「當る亥歳 吉例顔見世興行 昼の部」

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新開場した南座です!いろいろ綺麗になってたけど基本的に雰囲気は変わらない感じでした。今回はちょっと時間がなくてあまり探検できなかったんですけど、次回は売店とかももうちょっと覗きたいな。そうそうトイレは各階にあるんですが、地下1階の女性専用トイレがたぶん一番回転早いのではないかと(トイレ情報だいじ)。

「毛抜」。三度目くらいでしょうか拝見するの。好きな演目で、粂寺弾正をやる役者さんの大らかさがふんだんに感じられれば感じられるほど楽しく観られる気がします。煙草盆を持ってきた秀太郎を口説いたり(壱太郎くんなんて適役なの)腰元を口説いちゃったり、毛抜は踊るのに煙管は踊らぬ、ハテ合点のゆかぬ…と考えこんだり、どちらかといえばほんわかした場の空気が終盤一変するのも面白い。名推理もので、しかもなんとなく侮ってたおじさんがちょう強くてかしこいっていうパターン、洋の東西、古今を問わずみんな大好きなんだな!っていうね!

「連獅子」。幸四郎さんと染五郎さんでの連獅子ということで客席の期待も最高潮。つい先ごろ東大寺勘九郎さんの連獅子に熱狂したおかげというか、一度ああいうふうに舞台に強く引っ張られる経験をするとその後その演目自体がスーッと身体に入ってきて前よりも数段楽しめる!みたいなことが私わりと起こりがちなんですが、まさにそのパターンでした。今までも後シテは観るの好きだったんですけど、もはや連獅子は出の瞬間から最後の最後まであんこのつまったたい焼きのようにすべてがおいしい。

幸四郎さん、狂言師の拵えになるとかっこよい、というよりうつくしい!という言葉が先に立つ、染五郎さんと並んでほんとうに「美麗」という言葉がしっくりくる前シテでした。なんかもうむしろ後シテよりむしろ前シテのほうに興奮してしまうっていう。とくにあの「水に映れる」のところのパッと時間がとまるようなところね!むちゃくちゃよかった。今回間狂言鴈治郎さんと愛之助さんという実に愛嬌にあふれたおふたりで、これもすごく楽しく見られました。獅子の精として出てからはやはり幸四郎さんの圧巻のカッコよさ際立つという感じなんですけど、いやもうあたりまえですけど染五郎くんが必死なんですよね。その必死さがやっぱりこの演目の親獅子と仔獅子に重なって見える。かっこよくみせてやろうと思っている人の芝居を観てもつまらない、それなら必死で逆立ちしているひとでも観ているほうがまし…というようなことを秋浜悟史さんが仰っていたと記憶しますが、まさにそういう、芸としての完成とはべつに「魅せられる何か」が浮かび上がってくるのがこの連獅子の演目のすごいところです。それはそれとして幸四郎さんの毛振りも最後はほとんどリミッターどこ行ったー!って感じの激しさで堪能しました。

「恋飛脚大和往来 封印切」。仁左衛門さまの忠兵衛だよ!(ブオーブオー)(ほら貝)。演目としては何度見てもいまいち好きになれなかったりするんですけど、上方の特色がぎゅうぎゅうにつまった演目だと思うし、それをこの座組で観られたのはよかったです。仁左衛門さまの忠兵衛、もう「ザ・忠兵衛」って感じだった。正解ここにあり!みたいな。あんなに「いけず」されるのが嬉しく思える人物造形醸し出せるひとそうそういないよ…。八右衛門の鴈治郎さんもすごくよくて、ふたりのやりとりに胃がきゅーっとなる思いでした。そして封印を切ってしまった瞬間の、そしてそのあとの仁左衛門さまの芝居のすばらしさよ!見送る井筒屋の顔ぶれの晴れやかさと、死出の旅に向かうふたりとの印影が最後の最後まで効いていて、ええもん見たなあ!と思わせてくれる一幕でした。

「鈴ヶ森」。いっとき「また鈴ヶ森か!」ってくらいよくかかってた記憶があるんですけど気のせいかしら。勘九郎さんの襲名のときに、勘三郎さんと吉右衛門さんでおやりになったのを見て以来かと思います。あのときのおふたりが本当に素晴らしかったおかげで、これも最初に見たときは「よさが…わからん…」とか思ってたんですけど、今は全編楽しめるようになったパターンですね。愛之助さんの白井権八、やはり愛嬌が先に立つのがとってもらしい感じもしつつ、個人的にはもうちょっと冷えた刃物のような鋭さも欲しいなと思ったところでした。白鸚さんの長兵衛、さすがの貫禄で、とくに最後に書状を火にくべる場面の役としての大きさが伝わってくる感じがとてもよかったです。

端境のひと

第三舞台の制作をつとめられ、サードステージやヴィレッヂの社長を歴任された演劇プロデューサー、細川展裕さんが本を出版されました。

言うまでもなく、私が最初に認識した「演劇制作者」は細川さんでした。ビシッとしたスーツ姿を劇場入り口でよくお見かけしました。当時一緒に第三舞台の公演を見た母は「あの人(細川さん)がどの役者より男前」と言ってたほどで、それもわかる!たしかにむちゃくちゃダンディでした。

第三舞台ファンには周知の事実ですが、この本にあるとおり、細川さんは演劇畑から制作の仕事を始めた方ではありません。最初は一緒に芝居をやっていて、そのうちなんとなく毎回その人が制作的な仕事を仕切っていて、そのまま制作としておさまる…という轍を踏んだのではなく、大学を卒業してケンウッドに就職までされていたのに、鴻上さんの幼なじみであるというそのただ一点で鴻上さんに声をかけられ、会社をやめて第三舞台の制作を引き受けることになったんですよね。

演劇制作者が本を出版すること自体はさほど珍しくないというか、それこそ夢の遊眠社を支えた高萩宏さんの「僕と演劇と夢の遊眠社」だったり、大人計画社長である長坂まき子さんの「大人計画社長日記」だったりと細川さんに近しい世代の方でも「劇団あれやこれや」を書かれている方は沢山います。今回の細川さんの本、読んでいて思ったのは、細川さんはまず基本的に「ものを書く」という習慣そのものがない方なんだろうなってことです(笑)繰り返されるオヤジギャグ…というべきなのか死語というべきなのか…を読みながらか、かわいいひとだなあとによによしました。一生懸命書いた感がほんとうにすごい。盟友ともいうべき鴻上さんがあれだけコトバにモノ言わせる商売をしているのとは対照的です。でも、鴻上さんとの対談で語られている「なぜ鴻上さんが細川さんを制作に誘ったのか」という答えも、こういうところにあるような気がします。というか鴻上さんは本当に徹底して、理解しようとすることと崇めることはむしろ真逆のことで、自分を崇拝する人間に用はない、と思ってらっしゃることがよくわかります。

しかし、言うまでもなく、小劇場において前人未到の発展を遂げた東西ふたつの劇団の制作(それこそ、どちらも「もっともチケットが取れない劇団」と呼ばれたことがある)を担っていたのが同一人物なんですから、これは単なる運とかそういう話ではなく、第三舞台も新感線も、細川さんがいなければあそこまで規模を拡大することはできなかったんだろうと思います。ファンにとってそれがよかったかどうかはまた別です。しかし細川さんがいなければ確実に停滞した集団になっていただろうし、もしそうなっていたら、私はどこかの時点で第三舞台とも新感線とも離れることになったんではないかという気がしています。

巻末の細川さんのお仕事年表を見ると、当たり前なんですが「ほぼ見てる…」ってなりますし、本の中に出てくるさまざまな公演も自分の身におぼえのあることばかりなので、「そうそう、そうだったよね~」とか「なつかしい!!!」とか「えっあの時そんなことが?」の連打すぎていやはや読んでいる間ずっとニヤニヤしたやばいひとでした。第三舞台はあの絶頂期に「優先予約」なんてものを一切してくれず、ただアンケートを書いたお客さんに「OTTS」というダイレクトメールがくるだけだったんですが、この単語に思わず「OTTS~~~~~!!!!!おなつかしうございます!!!!」と叫びそうになりました。今でも全部とってあります…どれだけなめるように読んだことか…。あれ中島隆裕さんのアイデアだったんですね(今はイキウメの制作をされてらっしゃいますね)。いやもうひとつひとつ書いてたらこのエントリ終わりません。

細川さんを訪ねて「関西で劇団をやっているものですが東京での動員を増やしたい」てやってきたのが当時ピスタチオに在籍していた佐々木蔵之介さんだったとか、「ビー・ヒア・ナウ」で役者が客だしやって大パニックになったのって千秋楽じゃなかったっけ?(その場にいた)とか、堺雅人さんが「スナフキンの手紙」のバラしを手伝っていたとか、その堺さんは蛮幽鬼のキャスティングで細川さんが「剣道2段です」って大ウソこいたけど実は体育2だったとか、最初のプロデュース公演「大恋愛」が生まれるきっかけとか、「忍法・俺も知らなかったんだよ」の炸裂とか、ぐるぐる劇場は4年プランで打診されてたけど2年が限界です!!!って断ったとか、天海さんに「オスカルみたいな感じで」と言ったらいい声で「私、オスカルやってないから!アンドレだから!」って言い放たれたとか、ワカのときのおぐりんまじ潰れる3秒前だったんだねとか、鋼鉄番長で降板したじゅんさんをお見舞いにいったら「(払戻公演の)お金はどうするんでしょうか?」って聞かれたとか(じゅんさん~~~~!涙)、サダヲちゃんが賞をもらったことのない細川さんに自筆で「阿部サダヲ演劇賞」と書いて賞状をあげたとか(サダヲ~~~~!涙)、マジで枚挙にいとまがないほど、あの人この人のあんな話こんな話の連打です。

2013年にいちど、御両親の介護ということで愛媛に帰られ、引退する…という話があったのに(「断色」の公演のときですね)、その後もお名前があるのを見て「?」とは思っていたのですが、なるほどそういうご事情だったのか…というのもこの本を読んでわかりました。本当に人生は設計図通りには動かないもんですね。

いのうえさんと古田さんとの鼎談では、古ちんが「ニョロ」と呼んでいる細川さん(ホント古田って自分しか呼ばないあだ名つけるの好きだね…)をいかに信頼してるかっていうのが感じられたり、その中の芝居の尺の問題で細川さんが「尺の問題は重要、お客さんは自分の社会生活の2時間・3時間を切り取って劇場にきているわけだから」古田「これがニョロの考え方です。社会生活の中で2時間切り取られる恐ろしさをわかってる」ってホンマええこと言う!!!!でもそういうキミんとこが今一番尺が長い!!!ってなったのは許していただきたい…(笑)

細川さんは一貫して、作品には一切口を出さない、それは鴻上さんなりいのうえさんなりが「おもしろいものをつくってくれる」という前提で仕事をしているから。口を出すのは尺のことだけ。その腹のくくり方はさすがだなと思いますし、文字通りド素人集団だった学生劇団を、お金をとれるプロに変えていく、そのために何が必要かということ常に考え、そして興行を打つ、チケットを売るということは、客との約束を売るということなんだということを真から理解されている。そういう人が学生劇団にもたらした変化による恩恵を、わたしは自分の人生でめいっぱい享受してきたんだなと改めて思いましたし、そういう意味では細川さんこそが私の人生を変えたひとなのかもしれません。

あと、ほんとこれはどうしても書いておきたいんだけど、細川さんはほんとーに鴻上さんのことがだいすきなんだなっておもいました。なんでひらがな?うん、そう、だいすきなんですよ。細川さんの書く「役者とはこういう生き物」の言葉のチョイスとか、まんま鴻上イズムやん!って思いますし、鴻上さんがロンドン行っちゃってる間「ポッカーンとしてた」って古田に言われちゃってるし、ほんとこういう、製作者と制作者の間にあるものも含めて、自分は第三舞台に入れ込んでいたんだなあと思います。第三舞台のDVD BOXが発売された時、副音声ゲストで細川さんがでたものがあるんですが、そのときに細川さんが言った「鴻上にはまた新作で、大いなる虚構を語ってもらいたい」って言葉は、今でも忘れられません。

わかるひとだけがわかればいい、というスタンスでもなく、儲かればいい、というスタンスでもなく、小劇場演劇と商業演劇の端境をずーっと走り続けていた、走り続けているひとだと思いますし、できればまだまだその恩恵にあずからせていただきたい所存です。私の演劇人生に太線でびっしりその年表が関与してくる方のものされた「演劇プロデューサーという仕事」、たいへん面白く楽しく拝読させていただきました。

「芸術祭十月大歌舞伎 昼の部」

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三人吉三巴白波」。コクーン歌舞伎で馴染みの演目三人吉三、大川端の場。お嬢七之助さん、お坊巳之助さん、和尚獅童さん。わたしお嬢みたいな役をやっている七之助さんがだーい好きなのでにこにこしながら見ちゃった。あとほんと台詞…いい…「こいつぁ春から縁起がいいわえ」ってお正月番組とかで煽りに使われたりするけど、いやそれ心優しい女の子だまして堀の中に蹴落としてまんまと懐の百両せしめたあとの台詞ですぜ…ってなるよね…(笑)

大江山酒呑童子」。ありがとうございまーす!(のっけから)まごうことなき私にとっての大御馳走。昨年暮れの南座で拝見して、「ハア~このあと勘九郎さんしばらく舞台お休みだけどこの酒呑童子という飴をなめて待っていろということなのねぇ~」とひとり合点したほどに好物しか入っていない幕の内弁当もかくやというあれです。それを1年経たずに歌舞伎座で!ありがとうございまーす!

花横のお席で拝見していたので、出のときのふわっと立ちのぼる香りも、それまでのあどけない顔が「酒」という単語が聞こえてニマァ…と口元がゆるむさまも、そしてこれみんな言ってるけどぜんっぜん瞬きしないあの「黒洞々たる」と表したくなる目も、がっつり堪能させていただきました…至福…。

舞台の中央に走り出るときも、ととととと、とオノマトペを使いたくなるようなあどけなさのある動きなのに、酒を前にした時の口が顔の半分まで裂けたかと思うような「この世のものでなさ」感がホントに最高だし、あと童子の姿で舞いながら扇で顔を隠した向こうに鬼の表情が浮かぶアレ!もう、あそこほんとうに大好きだ。たぶんああやって聖と邪というか、あちら側とこちら側の端境みたいなものを見せてくれるものが私のツボで、勘九郎さんはそのツボにこれでもかー!と蹴りを入れてくれる役者さんなんですよね。

それにしても花道でのあの跳躍、いやもう…すごいな!知ってたけど!最後の仏倒れまで満点勘九郎さんだった。平井保昌の錦之助さんかっこよかったなー。隼人さんや歌昇さん、児太郎さんに種之助さんと、華やかな顔ぶれがそろって見応えがありました。そういえば、鬼の姿になったあとで頼光たちにハーッと白い息を吹きかけるギミックを仕込んでたり、いろいろ試してらっさるんだなあと。葛桶に腰かけて踊るときも、暮れに拝見したときは桶が動かないように後見さんが肩を入れて支えてらっしゃった記憶があるのだが、多分今回使われてる葛桶は体重が桶そのものにかからないような仕掛けがあるのか、後見さんも普通に控えてるだけだったので、表も裏も創意工夫を重ねての今のこの舞台なんだなと思ったりしました。いやはや、それにしても引き続きの大御馳走、満腹でございます!

「佐倉義民伝」。初見です~。コクーン勘三郎さんがおやりになったやつは多分見逃してると思うんだ。木内宗吾を白鸚さん、ご自身の襲名の真っ最中にこうして大きな役でおつきあいくださるその懐の大きさ…もはや拝むしかない…!

ざっとあらすじを見て、なかなかにつらいお話っぽい!と思い身構えていたのだけど、それほど暗い気持ちにならずに見られてよかった。まず最初の渡し小屋の場面での、歌六さんと白鸚さんのやりとりがよすぎて、そこからぐっと物語の波に乗れて見られたのがよかったのかなーと思います。歌六さんてほんと…なんなんでしょうかあのうまさ。昼の部も夜の部も、確実に求められたものに上乗せして見せてくださるような芸の力、すばらしすぎます。

おさんの七之助さんがまたまたまためっさよくて、初役とは思えないはまりよう…。宗吾に淡々と現在の窮状を告げるときの声のトーンとか間とかが絶妙で、見ているこっちが「あーそれ聞かないであげてー」って思わず気をもんでしまいそうになる。あとあのお子さまたちのね、ほんとうに聞き分けが良くてずっとがまんしている「いい子」があそこで父親にすがるとこ、「夢を見た」っていうとこ、いやもう簡単に涙腺の蛇口開きますってば。

最後の場面が一転して華やかな上野の寛永寺なのも、さっきまでのモノトーンばかりの世界と色味の鮮やかさの対比が効いていて、宗吾の訴えの切実さが一層際立つような効果があるよなあと思いました。うっかりしてたけど(するな)最後の最後に勘九郎さんも出てきてすごい得した気分になりました。高麗蔵さんの伊豆守がまたこの人になら託せる!というような人格オーラがあったおかげもあり、芝居としてはすがすがしい終幕だったのも良かったと思います。

「芸術祭十月大歌舞伎 夜の部」

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十八世中村勘三郎七回忌の追善興行で、現在大河ドラマ撮影中で舞台をちょっこしお休み中の勘九郎さん七之助さんを中心に、豪華な顔ぶれが揃いました。

「宮島のだんまり」。今回、イヤホンガイドで幕間に勘三郎さんの襲名時のインタビューが流れるというので借りてみたんですけど(普段使わない)、この演目は登場人物多いというしイヤホンガイド聞いてみよ♪と思って使ってみたらすごくおもしろかった。というか懇切丁寧でかゆいところにめっちゃ手が届いた。今上手から出てきたのが誰で演じてるのは誰ですよまでもれなく教えてくれるし。すごいな!今度からもっと借りてみようと思いました。ただ「演劇は見ると聞くとじゃ聞く方」の人間なので(手塚とおるさんの名言思い出しますね*1)、台詞があるとどうしても片耳塞がれるのに抵抗感じてしまうのだった。
扇雀さんの最後の引っ込み、上半身と下半身で違う動きっていやもう歌舞伎自由だな!とその発想の豊かさとそれを実現する役者の技量に感服仕りました。舞台面にずらっと並んだときの絵になる感、楽しかったです。

「道行初音旅」または「吉野山」(両方書いておかないとこの先自分のブログ検索するときに困るんですよ)(知らんがな)。よくかかる演目だし、私も結構見ている…ということに今回改めて気がついたわけですけど(勘三郎さんのも襲名の時に拝見してた)、「川連法眼館」と連続でかかることも多くて、そうすると四の切の方に感想がひっぱられがちっていうあるある。いやしかし、今回の吉野山ちょっとびっくりした。何にびっくりしたって、あれ、この演目、こんなどエロい話でしたっけ…?ってなった。いやごめん、そういう話じゃないだろムキー!ってなってる方にはごめん。私もこれまで義経を思うふたりが今はここにいない主をおもってお互いを思いやる…みたいな美しい主従の話だねってときめいていた。で実際そういうふうに上演されてる!されてるんだけど、でもいきなり「恋と忠義はどちらが重い」なんてフックかけてくるのすごない?いやふたりが義経を思う気持ちに軽重はないよって話なんだけど、そうともとれるが、そうじゃないともとれるやん。しかもあの女雛男雛のとこ、勘九郎さんがこう、目を伏せて近づいてそっと横に立つ…そして美しくかわいらしい玉さまの静御前…ギャーーー!!!う、うまれる!!なにかが!!ってなっても仕方なかろうもん。いや勘九郎さんマジでお前の伏し目がちなそれ…ほんとアレだから…。

軍物語の勘九郎さんはね、もう、そうそう知ってたお前ほんとこういうのやらせると天下一の男前、と思いながらあの指先、足先、表情、なめるように見たので満足です。舐めるように見すぎてもうちょっと玉さまの方も見たかったという贅沢な悩み。お声もすっきりとしたお声がずいぶん戻ってきててそれもうれしかったな。早見藤太の巳之助さんも軽妙ですばらしく、かつてのゴールデンコンビのように勘九郎さんと巳之助さんの踊りも沢山見たい物種と思いました。それして玉三郎さま、あの美しさ、というよりも、この静御前のかわいらしさ、なんならちょっとコケティッシュな感すらあるあの佇まい。マジでヤバい(ハイ語彙どこいった)。勘九郎さんと「吉野山」をやってくださったこと、本当に本当にありがとうございます…と拝みたい気持ちになったことであったよ…。忠信の引っ込みのとき、花道の七三でふと視線をあげるのだけれど、それがなんともいえず思いのある表情で、親を慕う狐忠信という役と勘三郎さんを慕う勘九郎さんが重なって見えるような瞬間だった。忘れられません。

助六曲輪初花桜」。仁左衛門さまが助六を―!ぶおーぶおー!(ほら貝)と界隈の話題を文字通り席巻いたしましたね。いやあほんとうにありがたい…雑誌のインタビューで七之助さんが「この機会がなかったら揚巻をやれないままだったかもしれない」みたいなこと仰ってて、そうかあ…って思ったし、ほんと仁左衛門さまの勘三郎さんへの想いと、ご兄弟を深く気遣ってくださるその心に完敗、いや乾杯だよ。完敗で乾杯だよ。私は今まで成田屋さんの助六しか拝見したことがなかったので、そうか外題が変わるんだ!ってのも今回初めて知りました。いろいろお家によって違いがあるのね。でもって、以前拝見したときも文字通りてんこ盛りでサービス精神に富んだ芝居だなあと思ったけど、今回さらにその思いを強くしたというか。助六の登場まででも十分な絵面の華やかさなうえに揚巻のこれでもか!!な太夫ぶり、そして待ってました助六の登場だもの。男前なひとが自分は男前だということを分かって信じたうえで男前な役をやる、そこにうまれる衒いのなさからくる輝き、オーラ、いやはやこれ寿命が延びるやつでは…と観ながら思いました。

歌六さんの意休も又五郎さんのくわんぺらも巳之助さんの朝顔仙平も、みんなみんな出てくるひとがきっちり仕事をしてくれて場面を隙なく盛り上げてくれる。七之助さんの揚巻勿論美しくてさすが!ってなったし、あの出の場面もさることながら後半の4人になった場面とかに一段と七之助さんのよさが出ているような気がしたなー。勘九郎さんの白酒売、いやもう仁左衛門さまとのやりとりがいちいちかわいらしく、ああ…これ永遠に観ていられるやつやん…ってなりましたね。玉三郎さまの満江が出てからがほんと最高で、あの仁左衛門さまが「ヤッベ」(とは言ってないけど背中が言ってる)ってなるの最高だし、そのあとの空気読めないお兄ちゃまも最高だった。いやほんと、人気のある演目なのわかりますね。はじめて歌舞伎見る!ってひとでも、この絵面の楽しさだけでもじゅうぶん楽しめるのではないだろうか。通人をおやりになったのは彌十郎さんで、軽妙でありながらも勘三郎さんへの想いがいっぱいこもった通人で、彌十郎さんにやってもらえてよかったなあと思いました。彌十郎さんだけでなく、亀蔵さん児太郎さん(白玉めっちゃよかったよね!!児太郎さんの揚巻も早く見てみたい)もみんなみんなあのせっかちで明るくて太陽のようなひとを思って芝居をしてくださってるんだなってことが伝わってきて、本当にすばらしい追善でした。勘九郎さんが助六をやることは…あるのかな?ご本人は以前自分としては乗り気ではないというようなことを仰っていたし、私も是が非でも見たいと思っていたわけではないのだけど、でも自分がかっこいいと信じてかっこいい役をやるときの勘九郎さんはアレがアレするレベルでかっこいいので、気持ちが前向きになられることがあったらいいな!とほんのり祈っております。

イヤホンガイドの幕間の勘三郎さんのインタビュー、勘三郎さんの声に懐かしくなる前にインタビュアーが塚田さんでまずそっちに懐かしの花が咲いたりしてたんですけど、いろんなことを夢見て口にして実現してきた勘三郎さん、その勘三郎さんがきっとたくさんの夢を思い描いていたであろう、新しい歌舞伎座のある未来に自分は今いるんだなーということをしみじみ考えたりしました。勘三郎さん、相変わらず歌舞伎はたのしくて、こっちの財布をカッスカスにしてきやがりますよ!こんな楽しいもの教えちゃって、どーすんですか、責任とって!なーんてな!

*1:「舞台って見てる力と聴いてる力だと聴いてる力のほうが強いんですよ、見てる力と聴いてる力、両方マックスだと人間って多分疲れちゃう。だから舞台だと見てる力を休めてるなって思う時があるんですよ」

拝啓、中村勘三郎様

お元気ですか、なんて、変だけど、でもやっぱりお元気ですか。
あなたがいなくなって7回目の12月が来ようとしています。
今月と来月は歌舞伎座とそして平成中村座で、あなたの息子さんと、あなたの敬愛する役者さんたちが打ち揃って、あなたのいない7回目の季節を所縁の演目で偲んでいます。

先日、追善興行を前に盛大に行われたあなたの「偲ぶ会」に参加させていただきました。あまりにもたくさんの、そしてあまりにも華々しい(偲ぶ会なのに相応しい言葉ではないですがお許しください)場に、壁の花どころか床の染みのような気持でただひたすら佇んでいるだけでしたが、手持無沙汰のままぼうっと祭壇を見つめていると、ちょうど仁左衛門さまが献花をなさるところでした。手を合わせて、あなたの写真を見上げて、ずいぶんと長い間、あなたに語り掛けていらっしゃいましたね。何をお話されていたんでしょうか。去り際、ちいさくうんうんと頷いたあと、祭壇を背にし、ふと右手をあげひらひらと振り、あなたに別れの挨拶をされていました。なんともいえない光景でした。そういえば仁左衛門さまはあなたのいなくなった12月、南座で息子さんの襲名披露興行に列座されていて、その襲名になにかあってはいけないと楽日まで東京に戻らないと仰っていた、と当時荒井文扇堂の四代目の御主人がブログに書いてくださっていたこと、すっかりあの兄弟の親代わりのつもりなのよ…と仁左衛門さまの奥様が仰っていたことを思い出したりしました。そんな荒井文扇堂の御主人も、もうそちらにいってしまわれましたね。

あなたがいなくなった翌年の12月5日に、「思い出しては、いない、という石のような事実を積み上げていくような1年だった」と振り返っていました。今はどうだろう、よくわかりません。石を積み上げすぎて、向こうが見えなくなり、いない、ということも忘れそうな時もあります。そうしてあなたを近くに感じることもあれば、あんなにも鮮明に覚えていた、あなたの声や、表情や、舞台の上の迸るような情熱に、少しずつ薄い膜がかかり、だんだんと見えなくなっていくような気がすることもあります。

去年の夏には、私が観劇人生でこれほど念願した舞台はないといってもいいかもしれない、「贋作・桜の森の満開の下」の歌舞伎版が、盟友野田秀樹さんと、息子さんたちの手でとうとう実現しました。大袈裟でなく、ひとつの憑き物が落ちたような、願いすぎて、思いすぎて、自分でも身動きできなくなっていたものから、やっと解き放たれたような気さえしました。こうしてひとつひとつ、叶えられなかったことが叶ったり、あるいは諦めたりして、どんどん気が済んでいくことになるんでしょうか。薄れて、気が済んで、そして遠くになっていってしまうのでしょうか。でもそれもしょうがないのかもしれませんね。ひとはみな、忘れていきます。最後には。

私に歌舞伎の扉を開いてくださったのは、勘三郎さん、あなたでした。エレベーターに乗っていても、せっかちなあまりその扉を両手でこじあけようとするやつだ、と野田さんがかつて笑いながら話してくださったことがありましたが、あなたは歌舞伎というものの扉もそうやってぐいぐいとこじ開けて、こっちにきてごらん、すごいものがあるから、そうして手招いてくださった。あなたの真に偉大なところは、そうして間口を広げただけでなく、その世界にある深淵を、芸の真髄というものを、ちゃんと見せようとしてくださったことだった、と今にして思います。なぜならそれは、そうして間口を広げてはいってきた私たちにも、それを理解できると信頼してくださったからに他ならないからです。あなたは歌舞伎の力を信じていらした。これは決して限られたひとたちのものではないはずだ、その愛情と情熱が、たくさんの人間を揺り動かしました。わたしもそのひとりです。

あなたがいなくなって、私は自分が歌舞伎から足が遠のくのではないかと思っていたこともありました。けれど結局のところ、私はまだ歌舞伎を観に劇場に通い続けています。そしてそれは、あなたの歌舞伎への愛情と信頼がもたらしてくれた恩寵に違いありません。

7回目の冬が来ます。当たり前のことですが、あなたを観ていた時間よりも長く、あなたの息子さんを、勘九郎さんを、七之助さんを観ていくことになるわけです。ひとは好きになるから見るのではない、見るから好きになるのだ…というのは誰の言葉でしたでしょうか。そういう意味では、勘九郎さんや七之助さんに対する思いはどんどん深くなる一方ですし、なんだか「あなたに似ている」という言葉を口に出せなくなってきた自分もいます。私に残っているあなたの記憶も、どんどん新しい記憶に上書きされていくのかもしれません。喜びと切なさはほんとうはいつも背中合わせで、その背中合わせを味わうのは、傲慢な言い方をすれば生きているものの特権なのかもしれないですね。

けれど、薄れ、忘れていく時間がどれだけ積み重なっても、まったく自分の予期しないときに、あらゆるものにあなたの徴を読み取って、瞬間、あなたの思い出が炎のように吹き上がるような、そんな時間はきっとずっと先までなくならないんじゃないかという気もしています。

7回目の冬です。あれからいろんなことがありました。月並みな言い方をすれば、長くも短くも感じられる歳月でした。
私はまだ歌舞伎を観続けています。
どうかお元気で。
なんて、変だけど、でもやっぱり、どうか、お元気で。

「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」

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テニス史に残る伝説の名勝負、1980年のウィンブルドン男子シングル決勝のボルグvsマッケンローを題材にした映画。スウェーデンフィンランドデンマークの合作、監督はヤヌス・メッツ

製作陣の顔ぶれから見てもわかるとおり、基本的にはこの決勝にウィンブルドン5連覇がかかっていたビョルン・ボルグに焦点をあてた構成ですが、とはいえマッケンローを無駄に貶めるような書き方はもちろんしておらず、むしろあの当時「究極の孤独」の中にいたボルグを心底から理解できるたったひとりの人物がマッケンローであるというようなスタンス。

わたしはエバートとナブラチロワならナブラチロワを、レンドルとエドベリならレンドルを好きになるタイプでしたので、ボルグとマッケンローのどちらに肩入れしちゃうかというとそれはもうマッケンローなんですが、ボルグが実は「爆発寸前の火山」であり、極度の緊張感のうえでなおあの「アイス・マン」ぶりを崩さなかったことに心揺さぶられましたし、マッケンローもボルグも「自分のすべてを懸けるものはこれしかない」という思い、あのネットをはさんで文字通り命のやりとりをしていたのだということ、そしてそれはあの場に立ったものだけが分かち合えるものなのだということがこの映画を見ているととてもよくわかる。あの空港でのふたり…!いや最高ですよね。最高です。お互いが気がついて磁石のように引き寄せられるところ最高です。「ここはハグだろ?」最高です。

あまりにも有名な名勝負なので、第4セットのタイブレークの結果ももちろん知っているんだけど、それでも思わず手に汗握りますし、ボルグが5連覇を成し遂げることももちろんわかっているんだけど、あのベンチに座っているマッケンローや、ついに満場の観客の拍手で彼が讃えられるシーンはやはりぐっときてしまいました。あれだけ「悪童」と言われたマッケンローだけれど、このボルグとの名勝負のあとも数々の伝説を打ち立てていくんだな…と思うと、どこか行き場を失ったような顔をしている彼に声をかけてあげたくなったりして。

ピーター・フレミングジミー・コナーズも出てきて、フレミングとマッケンロー(ダブルスの名コンビですよね)のやりとりもよかったな。コナーズめっちゃいやなやつそうでコナーズ嫌いの私(レンドル贔屓なんだから、そりゃコナーズは嫌いだろうっていう)はなんとなく溜飲が下がりました。小さい人間ですいません。ファミリーボックスで試合中にタバコ喫っちゃうのとか、時代だな~という感じですよね。

スヴェリル・グドナソンのボルグ、ほんっとうにそっくりで実際の映像と見比べても遜色ないのでは感。マッケンローを演じたのはシャイア・ラブーフで、ゴシップが先行しがちなイメージしかなかったんだけど、逆に言うとそれでも干されない理由がわかった気がします。マッケンローに別に似てるわけじゃないのに、彼にしか見えないという瞬間が何度もあった。すごいなあ。

エンドロールに流れる実際のふたりの「その後」の映像もふくめて、見終わった後とても清々しい気持ちになった一本でした。

「またここか」

小泉今日子さんが主催する「明後日」のプロデュース公演で、脚本をあの坂元裕二さんが書きおろすという。坂元さんが朗読劇をおやりになったのは知ってたんですけど、拝見する機会がなく、連続ドラマであれだけのパンチラインを繰り出すひとが舞台脚本としてどういうものを書くのか、という興味があってチケットをとりました。

まだ初日が開いたばかりですので、これからご覧になる予定の方は以下に物語の展開を書いていますのでお気をつけください。

舞台はとある東京郊外のうらさびれたガソリンスタンドの事務室。かみ合わない会話をする店長とバイト、そこにやってくる男と女、男はガソリンスタンドの店長に向かって言う、はじめまして、あなたの兄です…。

前半に執拗に繰り返される、かみ合わない、または脱線して元の位置に戻れなくなる会話が、後半にはその意味がきちんと明かされ、コメディと思っていたものがまったく違う何かに顔を変えていく、という展開で、なんというかちょっと、ケラさんの一部の作品と通じる展開、温度を感じたのが自分でも意外でした。テレビで拝見する坂元さんの作品とケラさんの作品を似てるなんて思ったことなかったからなあ。

物語の前半の展開の描かれ方があまりにももっさりしすぎているというか、会話が走っていかない、グルーヴが生まれてない、なんだか指揮者のいないオーケストラ演奏を観ているような感じがして、正直ちょっとつらかったですね。ああいう会話でちゃんと笑いを生み、物語を推進させていくってやっぱり相当緻密な演出が必要なんだなと思いました。東京無線とかローソンとか、観たらわかる事象で笑わせるんじゃなくて、会話から生まれる間とリアクションで笑いを生んでほしい。募金箱のお金を「あれ地球環境のやつなんです。もううちの募金箱じゃどうにもならない!」とかすごい面白い台詞なのになー。

しかし、後半の怒涛の展開はよかった。兄がめんどくせえ!って戻ってきて、弟の心臓に語り掛けるところ、そしてお話を書かせるところ。小説で大事なのはどこに線を引くかだ、小説に書くことはたったふたつ、本当にはやっちゃいけないこと、もうひとつは、どうしてもやり直せない、後悔していることをお話の中でやり直すこと…。ここの兄の怒涛の台詞はもう、全部いい。作家が「書くこと」を語るという点でも凄みがあるし、岡部たかしさんの芝居がまたすばらしい。この面々にあって一日の長があるという感じ。

ラストシーンはあってもいいけど、なくてもそれはそれで好きなような…つまるところあれが「小説に書くことはたったふたつ」という、そのふたつが詰まった場面なので、あったほうが切なさが増すという人と、ない方がいいという人に分かれそうな感じはあります。

いくつかの連続ドラマを拝見していて、坂元裕二という脚本家はつくづく「手紙」というものが、いや手紙そのものというかそこにいない誰かに言葉を残すってのが好きなんだなと思っていたけれど、今回もまさにどんぴしゃで「届かない手紙」がキーになっていたので、やっぱり!と思うと同時に、坂元さんの描く「手紙」のドラマが大好きな私としてはありがとうございますううという気分になりました。

ロビーで延々繰り返される大きな声でのあいさつもどうかと思いましたが(関係者がたくさんいらっしゃってるだろうというのはわかるんですけど)、そのほか制作としてはもうちょっとがんばっていただきたいと思ったところも多数ありました。今後の改善に期待いたします。