2018年の映画ふり返り

引き続き映画の回顧です。鑑賞本数38本(劇場鑑賞のみ、リピート含まず)。リピート入れたら42本ぐらい?になるのかな?増えた~!いやもうこれが限界でしょう、って毎年言い続けて毎年増えてる。どうしたことだこれは。いや7月ぐらいかな?映画の本数と芝居の本数が2本差ぐらいになったときがあって自分でもびっくりした。とはいえ映画も今年は減るでしょう…なぜならツアーが(もういい)。

ということで2018年に見たものでよかった映画8選です(見た順)。各作品の感想にリンクはっておきます。
「スリー・ビルボード」
「グレイテスト・ショーマン」
「ペンタゴンペーパーズ/最高機密文書」
「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」
「カメラを止めるな!」
「ボヘミアン・ラプソディ」
「パッドマン 5億人の女性を救った男」

ベストはぶっちぎりで「スリー・ビルボード」です。いや素晴らしかったね。マーティン・マクドナーおそるべしだね。オスカー獲ってもらいたかったけど、いやでもここまで完ぺきな1本を作ったのだからその結果なんてどっちでもいいや!とも言える気もする。

ぜんぜん期待してなかったけどむ、むっちゃ良かった…!ってなったのがペンタゴンペーパーズとジュマンジ。実は8選のうちの3本を4月に鑑賞しているので、なんて充実した月なんや…!ってなってます。話題になったカメラを止めるな!、これは完全にツイッターのTLに影響されて見たやつ。むちゃくちゃ笑いましたし、見た後は私も先人と同じように「詳しくは言えないけど、とにかく見て」マンになってたので、そういう意味でも正しいゾンビ映画だった。インフィニティ・ウォーはもはやお祭りみたいなもんなんだけど、ここまで引っ張って(なにしろMCUシリーズ全体のクライマックス)、ここまでキャラクターが入り組んでるのに、しっかり面白いものを提示する、面白いだけじゃなく度肝を抜いてくる、ってのが凄すぎて凄すぎて、は~オンタイムでこれを追いかけられる幸せよ…って思いました。

グレイテスト・ショーマンボヘミアン・ラプソディと、音楽映画がボックスオフィスを席巻した感がありましたね2018年は。というかボヘミアン・ラプソディについては現在進行形で席巻中、もはや2018年の洋画興収1位は間違いなし、もしかしたら現在1位のコードブルーを抜いてトップに踊りでるかも…?とまで言われております。私も2回見に行ったクチ。ほんと、マジでロックバンドに一度でも深く思い入れたことがある人にはぜひ見てもらいたい。そういえば2回見て2回とも隣の人が袖で涙を拭っていてハンカチ…貸してあげたいけど私も絶賛使ってるからむりー!ってなったのも良い思い出です。グレショ―もほんとに楽曲の良さが光ってたよなー。

2019年はとにかく前半アメコミ猛ラッシュ(アクアマン、キャプテンマーベル、シャザム、エンドゲーム)なのでがんばりたいのと、人さまのアンテナも頼りにしつつ自分好みの作品を探し当てていきたいなーと思っとります!

2018年の観劇ふり返り

今年は観劇〆が例年より早くさっさと感想も書き終わっていたのになぜ年内に回顧しておかないのか。ごもっともでございます。前のはてなダイアリーのときは一覧でタイトルをズラっと見てああそうこれこれとかやってたんですが、はてなブログになってタイトル一覧が閲覧しにくくなってしまったので、別に観た映画と芝居のタイトルをメモしておいてたんですよ。そのメモが自分の自宅のPCに保存してあったので…ってマジでどうでもいい話だった!ハイ2018年観劇ふり返り行きます!

観劇本数52本。例年のごとくリピート含まずですが、もともとリピート少ない方だったけどさらに少なくなりました、っていうか複数回見たの贋作・桜だけ?のような気がします。まあこれは住環境によるところも大きいかな。新感線が髑髏城に続きシアターアラウンドでさらに1年間メタルマクベス上演となりましたが、髑髏城はかろうじて全バージョン通ったものの、メタマクはdisc1のみで離脱となってしまいました。やっぱりねえ、地方から出ていって遠征パズルを組もうというときに4時間はなかなか枠が空かない。私の歌舞伎観劇本数が増えたってのもあって、どうしても昼の部も夜の部も時間が合わない、ってことが何度かありました。

さて2018年の観劇でよかったもの7選(観た順)。各作品の感想にリンクはっておきます。
「源八橋西詰」
「TERROR テロ」
「日本文学盛衰史」
「七月大歌舞伎 夜の部@松竹座」
「贋作・桜の森の満開の下」
「東大寺歌舞伎 連獅子」
「ジャージー・ボーイズ」

2018年は歌舞伎の観劇本数が増えました!たぶん22~24本ぐらい(数えなさいよ)。約半分じゃないか。勘九郎さんがお休みしているというのにどうしたことだこれは。どうしたことだっていうか、高麗屋さんの襲名があり、なかなか見られない顔合わせが続いたっていうのも大きな要因の一つかなーと。演目ひとつひとつでぐっときたものはもちろん沢山あるんですが、七月松竹座夜の部を上げているのはすべての演目合計したトータルポイントがめっちゃ高いからですね。油地獄も綱豊卿も芝居として面白かった。とはいえ七月の演目ひとつだけ上げるなら昼の勧進帳を選びたい気持ちもあり、総じてこの月は本当に見ごたえのある座組だったと思います。

あと個人的に2018年ベストの1本あげるなら多分東大寺歌舞伎の勘九郎さんの連獅子です。2018年のカッコよさ最長不倒記録でした。マジで息を吸うのも忘れるあれ(どれ)。野外、大仏殿を背景にしたという異空間ぶり、鐘の音…と、「体験」としての数値が大きいのも要因かな~。

歌舞伎の舞台以外でベストをあげるなら「日本文学盛衰史」かな。原作のある舞台ですが、「舞台でしかできない」場の切り取り方のうまさ、見せ方のうまさ、唸りました。差し挟まれる「今」のネタに無理がなく、かつ品があるのもよかった。オリザさんはしっかり時代をとらえている方だなと改めて思いました。源八橋西詰は再演作品ですが、後藤ひろひとという人のまさに悪魔的とも言える脚本のうまさにうなりまくった1本です。TERRORは設定を与えて観客を陪審員に仕立てるという構成がどんぴしゃでハマって、各回ともに僅差の接戦になったというのがまた面白かった。贋作・桜はブログにも書きましたが、大阪新歌舞伎座で拝見したときの体験そのものに加点という感じ。ジャージーボーイズは初演を拝見しなかったのですが、再演を見て「なんで初演を観てない!?俺のバカ!!」と思ったほど。芝居を観る楽しみがぎゅうぎゅうにつまった傑作でした。

さて今年は…たぶん本数が減ります…なぜならツアーがあるから…(誰のって聞かないで)。あと約半分が歌舞伎っていうのは個人的にちとバランスを失している感があるのでもうちょっとそこんところは考えていきたいかなあ。

2019年の一本目は三谷さんの「日本の歴史」の予定です。1月だけで7本予定しているのでスタートはなかなかのぎゅうぎゅうぶり。今年も健康第一で観劇ライフを満喫していきたいでっす!

「アリー/スター誕生」

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名作「スター誕生」、押しも押されもせぬ大スター、レディ・ガガを主演に迎えて4度目?のリメイクです。監督・製作・脚本・主演ブラッドリー・クーパー!くーぱんちゃんはこれが初監督作品です!

オーソドックスなストーリー展開(まだ誰も知らぬ野の花を育てて大輪のバラにする、みたいなことだ)だし、有名な作品のリメイクなのでもちろん「このあとどうなるか」もわかって見ているんだけど、主演ふたりの牽引力がすごいのでぐいぐい見られます。なにしろ、あの!レディ・ガガを起用しているのだから、こちらは万全の体制で彼女の歌を待ってしまうし、あのバーのステージでのLa Vie en roseの圧倒的カリスマ性、ジャクソンに引っ張り出されて歌う「シャロウ」の爆発力、待ってました―!というカタルシスが存分に味わえてよかった。欲を言えば、彼女がステージを我が物にしていく、おそらく劇中の二人にとってはもっとも幸福なツアーの様子をもうちっと見たかった気もする。というかもっとガガの全力ステージパフォーマンスを観たい欲と言ってもいいかもしれないですねこれは。

ジャクソン・メインという人物に魅力を感じるかどうか、というのはすごく人によって分かれるところなんだろうな~と思います。私はなにしろブラッドリー・クーパーのお顔が大好きだし、わりとダメ男耐性あるほうだと思うんですけど、とはいえ拭いきれない孤独と、聴力を失うかもしれないという恐怖から酒とドラッグにおぼれていく…というところに肩入れできるかというとさすがに落ちるところまで落ちすぎていて難しいところがあった。あと後半に強烈な共感性羞恥を催させる場面があり、いやもうあまりのことにできれば見たくない!とまで思ったので、そういうインパクトを与えるという意味では成功しているな…と思いました。

でも!あのジャクソンとアリーのね、出会いはすごく魅力的に描かれていて、そこにすごく説得力があった。あのバーのシーンよりも、スーパーで冷凍豆で手をぐるぐるにして冷やしてくれるところ、そのあとの駐車場の会話がめっちゃいい。トドメに「もう一度君を見たかった」だもんね。あれは恋に落ちないほうがむりってぐらいですよ。だからアリーが、自分を引き上げてくれた、という理由だけじゃなくて、ジャクソンをどうしても離せないと思うのはわかる、という気がしたなあ。

あと個人的に好きなのはジャクソンとお兄さんのやりとり全般。最後のあれはずるい。おれが崇めていたのは兄貴だよ…。車をバックさせようと振り向く兄の顔がさっきまでと全然違う、あふれる何かをこらえるような顔をしているのがね、すごく印象的でした。

くーぱんちゃんのクズ演技迫真に迫りすぎていて、これは各賞レースでも注目されそうだなと思いましたし、そう、後半どうしてもくーぱんちゃんに話の主軸が映ってしまうので、そういう意味でも後半にもうひとつ、ガガのライヴでの圧巻パフォーマンスが拝めるとよかったなーと(しつこい)。とはいえ、アリーの素朴さが時間が経つにつれてどんどん洗練され、私たちのよく知るあの「レディ・ガガ」の迫力ある美というようなものになっていく姿は見事でした。ジャクソンがスターとなったアリーに語る「歌うこと」についての台詞、とてもよかったです。

「パッドマン 5億人の女性を救った男」

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インドで慣習や偏見と闘いながら安価な生理用品の開発と普及に尽力した実在の人物をモデルにしたインド映画です。R・バールキ監督・脚本。東京国際映画祭の招待作品にラインナップされているのを見て「面白そう!これ見たい!」と公開を待っておりました。

すごおおく、すごおおおおくよかったのでぜひお近くの映画館でかかってたら見に行ってみていただきたい。ドキュメンタリーとして作るのではなく、ある種のフィクションとして、誰でも見られるエンターテイメント作品としてこういうものを制作するってこと自体にきっと意味があるんだろうなと思うし(タブーを取り扱っているため上映禁止になる国だってあるのだ)、エンタメにしかできないことをやりつつ映画を見る楽しさをちゃんと提供してくれてる作品だと思います。

男性が生理と真正面から向き合った作品というと、私の中で燦然と輝く傑作「法王庁の避妊法」という舞台を思い出すわけですが、取り組んでいる方は目的に邁進あるのみだからこそ周囲から奇異な目で見られてしまうってジレンマとか、自分ではわかりえないことをどうにかして探求しようとする姿勢ってすごく物語性があるんだなってこの映画を見ていて改めて思いました。舞台になっているのはインド郊外の村なんですけど、そこは宗教的な戒律、禁忌、そういったものをみんなが信じていて、それに従えば女性の生理は「穢れ」であり、同じ部屋で過ごすことすらかなわないものなのだ。5日間、屋外(ベランダ)の小屋のようなところで過ごすんだよ(冬でも寒くないからこそできる話だよなと思った)、食事も一緒に取れないんだよ。いや待てーい!てなるやん。好きこのんで女に生まれたわけちゃうわ!ってなるやん。でも、その村の女性たちはその慣習を信じていて、その話をすることは「しぬほどはずかしいこと」だと思っていて、使い古した不衛生な布切れで5日間をやりすごすのだ。

主人公のラクシュミは大学に通ったわけでもなく、「無学」な男だが、腕の良い職人で、妻を溺愛している。そして合理的な思考回路を持っている。生理現象を穢れとして扱い、その間愛する妻が不衛生な環境にあることが耐えられない。それが彼女の命を縮めることを何よりもおそれ、だからこそ生理用ナプキンを使って欲しいと考える。でも高すぎるのだ。高すぎるし、村の薬局では男には売ってくれない(密売品のごとく扱われる)。だから自分で作ろうと思う。この物語はそこから始まっている。

ラクシュミをとりまく偏見の強さには見ているこちらの心も折れそうになるが(もっと早く理解者が出てきてくれてもいいのに!と思っちゃう)、でもこの映画の大事な部分でもあるよなあとも思うのだ。妻とお祭りに出かけたラクシュミが、からくりのガネーシャ像に妻が51ルピー払う(そうすると来世に行けると信じている)と言うことに驚き、でも55ルピーのナプキンにはお金を払えないというのはなぜなのか、と考えるシーンがある。職人であるラクシュミにはからくりの仕掛けがわかっていて、あれなら自分でも作れると思う。でも妻にはその言葉は通じない。からくりの像に51ルピー払って手を合わせる妻はとても幸せで満ち足りている。信じているからだ。自分の身の回りにある慣習や戒律を信じ、それに従っていれば満ち足りていられるからだ。そしてそれは「愚かさ」というようなものとは全く別のことなのだ。多くの人が信じているものを変えるのは「正しさ」を振り回すだけじゃ絶対にできない。

ここでまた「法王庁の避妊法」の話に戻るけれど、その芝居の中で、月経のメカニズムも何も知らなかったころは、子どもは授かりものだった。女性は「選べない」ことに苦しんでいた。これからは「選べる」がゆえに苦しまなければならなくなる。でもそれは進化した悩みだ、確実に一歩進んだ偉大な悩みなのだ、と医師が語るシーンがあって、私はその台詞が本当に大好きなんです。この映画の女性たちも、ひとつの禁忌をなくすことで、また別の悩みを持つことになるかもしれないけれど、でもそれが個々の幸福につながるのならば、やっぱり前に進むしかないんじゃないかと思うのだ。

ラクシュミはついには村を追われ、仕事を失っても、持ち前の腕の良さと真摯な姿勢で困難に打ち克っていく。私は凡人ゆえに文字通り石持て追われた故郷が、国家からの褒章で手のひらを返すのがちょっと調子よすぎるのでは!?とか思ってしまうんだけど、ラクシュミはそんなことは気にしないのだなあ~。大きい男だよ。安価な機械を開発し、それを使うことで女性たちの雇用機会を拡大していくところ、やっぱぐっときちゃうし、あの国連でのスピーチは泣いちゃいますよね、そりゃ。男には1年は12か月、でも女には1年は10月しかない。その2か月を取り戻す。いや、泣くでしょ。

映画全体にすばらしいユーモアがあふれており、インド映画らしく歌と踊りが随所に盛り込まれているのもアクセントになっていてとてもよかったです。おすすめ!

「當る亥歳 吉例顔見世興行 夜の部」

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仁左衛門さまのいがみの権太で義経千本桜「木の実」「小金吾討死」「すし屋」。待ってました!四月に勘九郎さんが初役で権太をつとめられるので、その前にこれ以上ない教科書を拝見できて嬉しいです。とはいえ上方の仁左衛門さまとはまた違う型にはなるんでしょうけども。
にざさまの権太、なにがすごいってとにかくものすごいかわいげがある。稚気といってもいいぐらいの愛嬌あふれる権太で、木の実で小金吾たちからお金をだまし取る手口なんて、あくどさの極みみたいなやり口なのに、人物の魅力を損なっていない。小せん(秀太郎さんとの阿吽の呼吸!)とのやりとり、息子の手を取って「冷たいなあ」と頬で温めてあげるところ、この後の展開を知ってるとむちゃくちゃ胸をつまらせるやつや…。千之助くんの小金吾もよかったな、ほんとに力いっぱいで観ている方も手に汗握る感じでした。すし屋は時蔵さんに扇雀さん、左團次さんに梅玉さんと、ぶ厚い!なんというぶ厚さ!という布陣で、もはや見応えしかない。いやこの幕だけで2時間25分という長尺ですけどまったく集中力切れずに見ることが出来ました。権太が戻ってきてからの芝居はもう、それまでどれだけ引いた目線で見てても、あの陣羽織をかぶるところで一気に涙腺の蛇口がどばー!となるので危険すぎた。あと「木の実」をやってるとあの笛のところがめちゃくちゃ泣ける。ああいうのほんとだめ。
それにしても、権太が身を挺した孝行も、すべては大きい歯車の中に飲み込まれるものでしかない、っていうこのシニカルというか、アイロニーというか、こういう物語のエッセンスを当時の人たちが好み大評判をとった、というのがほんと面白いですよね。勧善懲悪とはまったく別のところに惹かれる何かがあったってことなんでしょうね。

「面かぶり」。鴈治郎さんの舞踊、初めて見る~と思ったらものすごく久しぶりの上演みたいですね。なんと名刀鬼切丸の精霊が踊るっていう、擬人化めっちゃ時代先取りしてるやん!と思いました。「弁天娘女男白浪」、愛之助さんの弁天小僧で。娘姿のときもいいけど、やっぱり見顕ししてからがぐっと芝居が大きくなって見応えがある。鳶頭の亀鶴さんがむちゃくちゃハマっててよかった!稲瀬川勢揃いの場も上方多めの座組だとどことなく水分多めのツラネだったり名乗りだったりになるのがおもしろかったです。

三社祭」、千之助さんの善玉、鷹之資さんの悪玉。いやーーめちゃくちゃ見ごたえありました!鷹之資さんが踊りの名手というのは漏れ聞こえていたので、楽しみにしていたんですが、いやはや聞きしに勝るでした。ど素人が観てもはっきりわかる踊りのうまさ、うまさというか、もはや達者、あの若さでそんな風格すらありました。なにしろ、見ていて本当に気持ちがいい!また一緒に踊っているのが同世代の千之助さんというのがいいよね。この、お互いに支え合いながら食らいついていく感じ、滾る!滾るぜ!!こういうものが観たくておれは劇場に通っているぜ!勘九郎さんの踊り大好き人間の私としてはすぐに「鷹之資さんと勘九郎さんで何か踊ってほしい~」と思ってしまうのですが、いや勘九郎さんとに限らず、いろんなひとといろんな作品をやってほしいし、それをまた観に行きたいと思わせる一幕でした!

「伝心~玉三郎かぶき女方考~」が尊いので見てくれ

NHK Eテレで現在不定期放送中の「にっぽんの芸能 伝心~玉三郎かぶき女方考」、今までに4回放送されているんだけど、いやもう放送される度にあまりの尊さ、有り難さに画面に向かって拝むしかない、そんな心境になる番組なんですよ。いやなんでもかんでも尊いで片付けるなよって向きもあろうかと思いますし、実際そういう紋切り型の言葉でこの番組の凄さは表現しきれないとも思う!思うけれども!それでもあえて「尊い…」と言わせてしまうこの威力がこの番組にはある!

第1回のときに紹介がありましたが、この番組は平成26年から「にっぽんの芸能」で取材を続けているもので、だいたいぜんぶで40回ぐらいを予定しているそう。40回ですよ!?今まで見てなかったひとでもこのあとから見れば9割見たことになるじゃないですか(当たり前ですけど毎回違うお役についての解説なので、前4回見てないからどうこうなんてことはまったくございません)。過去4回のラインナップは第1回が「京鹿子娘道成寺」、第2回「壇浦兜軍記 阿古屋」、第3回「伽羅先代萩 政岡」、第4回「仮名手本忠臣蔵 お軽」。いずれも女方の最高峰、難役、限られたものだけがゆるされた…等々の冠言葉がつくような作品がずらっと並んでおります。

この番組のすごいところは、その限られた者だけが体験する演技の世界で、玉三郎さんご自身が長年、何百回何千回と踏んできた板の上で学んだこと、気づかれたこと、考えたこと、つまりはそのお役を演じるうえでのエッセンスを、惜しげもなく披露されているというところです。あれですよ、秘伝の書とか一子相伝の巻物とか、そういうものをプリントして皆に配ってくれちゃうみたいなことですよ。え!?いいの!?そんなこと教えてもらっていいの!?そんな気持ちにもなろうってもんですよ。

ここで初回の玉三郎さんのお言葉を引用させていただきますね。

言葉だけでは伝わらない、書物だけでは伝わらない雰囲気やそして形などをしっかり見ていただくことができると思うのです。これは現代を生きる歌舞伎俳優たち、そしてまた私が会うことのないかもしれない世代の将来の歌舞伎俳優たちのためだけのものではありません。歌舞伎を愛する人たち、そしてひいては舞台芸術愛する人たちに多く見ていただければというのが私の願いでございます。舞台芸術をより楽しく見るための道しるべになればと考えております。

そこなんですよ(どこなんですよ)、ここで玉三郎さんが仰っている通りね、私はこれを歌舞伎が好き!という人以外にもぜひぜひ見て欲しいと思っているのだ。舞台芸術を愛するひとならきっとどこか感じるところがあると思うし、ないとしても絶対に楽しんでもらえると思うのだ。実際に歌舞伎を観に足を運ぶかどうかはさておいて、こんな第1級のガイドがタダで!「実質タダ」じゃない、文字通り無料で誰でも見ることができる、マジのマジで破格すぎる!と思うわけです。

私は亡くなった勘三郎さんをきっかけとして歌舞伎にもぽちぽち足を運ぶようになった人間ですけれども、でもなんつーか、系統立てて歌舞伎を観ていこうとか、学ぼうとか、勉強しようとか、そういう意識がほとんどなく、永遠のトーシローでございます、というような開き直ったようなところがあるわけですが(それの良し悪しはちと置いといてくだせえ)、でも歌舞伎に限らず「芝居」「舞台芸術」というものが、やっぱり好きだし、たぶんもうここまできたらこの情熱は人生の最終盤まで続くんじゃないかって気がしてるんです。

でも私だけじゃなくて、みんな大小はあれど「ひとが何かを演じる」ってことに、それが舞台でもテレビでも映画でも、なんらかの興味をもってるひとって少なくない、はずじゃないですか。だからこそこうして何百という作品が、物語が生まれては消えていくわけじゃないですか。その中で、歴史を超えて残ってきた強度のある物語を、鍛錬した役者が演じる、その時に何を考えるのかってことが、面白くないわけないとおもうんですよ。誰にとっても、この番組は大御馳走になる可能性のあるものだと思うんですよ。

もうね、見ていて、こ、こ、この名言を書き起こしたいぃぃぃぃ!!!という欲がこれほど止まらない番組はないです。ということで今までの放送分から、私が特に打たれた名言をいくつかピックアップ。

「重力に一生縛られていた人間が、重力から解放される瞬間を共有するということが「おどる」ということの大きな意味でもあるんじゃないでしょうか。何か重力を感じない夢幻的世界、あるいは非現実的な空間にお互い(演者と観客)が居合わせたという清涼感が舞踊には一番大切なような気がいたします」

「華やかな歌舞伎舞踊ですけれども、見た人の心の中には清姫の、あるいは人間のかなわぬ恨みというか人生が見えてくるんでしょう。その2つのどちらが重いかということは簡単には言えません。華やかな踊りを見せるだけでしたら簡単でしょうし、恨みを見せるだけでしたら簡単でしょう、それが編み込まれていって簡単に解説できないところにもっていくのが芸術というものなのではないでしょうか」

これが演劇の不思議なところで、演じている役者は消えていかなければならないけど、演じ手の魂だけは半透明に見えていかないと役の中に魂が入っていかないんです。でもお客様もそうでしょうね。阿古屋を観ているけれども、どこかその役者の魂と交感しているところが見えるから「誰々の阿古屋」ということにもなるんでしょうね。しかし、どこを基盤に楽器を鳴らしていくか、役に成っていくかということは、自分の人生を基盤にして役を立ち上げていくわけでしょ。だから自分をゼロにしては考えられないが、自分が見えなくなるところまではやっていかなくちゃいけない。

心が会話するところに、芝居だけでないものが通わなければ芝居を突き抜けることができない。ってことは人生を感じることができないってことです。まあ魂と言ってもいいでしょうし、心と言ってもいいでしょうし、また書かれた戯曲に生きた人間を植え付けることができないと言ったらいいでしょうか。

なんのために積み上げたかっていうと、60過ぎた女方が、二十歳前後の役をやるための積み上げなんです。仕草じゃなくて自分の中を一瞬若い女が通過するかっていうことを、開いてから引っ込むまでやってかなきゃいけない。もしかしたら10秒の積み上げは10年かもしれない。ウソがばれない1分間を過ごすには何十年か積み上げてきたのかもわからないんです。演技、あるいは細かいこと、積み上げたことが見えないところまでやらなければならないんです。

こうして改めて書き起こしてみると、玉三郎さんがいかに戯曲を深く読み込んで、その求められる歌舞伎の型にご自分が練り上げたものを流し込まれて役を作られているかというのがよくわかりますし、何度も言いますがそれをこうしてカラッとツルッとお話になってくださるっていうね…!やっぱり尊いとしか言えないじゃないですか。

私は過去の4回のなかで「阿古屋」の回が特に好きで何度も見返してるんですけども、そのなかで玉三郎さんが阿古屋の詞章の素晴らしさにふれ(本当に、文字通り声に出して読みたい日本語)、「馴れ初めから帯を解いて『終わりなければ始めもない』、時間を忘れるほどの二人の愛の時を過ごした、そしてあっと思ったら秋の風が吹いて引き離されてしまうところまで、5分も経たない内に語れてしまうこの文章の素晴らしさ。ここに追いつけるかしらと思いながらやってるんですけども」って仰ってるんですよね。この台詞に対する畏敬の念。阿古屋の文字通り第一人者中の第一人者がですよ、「詞章の素晴らしさに追いつけるかしら」と思いながらつとめていらっしゃるってもう…
すごない!?
すごない!?!?!?(語彙喪失)

蜷川幸雄さんがいつも藤原竜也さんに口癖のように言っていたという、「もっと自分を疑え」「このままでいいのか」って言葉をね、なんだか思い出してしまうわけです。目の前の台詞に対して常に謙虚であること、口で言うのは簡単ですけど、それをこの長きにわたって持ち続けていられるっていやもう、頭が下がりすぎて地中にめり込む勢いですよ。

世の中に俳優、役者は数あれど、歌舞伎役者ほど常に板の上に立ち続けているひとたちってそうはいないと思いますし、客の前だからこそ学べること、客の前でなければ学べないことがきっと地層のようにその身体に刻まれていってるんじゃないかと思うんですよね。その世界の文字通りトップランナーのおひとりが、後進に伝えるために、そして舞台をより楽しんでもらうために言葉を尽くしてくださっている。そして我々はそれをお茶の間に居ながらにして受け取ることができる。玉さますごいしテレビすごいしNHKすごいしEテレすごい。ぜひ何かの折に「おっこれなんか尊いとか連呼してたやつじゃん」って番組表で気がつかれたら、ぜひ一度ご覧になっていただきたい。興味のある、耳にしたことのある演目のときだけでも勿論ぜんぜん大丈夫。この真髄の髄をできるだけたくさんのひとに見てもらいたい、ってお前はいったいなんなんだよって感じですがそう思っちゃうので仕方ない。どうぞよろしくお願いいたします!

「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」

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ファンタビシリーズ第2弾!ちなみに第5作まで予定されているそうです。先は長い。監督は第1作に引き続きデヴィッド・イェーツ

第1作の感想のときにも書いたんですけど、ハリポタにがっつりハマらなかったひとでもファンタビ大丈夫ですよ~って言われて見に行って、ほんとだ大丈夫だった!めちゃ楽しい!って感じだったんですよね。しかし今回は前作よりも「ハリポタ世界への引き」をフックにしている描写や登場人物が多いので、「がっつりいってる人ほど楽しい」って部分はあるのかも。とはいえ、個人的には今作もむたくた面白かったです。ジョニー・デップのグリンデルバルド、さすがに魅力的でした。とはいえ、終盤のあの集会のあたりは「グリンデルバルド側の論理展開」シーンが延々と続くので、OH…そこもうちょっとコンパクトに!という感じはあったかなー。

若き日のダンブルドアジュード・ロウが演じているんですけど、このダンブルドアとグリンデルバルドの因縁というか…因業というか…なんしかそのあたりのエピのときだけ「ローリング女史の筆圧めっちゃ高い!」感がすごくて、こう…やる気を感じましたね(なんの)。しかしかつての同志が袂を分かって相まみえるって展開、私の大好物のはずなんですが、この二人にはそこまで沸き立たなかったので自分でも不思議。

前作では名前だけが出てきて、今回から登場したリタとテセウス(ニュートのお兄ちゃん)がいい意味で予想を裏切られたっつーか、弟の想い人を兄が奪ってドロドロの…みたいな感じなのかなって思ってたらなんか全然そんな雰囲気なかった(少なくともリタとテセウスの方にはニュートを踏みにじる悪意がまるでない)。リタとテセウスのなれそめが全然わかんなかったんだけど、予告編にだけ出てきてたダンスのシーンとかだったりしたのかな。テセウス、あまりにも良お兄ちゃん案件すぎて、わあい!と気持ちが沸き立つも、いやまて洋画界における良お兄ちゃん案件の儚さを思い出せ…しかも相手はローリング女史!と今笑ったカラスがもう泣いたみたいな心境になりつつあります。だからあなたは生き抜いて(無理かな…)。

前作で魅力爆発していたニュートとジェイコブのコンビも健在で嬉しかったし、クリーデンスも再登場で嬉しかった(前作の感想で『光と闇どっちに転んでもおいしく頂ける』って自分で書いてて願望叶っとるやんと思いました)。惜しむらくはもっと魔法動物に活躍してほしかったってとこかなー!やっぱり私にとってのこのシリーズの魅力のひとつがあの魔法動物たちの豊かな世界なんだなーと。ズーウーをおとなしくさせるときのあの「チリン!」笑いましたけどね。ああいうのもっと見たかった。

とはいえ、このシリーズを私が楽しく見られているのは、やっぱり主人公であるニュート・スキャマンダーがすごく魅力的だし、かれの精神が登場人物のなかでもっとも安定しているってことにもあるような気がする。サラマンダーどうしても言いたいニュート最高でしたし、ティナは!?とか勢い込んで聞いちゃうのも最高でしたし、ティナの足の幅が細いのとかマジ知らねえよ案件だし、地面を舐めるマンダ先生まじマンダ先生でした。大好き。エディ・レッドメイン本当に最高。ニフラーは今回もGJすぎました。ファンタビ3は2年後?かな?登場人物の運命に戦々恐々としつつ楽しみに待ちたいです!