「六月大歌舞伎 昼の部」

「寿式三番叟」。これ見たさに慌てて戻りチケット買いましたよ…幸四郎さんがブログで書いてくださってなかったら気がつかないとこだった!昔猿之助さん(当時亀治郎さん)と新橋演舞場でおやりになったときに拝見してむちゃくちゃ興奮したんですよね。今回は幸四郎さんと松也さんのコンビ。

久しぶりに拝見して、寿式三番叟の何がこんなに私の心をとらえてるのかって、振りがカッコイイってとこなんだな!というのを実感しました。「和ボレロ」とでもいいましょうか、同じ場所を旋回しながら高みに昇っていくような。なんか恍惚たる気分になりますよね。でもって、まあどうしても考えちゃうのがこれ勘九郎さんにもやってほしい、ってことなんですけど、筋書見たら昔勘三郎さんと富十郎さんで踊られたことがあるのね!鷹之資くんととかどうですか!ねえねえ!(私利私欲まみれ)

「梶原平三誉石切」。石切梶原、久しぶりに見ました。たぶん15年前ぐらいに仁左衛門さまがおやりになったのを拝見したと思います。吉右衛門さま、このところぐっと奥に気持ちを秘めたお役を拝見してたので、それに比べるとこの梶原平三は気持ちが前に出てくる場面も多く、表情豊かな芝居ぶりを沢山拝見できたのがよかった。しかし演目としてはあまり好きではないのだ…そりゃまあハッピーエンドではあるんだけど!そして二つ胴の試し斬りってマジでこわすぎる(と前回も思った)。

「封印切」。仁左衛門さまの忠兵衛、昨年暮れに南座で拝見いたしましたね。今回は1階席で見たのでいやーいろいろ眼福だった。ほんとうに見れば見るほどその若々しさに驚くし、近くで見てもより一層若く華やいで見えるって本当にどんなマジックよ。忠さん忠さんてみんなが贔屓するのももっともだよ。しかしこれも演目としてはいまいち好きではないのだった…。今回八右衛門は愛之助さん。悪くなかったけど、ついに忠兵衛の心の堤防を決壊させてしまう「わしは金のあるのが因果、お前は金のないのが因果、金のないのは首がないのも同じ」というあの一手にもう少し他を圧する強さが欲しいところ。そのあとの仁左衛門さまのあの金を出す手つき、己の未来が手から滑り落ちる金のように崩れていくあの表情、二百両、ビックリするな、まだあるわィという言葉と裏腹の絶望感、いやー絶品でございました。

「黒白珠」

脚本家も演出家もキャストもガッチリ手堅い、何より河原さんが演出なんだしそんなヘンなものにはなんないだろう…ということで足を運んできました。以後、かなり終盤の展開までがっつり書いているので、これからご覧になる方は回避が吉です。

見終わった後に、これ見方によって「ミステリ&親子愛のマリアージュ」とも見れるけど、同時にめちゃくちゃホラーにも見れるなって思ったんですよね。ホラーっていう喩えが適当じゃないのはわかってるんだけど、なんかあえてホラーと呼びたい。

舞台は長崎。幼いころに母が家出して、父に育てられた双子の兄弟。奔放な兄とまじめな弟。ふたりの母親は父の弟と駆け落ちしたと周囲では噂されている。双子の兄はその失踪した父の弟に瓜二つで、まことしやかにもう一つの噂が聴こえてくる。あの子の本当の父親は…?

あらかじめ提示されていたあらすじと若干テイストの異なる展開になってましたね。もっと兄弟の確執をゴリゴリ抉るのかと思っていた(愛される兄と愛されない弟的な展開はまあ、ほぼなかった)。遠い過去に失踪した母が戻ってくるが、その母は病に倒れ記憶が混濁していて、その失踪した過去に何があったのか…が物語を引っ張るカギになっているので、ミステリぽさはある。

いや、それで何がホラーだなって思ったかっていうと、途中で父が述懐するじゃないですか。あれが正しいことだったのかわからない、俺はあいつからすべてを奪ったのかもしれない…。いやホントその通りで、でも最後、弟とのわだかまりも解けて、なんとなく談笑して食卓を囲むみたいなラストシーンになったので、えー!って思ったんですよ。確かにあそこで母親が「約束」って言って「あたし逃げたの」っていうのは良いシーン。でもそこに乗っかって終わるのか!っていうのが驚いた。あの母親は夫の弟にひどい目にあわされただけでなく、生んだばかりの我が子と別れ、やり直すチャンスもなく、びくびくしたまま日々を暮らし、挙句の果てが脳溢血で記憶が混濁して何もかもわからなくなって終わりとか、えー!ってなりませんか。殺人犯にしたくなかった…って、いやそれはあなたのエゴだししかもこの最大の真相を明らかにするチャンスも見送って終演なのかよという。母親の立場から見たら完全にホラーでしょうよというね。

実の父が誰なのかなんてことより、育ててくれた人のことを信じろ的な台詞があって、それは勿論真理なんだけど、どうせ書くなら「自分が兄弟から母親を奪った」ことを告白して、そこからのことを観たかったぜと思ってしまいました。

こういう話をしんねりむっつりやるんじゃなくて、ちゃんと軽快さを残してるのは河原さんぽさだし、観客としては助かるところ。風間杜夫さんはさすがのうまさ。風間さんと村井さんのふたりのシーンなんてわたしのおじセンサーがびんびん鳴りまくってたいへん幸せでした。松下優也さん、どこかで…?と思ったらメタマクの元きよしだったのね。あの時とはまた違うタイプのキャラクターで面白かったです。植本さんや平田敦子さんはどこで拝見してもちゃんと爪痕残しててさすがだなーと思いました。

「神と共に 第一章:罪と罰」

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ツイッターのTLで「おもしろかった!」というツイートを複数見かけてそっか~んじゃ近くでやってたら見てみよっかな~と思ったら近くでやってるどころじゃなかった(やってなかったんですよ)。そこで諦めるか意地でも見るかつったら意地に傾きがちな人生を送ってきましたので、大阪へ行く道すがら岡山で下車して映画見てくるっていうトリッキーなことをしてしまいました。韓国で大ヒットを記録した映画だそうで、間もなく公開予定の「因と縁」とあわせて二部構成とのこと。監督はキム・ヨンファ

イヒヒ、めっちゃ面白かったです。イヒヒと笑っちゃうのは「これもう1本あるのか…イヒヒ…」とほくそ笑んでるのだと思ってください。地獄を巡る、といううすぼんやりにもほどがある前知識だけで臨みまして、「地獄八景亡者戯」みたいな話なのかな?とか予想してみたりしたけど当然ながら違いました。冥界で受ける七つの裁判のエンタメとしての見せ方がすごいし、最初は紛うことなき貴人、生まれ変わり待ったなし!と思えた消防士が、裁判のたびに玉ねぎの皮をむくようにいろんな側面が出てくるのが話の本筋をきっちり引っ張っていて140分となかなかの長尺ですけどだれることがなかったです。母と弟がかれの「冥界での裁判」に絡んでくるところ、あの最後のシーンも、いやもう私こういうので泣いちゃう年齢なんスよ…という感じ。最後の裁判で閻魔大王に「生前にできなかったこと死後にやろうというのか、十分に時間があったのに」と言われるとこ、いやもうよくある台詞っちゃ台詞なんだけど、このシチュエーションで言われると刺さるにも程があるっていうね!

そして何といっても!この映画の魅力は地獄で死者を弁護&警護する3人の使者の魅力が大爆発している点です!ヘウォンメーーーク!!!もう、無駄に呼びたい。あのシーン最高でしたね。ハ・ジョンウさんもチュ・ジフンさんもロングコートなびかせて長物ぶんぶん振り回してカッコイイことこのうえない。ドクチュン役のキム・ヒャンギさんがまためっさかわいいんだ…この3人のバランス本当最高。下界の様子を探りに行くカンニムがドクチュンには「お前ならできる」っていうのに、ヘウォンメクには「お前は何も考えるな」とか言っちゃうのむっちゃ好きです。ヘウォンメクはヘウォンメクで、あと2人で49人の生まれ変わりを達成するってところまできてるのに、ジャホンの過去を知って、この裁判は負けだ、潔くやり直そうぜ、1000年なんてすぐだろとか言っちゃうのときめく以外のなにものでもないっていう。

しかも第二章の「因と縁」では使者たちの過去が?明らかになるとか?ならないとか?ぎゃーんもう早く見たい。うずうず。

岡山にあるシネマクレールって映画館で見たんですけど、シネコンじゃない映画館久しぶりで、なかなか雰囲気あって朝イチから気合入れて見に来たぜ!みたいな人ばっかりですごくいい時間が過ごせました。また来てみたいな!

「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」

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監督マイケル・ドハティ。「ゴジラ」、「キングコング 髑髏島の巨神」に続くモンスターバースの3作目。この感想でのっけからこう書いちゃうのもなんなんですけど、個人的に巨大生命体にはなんつーかこう…特にときめかないタイプなんですよ…巨大建造物にはときめくんだけど…(巨像大好き人間)しかしなぜか劇場で皆勤してる!なぜなのか!多分ストレスたまってなんか派手な映画が見たい!ってときにちょうどやってるんですよね。でもってその欲求は毎回満たしてくれるんですよ。

世界各地でモナークが密かに隠していた「怪獣」の繭が目覚め、あるいは目覚めさせられてそれぞれのガチンコバトルになっていくんだけど、その直接のきっかけとなったエマ・ラッセル博士の言い分が完全に紫芋ゴリラ…失礼、サノスとおんなじ理屈なのが笑いました。そしてこれは前作も思ったんだけどなんで「コントロールできる」と思うんだろう!それがいちばん不思議よ。

怪獣のビジュアルとしては圧倒的にギドラが好きでした。途中で首ちぎれちゃった…と思ったらまた生えてきたのでおいおい無敵じゃねーかよとなりました。ギドラとゴジラのぶつかり稽古すごかったですね。オキシジェン・デストロイヤーは出てくるわ、いったん斃れたゴジラを水爆で喝入れるわ、いやなんかもう…すげーな?ってなったし、大味っちゃ大味なんだけど、なんかこの映画にはそもそも大味を磨きにかけてますが何か?みたいな妙な迫力があって納得させられちゃう感じがしましたね。

渡辺謙さん演じる芹澤博士の顛末もなかなかに…なかなかだったけど、アルゴに乗船してるもう一人の博士、リック・スタントンを演じていたのがあの!ブラッドリー・ウィットフォードで、私にとってはいつまでもジョシュ・ライマン次席補佐官(@ザ・ホワイトハウス)なんですけど、これがなかなか味のあるキャラクターでしかも大活躍していて私は嬉しかった!いや、映画では顔をよくお見かけするのはするんだけどね(ペンタゴンペーパーズにも出てたし)、でもこういうちょっとマッド寄りで口数多くて…ってキャラはあんまりなかったから嬉しかったです。

しかしモナーク、相当手広くやってたけど、資金源はどこから出てるんだろ?政府?それにしても資金が豊富すぎへん?などと思いながら見てました。モナークのひとたち、完全に怪獣マッドな人たちばかりで、こわい!でも見たい!こわい!でも殺したくない!みたいな二律背反に悶えてるの面白かったです。いや面白かったですとしか言えんよね…。最後のほうマディソンを救え大作戦になるのもいまいちよくわからんかった…いやエマとマイクが捨て身で突進するのはわかる…あとオルカを欲しがるのもわかる…けどあんな大規模作戦をあの状況で取る意味とはというか。

ラドンはあの豹変ぶりからネットで「ゴマすりクソバード」呼ばわりされてて、でもあまりにもパンチのあるネーミングなので「えっそんな?」と思わず見に行く背中を押してくれるし実際見たらその通りじゃねえかよ…ってなるし、とはいえ旋回して戦闘機叩き落としていくとことかかっこいいし、いいキャラでした。好きです!でもギドラ先輩のほうがもっと好きです!

次はコングvsゴジラらしいんですけどいやーちょっと想像つかない。レジェンダリーどこまで行くのかしら…!

「キンキーブーツ」

  • オリックス劇場 3階5列56番
  • 脚本 ハーヴェイ・ファイアスティン 演出 ジェリー・ミッチェル

もともと持っていたチケットを諸事情で手放すことになり、一時は「初演見れたし諦めようかな」と思ったものの、東京公演が開幕すると案の定絶賛しか聞こえてこず、こうなることはわかってた…と思いながらいろいろ手を尽くしました(当日券の電話の繋がらなさよ…)がそれもダメ、万事休す!と思ったら!最後の最後に希望日時を「お譲りします」という方を見つけて奇跡的に入手!文字通り諦めたらそこで試合終了だった!

初演ももちろんすばらしかったですが、同じ座組での再演ということもあって演じている役者たちに自信とプライドが倍掛けで備わっており、その自信とプライドでオープニングから観客をつかんではなさない。幸福な再演だな~としみじみ思いました。そしてたった3年という期間ながら、初演時と今とではジェンダーの問題、LGBTQ、多様性、そういった言葉がもっと深刻に「わたしたちの」問題として認識される時代になってるんだなってことを肌で感じました。それって実はすごいことで、「人間は意識の方が先に代わるから、常に現在が野蛮に感じる」というのはある社会学者の言葉ですが、今の時代を未成熟だと感じることは悪いことじゃないと思うんです。日本版のポスターが、初演は「三浦春馬」と「小池徹平」のドレスアップしたショットだったのが、再演では「ローラ」と「チャーリー」のショットになったのも、「小さいけれど偉大な一歩」だし、それを成し遂げさせたのはこの充実した座組と作品の力だと思うんですよね。

しかし、三浦春馬はしみじみとすごい。いつか時間が経てば、彼以外の役者がこの「ローラ」に挑戦することもあるのでしょうが、その人はとんでもなく高い壁に挑むことになるだろう、と今からしなくてもいい心配をしたくなるぐらい、圧倒的です。すごいのは、単に踊れる、歌える、というだけでなく、この役をやるにあたってちゃんと肉体の重要性を認識し、それを実践して手に入れていることで、そりゃもう説得力が違うよという感じ。出の瞬間から観客の視線を惹きつける華があるのはもちろんなんだけど、なんというか彼のローラには拭いきれない孤独の影があるんですよね。それを打ち消すためには圧倒的に輝くしかない、そのためのヒール、そのための赤、そのためのドレス、そのためのウィッグ。だからなんというか、その輝きに胸をときめかせながら、同時にその背中がどうしようもなく健気に見えて、わけもなく胸がいっぱいになるんです。三浦春馬のローラにはその輝きと切なさが共存していて、ほんとうに得難い存在だなと改めて思いました。

小池徹平のチャーリー、初演はピュアネスが際立った感じが強かったけど、今回は「ありたい自分」とのギャップにもがくさまがリアルで、だからこそあの二幕のローラとケンカするとこ、お前マジで百回土下座しても許してもらえねーぞ!?みたいなことを言うのが非常にヒリヒリしましたね。ソニンのローレンは本当に最高of最高で、ローレンが決して「都合のいい女」な造形になってないのもこの舞台の大いなる魅力のひとつだよなーと思います。

3階席からの観劇だったので、ダンスフォーメーションがバッチリ見られたのが楽しかったですし、とくに1幕ラスト、ベルトコンベアを使った非常にトリッキーなフォーメーションは本当に見事!Everybody Say Yeahの楽曲のテンションも相俟って、1幕ラストなのにスタオベ待ったなしみたいな最高の気分で幕間に突入するのがいいよね。

千秋楽後も演者側から「この座組でもういちど」みたいなコメントがあったりして、具体的な話が出ているのか、そこまでではないのか、わからないですけど、でも観客のみならず創り手も「もういちど!」と思える作品ってそうそうあるものではないと思うので、それが実現することを密かに祈りたいと思います。

「名探偵ピカチュウ」

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監督はロブ・レターマン。あのポケモン実写化!しかもライアン・レイノルズピカチュウを演じる!って第1報が来た時には「要素多すぎてなるほどわからん」ってなったのと、ポケモンGOは地道に楽しんでいるものの、そもそもの(ゲームボーイを起源とする)ポケモンに全く触れずに育ってきちゃった人生なので、それほど食指を動かされてなかったんですけど、アレですよアレ。全米公開直前に出た、すわ全編リークか!と思わせて冒頭除いて1時間42分延々ピカチュウがダンスしてるだけの動画のアレ。げっ!やばい!かわいい!かわいいし、この宣伝考えた人天才では!?違法なものほど人は掘り起こしたがるという心理を突いたし、いったん拡散されるともうみんなが勝手にバンバンRTしてくれるし。クレバーすぎる。

見終わった後の私の最初の感想「私もライムシティで自分だけのポケモンパートナーと暮らしたい…」。いやーこの映画の楽しさって、まあこれは個人的な感想なので的外れかもしれないけど、あの、パシフィック・リムを最初に見た時の、あの感覚とちょっと近い気がするんですよ。巨大ロボットアニメのロマンを完全に再現したあのオープニングのジプシー・デンジャー出撃シーン。物語の中、存在しない二次元の中、と思っていたものが「もしかして触れられるのでは」っていう質量で目の前に現れるあの感じ。いるんじゃないか、もしかしてポケモンは、この世界のどこかに。そう思わせるあの世界観の質量!これを体験するだけでも見に行った価値がある。

ストーリーラインとしては特にひねらずストレートだし、最後の展開も好きではあるんだけど、若干ちぐはぐだなーという部分も確かにありました。あの研究施設を調べに行ってティムとルーシーが真相を掴んだ様子を察知しながらそのあとのフォローがないし(目的は別だったとしても、彼らを放置するのはまずいのは当然なので、あそこから彼らを助け出しクライマックスに繋げてくれる存在が補強として必要な気がする)、そもそもなぜ「息子を連れてこい」なのかが弱いのは気になりました。やっぱりあそこは「ティムだけがもっているもの」との等価交換じゃないと物語として弱いと思うのよ。

しかしそういったあれこれを補ってあまりあるあの映像の情報量、そしてピカチュウのあらがえないかわいさたるやっていうね。私は吹き替えで見たんだけど、西島さんだなーと存在は認識するもののうまくハマっていてよかった(むしろティムの吹替の竹内涼真くんのほうがきびしい)。それに吹替えの最大の利点は映像に集中できるってところだね…!公開前の予告編で「シワチュウ」って言われてたシワシワ具合も、文字通り濡れ鼠やないかいみたいなシオシオさも、瞳のきゅるるん具合も余すところなく堪能できる。ピカチュウだけじゃなくて、画面上にポケモンたちがたくさん出てくるので、それを追うのも忙しいし。特にピックアップされるコダックバリヤードもめっちゃよかった。コダックかわいいよコダック。そして私は…ドダイトスが好き…(ほんとに大きいものが好きなのね…)でもパートナーにするならガーディがいい…いやでも待てよ…(止まらない妄想)。

ビル・ナイさまが出てるの知らなかったのでむちゃくちゃお得な気持ちになりましたし、渡辺謙さんの黒幕なの?そうじゃないの?どっちが好きなの?な眉間の皺も堪能しました。ヨシダ警部補がブルーをパートナーにしてるってのが何気にいいよね。いやほんと、あのポケモンパートナーとの共存て、文字通りポケモンて多様性の権化みたいな存在だから、そこもライムシティを魅力的に見せている要因なんじゃないかって気がする。

一回限りの禁じ手、みたいな形でもあるので、続編を制作するかどうかは微妙なところかなって気もしますね。でも想定よりも当たっているみたいなのでどうなんだろう。ともあれ、「ポケモン」っていう金脈で一山当てるぜ!という動機ももちろんそりゃあって当たり前なんですが、それよりも「あの世界を実在のものにするんだ」って情熱がその動機を追い越したような映画で、そこに一番感動しました。エンドロールで、これを幼い頃にポケモンのいる世界を夢見ていた当時のキッズが見たらどんな気持ちになるんだろう…!と想像して想像でもらい泣きまでしてしまったことは反省しております(笑)。

「僕たちのラストステージ」

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「ローレル&ハーディ」として知られ一世を風靡したお笑いコンビの晩年を描いた映画。監督はジョン・S・ベアード。ケラさんが試写会でご覧になった後絶賛されていて、タイミングが合えば見たいな~と「見たいリスト」に入れておりました。

しかしこれ、見終わった後でさらに思う、原題の「Stan & Ollie」の素晴らしさ。「僕たちのラストステージ」はこう…いや原題のままというのが難しいのはよくわかるんだけど、結果的にネタバレしちゃってるともいえるしねっていう。どこに行っても、だれと会っても、必ず「ローレル&ハーディ」と呼ばれ称されてきただろうこの2人は、同時に「Stan & Ollie」でもあった、その部分を掬い取る映画に相応しいタイトルですよね。

こうしたお笑いコンビのバックステージもの、というところでつい持ってしまう先入観としては、たぶんステージの上とは違ってコンビ仲がめちゃ悪くて…でもってなんだかんだトラブルがありつつも舞台の上ではこいつしかいない的な…っていうのを考えちゃうんですけど、このふたりはステージの外でもすごく仲が良いんですよね。仲が良いというか、いつも「こんなことをやったら面白いだろう」って考えてて、その言語を共有できるのがお互いしかいない、という感じ。とはいえ、過去にいちど二人が袂を分かった時はあって、そのことは抜けない棘みたいにどこかに刺さってて、でもいつかまたふたりで映画をという夢があり、その資金稼ぎに巡業の旅に出るふたりが、最後までその「この言語を共有できるのはおまえしかない」ってことをお互いに思っていたんだなってことが、映画を見ているとすごくよくわかる。

またよかったのがそれぞれの妻が、こういう時によくある(これも先入観)悪妻というか、若い妻をもらってその彼女は浅はかで浪費家で…みたいな感じじゃなくて、妻同志決して馴れ合っているわけではないんだけど、夫への愛情と才能に対する信頼の揺らがなさが描かれているのがよかった。妻同志もどこか戦友のような佇まいがあって、素敵でした。

オリヴァー・ハーディを演じたジョン・C・ライリー、スタン・ローレルを演じたスティーヴ・クーガン、どちらも最高でした。私はとくにいつも飄々としながらも、文字通りペーソスあふれるとしか言いようのない佇まいを見せるスティーヴ・クーガンの素晴らしさにぐっときまくりました。ステージ袖で舞台に出る一瞬前のあのふたりの表情。ああいう場面にめちゃ弱いわたしだ。

めちゃ弱いと言えば、最後のクレジットに出た一文にぶん殴られてしまい、びえびえ泣いた私です。あれはアカン!あれは泣く!