を纏ったジョシュ・ライマンがいたのだった。

「妙な陳情」のラストシーンは、バートレット大統領がスタッフにむけて語る場面だが、バラバラのようにみえたそれぞれのストーリーラインがこのスピーチできれいにひとつにつながっていく。「…天然痘がついに撲滅された時、それは人類史上最高の快挙のひとつと讃えられた。もう一度できるだろう。その当時のひとびとがしたように天を仰ぎ、手を精一杯伸ばして、神の顔に触れよう。」

このエピソードだけでなく、このドラマで描かれたさまざまなシーンを、折に触れ思い出す。ことに、何か困難なことにぶち当たった時に、自分の指針を見失いそうなときに、この台詞を思い出す。弱さを抱えても、目の前のことに立ち向かい続けるジョシュのことも。

声を吹き込む、というのは、命を与えるのとほとんど同義なんじゃないかと思うことがある。それほどまでに、声が語ることは大きい。何百というキャラクターに、文字通り命を吹き込んで、わたしたちに手触りのある実体として届けてくれた声優のおひとりであったとおもう。哀しく、残念でならないが、同時にただひたすらに感謝の思いがこみあげる。これまでに石塚さんから受け取ったものをが、この先もずっと、わたしにいろんなものを連れてきてくれるだろう。ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「カメラを止めるな!」

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噂が噂を呼び当初たった2館のみの公開だったこの映画が今やアスミックエース配給の元全国拡大上映!ありがたい!ありがとう!ということでいそいそと見に行ってきました。いやーーーーおもしろかった!!!!!これはぜひ!!!たくさんのひとに見てほしい!!!!ということで以下映画の展開を含む感想ですが、
おっとまだ見てない人はここまでだ。
SNSでも皆口をそろえて言っているようにぜひ何も知らない状態で観に行っていただきたい。とはいえ、この映画、ネタバレして面白さがなくなるわけでは全然ないです(むしろもう1回見たいと思う人が多いのではないかと思う)。それにここまで評判が先に耳に入ってしまったらもうそれはすでに「何も知らないまっさらな状態」ではないのでは?いわゆるエモばれというやつをもうしてしまっているのでは?確かに!いやでもこの映画はそのエモバレを絶妙にフラットにしてくる構造なんですよ、つまり…
おっとまだ見てない人はここまでだ!以下畳みます!

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「八月納涼歌舞伎 第二部」

3年目になりました弥次さん喜多さん東海道中膝栗毛!今回の副題は「再伊勢参!?YJKT(またいくの こりないめんめん)」歌舞伎の副題自由だなおい。

今回は喜多さんの葬儀の場面からスタートで、なんでも高麗屋三代襲名興行に松竹座まで手伝いに出かけて女殺油地獄の油につるっと滑って打ちどころが悪くあの世行き、ってうんうん弥次さんも喜多さんもその演目出てましたよねと虚実綯交ぜになりますな。喜多さんを喪ってひたすら嘆く弥次さんに、喜多さんの思い出の縁にもういちどお伊勢参りをしてはどうかと勧める面々、喜多さんは喜多さんで成仏せずにまだ現世をうろうろしているさなか、このままいけば地獄行きのところ、大事に思う相手に「ありがとう」と感謝の言葉をもらえれば極楽への道が開ける…というご先祖さまからの言葉に従い、弥次さんのあとをふらふらついていく、という筋書き。

葬儀の場面で中車さんと七之助さんと獅童さんがこれでもか!と早替わりで弔問客として現れたり(この一瞬だけお染久松で出たりするので、贅沢の極み)、この伊勢参りへの道中で1年目の舞台となった宿屋に投宿したりするんですが、なかでも花魁道中に遭遇して完全に「籠釣瓶」のパロディになるところがすごい。なにがすごいって、猿之助さんですからね、八ツ橋ポジションの花魁(赤尾太夫)を演じるの。これはほんとうにめったに見られない。

いやこれ、怒られるかもしれないんだけどさ、赤尾太夫に入れ込んじゃう弥次さんだったり、喜多さんと「一緒に地獄に行く」と嘆く弥次さんだったりを見てて思ったんだけど、この劇中で弥次さんが考えているのは赤尾太夫のことか喜多さんのことしかないわけよ。そしてそのどっちもやってるのは猿之助さんなのよ。この感覚どこかで…はっ!これは、夢女子のそれ!とか思っちゃって本当申し訳なかった。実力と筆力のありすぎるひとが書いた壁サー新刊要素がすごいなって(お前の歪んだ心もすごいよ)。猿之助さん幸四郎さんのこと大好きすぎだろ!ってなったし、最後もさ、こういう死者を追いかけて地獄へ…っていうオルフェウス的展開だと、片方が現世にとどまるか、または双方が現世に帰還したりするのが常だけど、まさかのふたりして黄泉の国への道行きっていうね!すごい…天使ふたり(團子くんと染五郎くん)と一緒に高く舞い上がる猿之助さんと幸四郎さんをみてもう手を合わせるしかなかった(尊い…的な意味とごちそうさま…的な意味で)。

籠釣瓶のパロディだけでなく、地獄では女歌舞鬼に赤青黄鬼、大中小鬼らの踊りががっつり見られたりして、若手を見せる舞台を用意するところも猿之助さんらしさだな~と思いましたし、何より3年前と比べて團子くん染五郎くんのコンビがぐぐぐっと大人になっていて、芝居を転がす役割を担っていたのも、たった3年とはいえ歳月…!ってなっちゃうところでした。

「雨乞其角」。弥次喜多もそうでしたが、これも今をときめく若手が揃って総踊りという、青田買いが好きな人にはたまらんぜ…という演目。このひとの踊りうまいなとか、自分の好みだな…というのもピンで見るよりもわかりやすいところがあるかも。二部はそういう意味ではこれからのご贔屓を見つけるよい機会かもしれません。

「八月納涼歌舞伎 第一部」

コンパクトにまとまった見やすい作品が三つ並ぶので、今月いちばんおススメしやすいのは第一部かもしれない。
「花魁草」。安政地震で江戸から命からがら逃げた男女が偶然出会って…という筋立てで、芸者のお蝶を扇雀さん、大部屋役者の幸太郎を獅童さんが。獅童さん、第三部の三五郎もいいけど、個人的にはこういう役のほうが似合う感じがするのがおもしろい。滲み出るいいひとオーラ。ふたりを助ける百姓夫婦が幸四郎さんと梅枝さんという、えっ!ちょっ、どういう!?と目を疑うような配役。にしても梅枝さんなにやっても達者だわ。幸四郎さんは嬉々として演じてらっしゃって見てるこっちも楽しかった。さらっと出て江戸の香りを匂い立たせる萬次郎さんよかったなー。

「龍虎」。幸四郎染五郎親子での舞踊でございます。私個人の嗜好として「きれい」とか「うつくしい」よりも圧倒的に「かっこいい」に高い配点がつく人生をおくってきたので、幸四郎さんのキレのある踊りに大満足。はーかっこいいわね。引き抜きとかの趣向もふんだんにあって、短いけれどツボをおさえた演目だなーと思いました。

「心中月夜星野屋」。落語の噺を元ネタにした新作歌舞伎です。七之助さん、獅童さん、中車さんという顔ぶれ。登場人物が少なく、またお三方ともに抜きんでたコメディセンスのある方なので、非常に楽しく見られました。お話としては、おんなのまごころを試すために芝居を打つ…というところがタネ明かしになるんだけども、試した方もそれなりの痛い目にあったほうが溜飲が下がるよねと思う私。あと、最初に心中の約束をおたかがしちゃうところ、旦那が芝居好きなのでついつい調子を合わせた、っていう設定がもっと活きると面白いのになと思った。全然違うこと思ってても名セリフがくると咄嗟に合わせちゃってまたにっちもさっちもいかなくなるみたいなのもあってよかったかも。獅童さんの女方なかなか拝見する機会ないけど、お熊さんよかったな~。笑いのセンスがあるのは言うまでもないんだけど、ちゃんと品のある(そしてちょうしたたか)な母親でしたね。この落語→歌舞伎シリーズ、今後も続いていくのかな。本家の落語のほうもちょっと見てみたくなりました。

「八月納涼歌舞伎 第三部」

「盟三五大切」。幸四郎さんの源五兵衛、七之助さんの小万、獅童さんの三五郎という顔ぶれ。七之助さんも獅童さんも初役というフレッシュな布陣!ついこの間、仁左衛門さまの源五兵衛でなんかもう、究極の芸!みたいなやつを見てしまったあとなので、いろいろ較べてみてしまう心理はありつつも、基本的に好きな芝居なので楽しく見られました。

南北が「東海道四谷怪談」を書いた直後にものしたというこの盟三五大切。何が好きって、この南北独特のフェティッシュさというか、どエロさ、エロいんだけどそこに切なさが滲むみたいなシーンが大好きなんですよね。東海道四谷怪談でいったらあの有名な髪梳き、鉄漿を塗って一心に髪を梳く、毒薬によって顔が醜く変貌してしまった女…っていうあの場面にトドメをさすし、盟三五大切なら小万殺しの凄惨さと、その小万の首を抱いて帰る(しかも帯にくるんで!)源五兵衛、そしてその小万の首と差し向かいで茶漬けを食うっていう…大南北せんせい、あんたやっぱり天才や!ってなるじゃないですか。

今回は五人切の場面でかなり直截的なギミックを使っていて、私が見たのが初日開けて間もなくということもあったかもしれないんですけど、ちょっとまだ段取りが勝ってるという感じがしたのが残念でした。丸窓障子に浮かび上がる影、ぬっと差しだされる白い脚…というだけでも絵力満点なシーンだし、あまり過度な見せ方をしなくても、半分狂気の世界に足を踏み入れたような源五兵衛の佇まいだけでじゅうぶん見せきるシーンなんじゃないかなーという気がします。あと照明の変化がちょっとカクカクしいのも気になったな。これもだんだんこなれてくる部分だろうとは思いつつ。

小万殺しは幸四郎さん、七之助さんともに良かった、見入りました。七之助さんの小万、悲劇の女というよりは、最後のほんとうに抜き差しならないところにくるまで自分に身に差し掛かった影に気がついていない、というような陽性な部分があり、だからこそ幸四郎さん演じる源五兵衛の、色がまったくそこだけ落ちたような、カラーで描かれた絵画が彼が動いた分だけ白黒に変わっていくような、そういうダークさといい相性だったと思います。欲を言えばあの首を持ち帰るシーンはもっともっとたっぷりやってもらいたかった!ちょっとあっさりしすぎていたような気がして残念。まあ私があのシーンを特大に好きというのもあるんですが!

愛染院での小万の首を前に茶漬けを食う場面、あそこ生首演出ない方が好きだな~。お茶をぶっかけるほうが私の嗜好にドンズバです(知らんがな)。殺しの場面をはじめとするフェティッシュさと同時に、100両という金が動くたびにひとが死んでいく(しかも、騙した方も騙された方も実は同じ一つのものを表裏から見ていただけ)っていうシニカルな筋書もこの物語の面白いところで、当時あれだけ世間を熱狂させたであろう赤穂義士の討ち入りというやつをここまで冷徹に書いちゃうっていうのもホント…大南北せんせい、あんたやっぱり天才や!

「大人のけんかが終わるまで」

キャストが魅力的なので気になってチケット取りました。脚本はヤスミナ・レザ。日本版上演台本を岩松了さんが手がけています。

不倫関係にあるアンドレアとボリス、デートで選んだレストランがボリスの妻の推薦だと知って揉めだすふたり。埒の明かなさに食事をやめて帰ろうとするも、偶然通りがかった老女と接触事故を起こしてしまう。ところがその老女はボリスの妻の親友の義母で、彼らはこのレストランに義母の誕生日を祝って食事をしにきたのだった。

ヤスミナ・レザの作品、「ART」も「大人はかく戦えり」も拝見しているんですけど、今回がいちばん難物というか…難産というか…いやー翻訳ものの難しさをひさびさに感じたな。これだけ魅力的なキャストが揃ってもなかなかに御しがたいという印象が残った。それぞれの登場人物がそれぞれの事情を得手勝手にぶつけあって、その混沌のキワを味わうみたいなの結構好きな方なんですけど、混沌…までに至ってないというか。どこか舞台と自分の間に一枚紙が挟まったような感覚がずっとあり、それが終盤までなくならず。うーむ。

個人的に麻実れいさまには今回のような役よりもずばっと王道で芯をとる役を見たい気持ちがありますな。というか、イヴォンヌがどう見てもこの中でいちばん強い。鈴木京香さんも板谷由夏さんも藤井隆さんも皆健闘されてたけど、今回の中ではやっぱり圧倒的に北村有起哉さんに一日の長があったという感じだ。しみじみ、うまい。ゆっきの演じるボリスだけが見えているキャラクターと台詞から見える人物像にブレを感じさせなかったです。さすが!

「インクレディブル・ファミリー」

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監督・脚本ブラッド・バード。全米ですさまじい興行収入叩き出しております(アニメーション映画史上歴代1位)。予告編がとっても面白そうだったので見に行ったのですが、不届き者のわたしは実は前作未見という…いやでも大丈夫だよね!たぶん!きっと!

という感じで見切りで見てきたんですけど、ちょうど帰宅後に地上波で1作目の「Mrインクレディブル」を放送してて、ラストシーンで「うわっ!えっ!マジのマジで続きやん!」とびっくりしました。文字通り1作目のラストシーンが2作目のファーストシーンっていう。そうなるとやっぱ1作目見てからの方が良かったかなって気もするけど、とはいえ今作自体の面白さが減じるってわけではもちろんないです。

悪党を追っての大乱戦を起こしその破壊行為ぶりに市民の非難が集中、家を追い出されモーテル暮らしを余儀なくされる…ってこのスーパーヒーローをめぐる事情の世知辛さというか、現実味というか。その一家に声をかけてきたのが、スーパーヒーロー復活を夢見る大企業の御曹司…という筋書き。

怪力を武器にしているパパよりもスマートなパワーをコマーシャルしやすいママの方にお声がかかり、ママが働きに出ている間3人の子どもの世話をパパが!という展開になるわけですが、ジャック=ジャックに振り回されるパパについつい家の様子が気になってしまうママ、キャッチコピーのとおり「家事!育児!世界の危機!」を並列でぐいぐい見せちゃう面白さがありつつも、あのイラスティガールの活躍をテレビで見て、こう…なんともいえない表情をするパパとかね、あああ~~~~そうだよね~~~~とか思っちゃう(そしてそれは私にとって「働く」というアイデンティティが大きいからこその見方なんだろうなと思う)。

なんとなく物語の大きな展開は見えているので、なるほどこういう展開…!という「ワンダー」の部分は薄かったのですが、スクリーンスレイバーの主張であるところの「スーパーヒーローという大きな手」はほんとうに人間をスポイルするのか、という投げかけが興味深かっただけに、これに対するスーパーヒーロー側からの回答というか、姿勢の提示というか、そういうものがあってもよかったかな~という気はしました。

フロゾンかっこよかったねフロゾンだいすき。あとリモコン大好きダッシュくんにわかる…ボタンあったら押したくなるよな…と妙なところで共感してしまうという。

そういえば光が点滅するシーンがあるので…っていう話だったけど、見終わってから「あれ?そういえばどのシーンのこと?」ってなったぐらいなのでそんなに気にしなくてもいいかも…明度を下げているらしいし…まあ私が単にそういうのに鈍感ってだけな気もしますが!吹き替えで見たので、両隣をお子ちゃまに挟まれつつの鑑賞だったわけですが、皆しんけんに見ていてちょうマナーよかった。ギャグひとつでもあっこういうのやっぱウケるんやな!とかそういう発見もあったし(ヴァイオレットが鼻から水噴き出すシーンの爆発力すごかった)ドキドキワクワクの臨場感に溢れた楽しい時間でした!