「地球防衛軍 苦情処理係」KOKAMI@network vol.17

鴻上さんの作品拝見するの久しぶりです。Twitterではフォローしているので、どういう作品をやってらっしゃるか、って情報だけはあっても、今までは住んでる場所もあってじゃあ行こうか、というふうにはなかなかならなかったのが正直なところ。でも今はパッと思い立って行けるからね。都会はすごい。

地球に巨大不明生物が現れるようになった時代、その巨大不明生物に対抗する地球防衛軍…の、苦情処理係が今作の舞台。被害が拡大しないように避難キャンペーンをする、苦情の電話を受けつける、クレーマーの対応をする、罹災証明書を発行する…。華やかな地球防衛軍の名前とは裏腹に、ひたすら怒号と罵声を聴き続ける苦情処理係の面々。そこにやってきた新人はやけにこの仕事に前向きで…というあらすじ。

会社勤めを何年かやった人なら一度や二度…や三度や四度じゃきかないぐらい体験しているであろう、苦情処理ないしはクレーマーの対応という、これ以上ないぐらい現実的な側面と、巨大怪獣に対抗する宇宙からの使者と他の惑星からの侵略者っていう、虚構中の虚構を同じ箱にぐいーーっと入れてしまうのが鴻上さんだな~と。舞台設定(地球防衛軍という虚構の苦情処理係という現実)だけフィクショナルに設定して、舞台の上では苦情処理係のターンでしか見せない、という手法もありだと思うけど、ここで虚構は虚構でどーんと見せたらんかい!っていうのはね、この人らしさでしかないと思いました。

これはもう何回もしてる話だけど、鴻上さんは2ちゃんねるができるずっと前から巨大匿名掲示板の出現を具体的に予想してた(作品にも出してた)ぐらい、インターネットというものにものすごく興味があるし、今回の「ごあいさつ」(またしても名文!)でもわかるとおり、そこに可能性をずっと感じてらっしゃる人なんですよね。で、そういう人が描く現代の「ネット住民」たちのリアルさったらっていう。暴言、炎上、そしてまた次。でもその裏で本当はなにがあったかってことはRTボタンを押す人は知らないし、知ろうとしない。インターネットでは常に真実ではなく、「おもしろく見えるもの」だけが回遊魚のようにぐるぐると回る。

怪獣の戦闘をどう見せるかっていうところは毎回違うパターンで工夫していてなるほどだったんですが、あのクライマックスの、二人がかつてダンスした曲にあわせて戦うところで、本来ならもうちょっとあの演出だからこその切なさが高まってくるとよかったのだが、もう1枚壁を破れずという感触で終わってしまったのが残念。あと女の子のキャラクターがなんというか、そうかーこういうイメージか~というところで止まっているような気がして、そこはいまひとつ乗り切れなかった部分。とはいえあの展開はロマンチストな鴻上さんらしいなとは思う。

キャストの中でもっともしどころのある役なのは言うまでもなく矢柴さん演じる武村(配役表がなかったので、正式表記わからず)で、重層的だし離反の匂いを漂わせつつも…という展開、よかった。大高さんはもちろん勘所を抑えまくった芝居で楽しかったです。

そうそう、劇中でハンバート・ハンバート×COOL WISE MANの「23時59分」を使ったダンスシーンがあるんだけど、その楽曲のかかるタイミング、歌詞の内容と物語のリンク、あかるく、けれどさびしさの味もする曲調と、これだよこれ!!という使い方で、こういう既存曲をピックアップしてくる力、さびてないなーと思いました。

「終わりのない」

面白かった!以下容赦なくネタバレしているのでこれからご覧になる方はお気を付けください!

インターネットによって縮められた世界における「漂流」は量子物理学における多元宇宙、マルチバースにおいて行われる。この構図が出てきたときの私の興奮ったらなかった。それ、エンドゲームで履修済みですー!ってなったし、悠理がお母さんからレクチャーされるシーンも「読める…読めるぞ…!」的興奮があった。いやもちろん量子物理学のことを1ミリも理解してるわけじゃないですよ!でもあの選択によって分岐していくというのはエンドゲームでのバナー博士とエンシェント・ワンの対話とかタイムマシーンについての話のところで丁寧にやってくれてたおかげですんなり飲み込めた。だから現代のオデュッセイアの舞台にここを選んだ前川さんの慧眼というか、目の付け所の鋭さにまず一票という感じ。

あと、やっぱり物語として強固ですね。流離譚が手を変え品を変え語られ続けるのも物語の構造として強固なんだからなんでしょうね。流れ着くたびに違う世界、違うルールが適用されるこわさとおもしろさ、そしてなお強まる「帰りたい」という望郷の念。その物語の牽引力にうまく乗ることができたので、あっという間の2時間でした。

場面設定としてはやっぱり未来世界でのイキウメンズ大量投入の場面が面白かったです。世界がぐるっと変わる転換点でもあるし、またイキウメの面々はそういう場面づくりがうまい。浜田さんはほんとなんでしょうね。普通の青年やってるときは普通の青年なんですけどね。あの無機物感はすごい。かれ(ダン)の最後の展開もよかった。ダンが02と言ってて03が起動したと言っていたのでかれは2代目なのかな。先代も同じようにどこかで暴走したのかな。

帰りたいユーリが「こうであったらいい」という場所を作り上げてしまうシーンもよかったな。作り上げてしまうけど、それが自分の歪みが作り出したものだとわかってしまっているところも。わかって、そして壊してしまうところも。そういえば、あのお父さんとお母さんが離婚について語るところ、理念には心から賛同してるし尊敬してる、かかわり合いたくないだけ、って台詞、なにげにパンチが効いてたな。逆に言うと、「関わりたい」って愛なんだよなって思った。

オデュッセイアが本流である以上、オデュッセウスのポジションである主役への比重が極めて重くなる構成になるのは当然と言えば当然なので、うおーこの人もっと見たいのに、っていう部分は確かにあったんだけど、とはいえ物語の流れにはすごく満足しているので(あの伝えてくれ、おまえのやっていることは無駄じゃない、それを伝えてくれって最後にもう一度語り掛けられるシーンむちゃくちゃぐっときた)、私の中では満足度の方が上回っています。主演の山田裕貴くん、初めて拝見したと思いますがなかなかおもしろかった。ちょっと異物感があって、世界から切り離された、という感覚が伝わってくる感じ。イキウメの面々はもちろん手堅く、このシリーズお馴染みの仲村トオルさんも村岡さんも出番は少ないながらも印象にきっちり残る仕事ぶりでよかったです。

「アナと雪の女王2」

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※ネタバレしてるよ!※

エンドロールを見ながら私の脳裏に浮かんでいた台詞、それは

それでもいい。アナは城で、わたしは森で暮らそう。会いにいくよ。魔法の馬に乗って…

って、なんで突然のもののけ姫!?
というわけで(どんなわけだ)、世界中でも日本でも特大ヒット、「アナと雪の女王」続編でございます。監督は1作目と同じくクリス・バックジェニファー・リー

日々薄れゆく記憶を必死で掘り下げてみるに、私多分アナ雪の1作目を見るまでほとんどディズニーならびにピクサーのアニメーションを見てこなかったんじゃないかと思うんですよ。いやめっちゃ幼少期にはそれなりに見たと思いますけど、長じて自らっていうのは記憶にない。劇場で見てないってだけじゃなくてビデオとかでも見てない。

そんな私でも(だからこそ、かも)アナ雪ってやっぱすごいセンセーショナルだったし、それはなんでかって言ったらもちろん一も二もなくあの楽曲の力っていうのがあるんだけど、もうひとつ、典型的な物語の構図をぶっ飛ばしたっていうのが絶対ある。あの「愛する人とのキス」までの展開とそこからのハンスの手のひら返し、そのあとのクライマックスに至る文字通り「どうなるか読めない」ドラマの連打!

続編で、あの大団円からじゃあ次の物語をどう描くのかっていうときに、なるほどこっちにきたのね!って思ったんですよね。で、こういう世界、つまり自然との調和、押し寄せる文明、対立、スピリチュアルな立ち位置の女性(少女)って…見たことある!ってなったんですよ。こういう道具立て、見たことある。それで思わず頭の中がもののけ姫になってしまったのかもしれない。

物語としての新鮮味としては断然1作目の方に私は軍配があがるんですけど、劇中で大ヒットした1作目をちょいちょいいじる姿勢があったり、中盤に突然放り込まれるクリストフひとりボラプ状態に腹筋ひきつるほど笑ったり(これ周りのお子さまが笑ってないので息を殺して笑うのが苦しかった…)あとオラフが果たす役割が笑いの面でもドラマの面でも完ぺきすぎて唸りました。実際私の見てた回、あのシーンでお子さまがオラフ~!つって大号泣してママに連れ出されてたましたからね。しっかり身に来た人にお土産を渡せる作りにしててさすがだな~と思いました。

エルサはエルサとしてこの「第2部」があったことで文字通り「ありのままで」生きることになるし、どんなときでも「今やらなければならないこと」から目を背けないアナが新しい女王となるっていう結末も、落ち着くところに落ち着いた感がありますね。楽曲はメインであるInto the Unknownがやっぱり印象に残りますが、むちゃくちゃドラマチックに歌い上げるお松もすごいし、あの難曲をすらっと歌っているように聴かせるイディナ・メンゼルもすごい。

そうそう、前作の氷の城築城シーンのような魔法と映像そして音楽が三位一体となって陶然とするしかない!ってシーンもすごかったですけど、今回も氷と、さらに水の表現がすごく豊かで、アニメーションであることを一瞬忘れるほどでした。しかしあの波頭が馬を形作るシークエンス、LotRのシーンを思わず思い浮かべてしまい、いやはや指輪の幽鬼の病膏肓だな!と思いました(笑)

「ターミネーター:ニュー・フェイト」

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全世界で大ヒットした「ターミネーター2」の「正統な」続編!あのジェームズ・キャメロンが製作に復帰!サラ・コナーも戻ってくる!とこれ以上ないほど鳴り物を鳴らしてやってきたターミネーターの新作です。監督はティム・ミラー

むちゃくちゃよかったなー!というところと、いやそこはちょっと飲み込めねえっす!ってところが両方あって鑑賞後の気持ちがなかなか複雑でした。最高だったのは言うまでもなくマッケンジー・デイヴィス演じるグレースのキャラの立ちようと見事なアクション、そしてダニーとグレースの連帯だし、そこにサラが絡んできて、自立した、自分のことは自分で決める、という意思のある(そして世代の異なる)3人の女性が物語を牽引していくとこ。

しかしながら物語全体の流れとしては残念ながら私の求める美しさに欠けるというか…「こういう展開にしたいためにストーリーをこの方向にねじまげる」というところがあっていやー、どうなんスかね…という気持ちも否めず。冒頭でのジョン・コナーのあれにはそれほどショックは受けてないんですけど、ミッションを果たした後のT-800の顛末にかなりげっそりしてしまった。夫の暴力を受けて行く当てのない母子と暮らし人間としての気持ちに目覚めた(っていうのを台詞で言っちゃう)って、いやお前はマグニートーか!?女が足手まといになるとわかってて窮地に乗り込みことさらピンチを創り出すマッチポンプに飽き飽きしているのと同じくらい、男が守るべきものに出会って人生をやり直すパターン(その守るべきものの無垢さも含めて)も「もう それ 見た」感が強すぎる。それにさー、T2でのもっとも美しい描写といっていい、あの「人間がなぜ泣くのかわかった おれには涙を流せないが」っていう、あの叙情を、台詞で説明すんのかい!みたいながっかりさがありますよ。

あとこれは難しいとこなんだけど、シュワルツェネッガー演じるT-800とリンダ・ハミルトンのサラ・コナーの登場シーンがそれぞれ予告で出てしまっていて、いやでも出てるからこそ客も観に行きたいと思うわけなので、出さないわけにいかないし、でも本編見ながら「このあと出るんだな」ってわかっちゃってるのは残念でもあるし…いやこれはホント難しいよね…。

追ってくるRev-9を除けば、いや含めても劇中もっともバイオレンスなのがサラで、これだけ強い意思の「絶対殺すマン」を体現してくれてるの本当に最高でしたね。グレースほんっとにかっこよかった。登場して3秒で「マッケンジー・デイヴィス夢女子理解」の旗が立ちました。サラとダニーの違いはさ、もう見てるほうはダニーに聖母マリアの位置づけをあてはめるってのはさすがにねえわ、と思ってるとこもあるし、あと劇中の目くばせ(グレースの反応とか)も多いので、サプライズというような感じはしなかったです。

あの決めセリフの「I’ll be back」をサラに言わせ、シュワちゃんに「I'll won't be back」と言わせるのとかすごくよかったんですけど、テレビで放送していたT2を改めて見たら、マジで隅から隅まで名作すぎるやんけ…ってなりましたし、ターミネーターのアイデアとしてあの液体金属のT-1000を超えるインパクトって28年経っても出てこないもんなんだな…ということにもしみじみしたりしました。

「永遠の門 ゴッホの見た未来」

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監督はジュリアン・シュナーベル、主演ウィレム・デフォー。デフォーはこの役でオスカーの主演男優賞候補にもなっています。映画のポスターにもなっていたと思うんですけど、あの有名なゴッホ肖像画のスタイルで撮られたショットがウッ…と思うくらいに似ていて、日本で公開されたら見たいな~と思っていました。

あのデッサン帖とか、ゴッホの死の真相については新説を採用した脚本になっていて、おお、なるほどと思う一方、銃の誤射だけならともかく(そして銃を捨てるとこまではともかく)絵を埋めるってところも含めてけっこう強引な書きぶりだなという違和感も残る感じ。デッサン帖の方はまあ夢があるというか、そうだったかもしれないと思わせるし、エンタメとしても納得のいく描写だったなと。

昔、ゴッホ(とゴーギャンとスーラ)を題材にした芝居で、彼(ゴッホ)には世界がこう見えているんだ、って台詞があって、それがすごく印象に残ってるんですけど、まさに「そう見えている」世界をゴッホの視点から描いてましたよね。極端に狭い視界、焦点が合わず周囲と混ざり合う世界…。

しかし残念なことにというか、開始10分ぐらいで「これはひょっとして…ヤバいのでは」という予感はひしひしとしていたんですけど、この揺れるカメラにかなりやられてしまいまして、ゴーギャンから別れを告げられる場面でそれが頂点に達し、あの繰り返し脳内に響く台詞の相乗効果もあって「あっダメだ…ちょっと目を閉じさせて」となってしまったことを告白いたします。自分が揺れる4DXとかは大丈夫なんだけどね…この手持ちカメラの揺れみたいなやつには弱い私…。

実際のゴッホはもっと若くして亡くなったので、デフォーの年齢からするとどうしても達観めいたところが出てしまう(マッツ演じる神父との対話とか)のはあるけど、それを差し引いてあまりある、芸術に生きることの切実さがデフォーからあふれ出てて素晴らしかったです。テオとのシーンぜんぶよかったな…。あとゴーギャンをやっていたのがオスカー・アイザックでむちゃくちゃハマってました。オスカー・アイザックに行くなとすがるデフォーなんて、そんなもん最高に決まってますよね!

「平成中村座小倉城公演 夜の部」

小笠原騒動。初見です!以前平成中村座でもかかってますけど見てなかった(なんで見てなかったんだろ?)今回は岡田良助と犬神兵部の二役を勘九郎さん、お大の方とおかのを七之助さん、小笠原隼人と奴菊平を獅童さんという配役。小笠原騒動はご当地、小倉藩のお話ということもあって今回の演目に選ばれたそう。

いやー面白かったです!平成中村座の楽しさのひとつである「今まで見たことない景色を見せてくれる」という点でかなり満足度の高い観劇になりました。これ三幕だけがかなり独立したお話つーか場面になるので、二役の割り振り方がいろんなパターンできたりするんですね。

いやもうなにがって、飢えたオタクの前に御馳走が並ぶとでもいいましょうか、あんな勘九郎さんこんな勘九郎さんが手を変え品を変え出てくるんだからもう、目が皿(日本語は正しく使え)。お早に親切にしてみせる岡田良助もいいし、そこからきろっと目の色を変えて女をなぶり殺しにするのもいいし、家族の惨状を目の当たりにして心中期するところをみせるさまもいいし、立ち回りはあるし、立ち回りはあるし、むしろ回るし(水車で)、さらに大詰めは大悪人犬神兵部の大立ち回り…っていやもう、空腹時にこんなに一気に食べたらお腹こわすって言われるかもしれないけど食べずにいられない。ハアハア。

座席も座席だったので、もうなにがどうあっても勘九郎さんをガン見するんだい!という強い意思で臨み、いいだけガン見しました。ほんと驚くんだけどさ…あのひとマジで世界一かっこいいんですよ、知ってた?知ってたかーそっかーーわたしも知ってた!みたいなひとりごと何度も胸中で繰り返す羽目になりましたよ。

大詰めの立ち回り、アイデアに満ちた「ワンダー」がぎゅうぎゅうにつまっていて、また盛り上げ上手の九州のお客さんに乗せられて、最後の高揚感がマジですごい。客席を隅から隅まで盛り上げてくれる。これほんと中村座の強みですよね、こうして「そこを劇場にしてしまう」っていうのは。こういう公演でなければ足を運べない、運ばない客層っていうのは絶対あって、そこをもらいにいきますっていうその精神や良しだよ。

あと印象に残ったのが小平次をやった橋之助さんとお早の虎之介さん。ことに橋之助さんは「えっ!?いきなりどうした!?」ってぐらい顔が変わった感じがある。変わったというか、顔がきまったというか、子どもの顔じゃなくなった。やっぱ襲名とか大きな仕事のあとっていうのもあるのかなあ。いやーよかったです。虎ちゃんのお早もはまり役。鶴松さんは小萩と林和馬の二役で、立ち役と女方両方楽しめたし、やっぱりふとしたときの芝居勘がほんっと、いいよね…!

小倉ならではの鳴り物の演出があったり、ご当地方言での小芝居があったりしたのも面白かった。七之助さん、お大の方のシリアスみは維持しつつもちゃんと笑いを拾ってみせるのがさすがすぎた。七之助さんのお大の方、めっちゃいい。あの養父を縊り殺すところ写真がほしい。真逆の耐える女おかのもたっぷり楽しめるし、ほんと全方位で満足度高かったなー。

大河ドラマでお休みされる前(いやもっと前か…)から、勘九郎さんの声がいまいち本調子じゃないように思えて、それがずーっと気になってたんですけど、今回の公演で何が嬉しいってやっと「そうそうこの声!」っていう声に戻ってきたんですよねー。わたしにとって役者は声と立ち姿で、勘九郎さんは立ち姿はもう満点突き抜けてるから、ほんと声だけが気がかりだったんですけど、それが解消されたのは個人的にすごく大きい。長いお休みもしてみるもんだなと思ったりしましたね。

カーテンコール2回?3回かな?あって、勘九郎さんがご挨拶されたんだけど、小笠原騒動はご当地小倉のお芝居でこうしてこの小倉の地で上演出来るのも一生に一度、一期一会だと思うので、その証人になってくださってありがとうございます、って仰ってました。あと昼の部も楽しい演目が揃ってるのでぜひ…と言いたいところなんですが、もうチケットないそうです!(しょうじき!)後ろからもちょっと見られるのでご近所の方はどうですか、とあけすけなことも言っておられました。でもこうして満員御礼なるの、ありがたいですね。九州のお客さんの、それこそ「待ってました」感がより芝居をおおきくたのしくしてくれていたような気がします。心の底から大満足!

「平成中村座小倉城公演 昼の部」

神霊矢口渡。七之助さんのお舟は初役ですかね。登場の時の第一声がなぜか声がカッスカスでびっくりしました。七之助さん喉強い印象だったから。でも後半ぜんぜん問題なく出てたので単に朝イチで調子がでなかっただけかな~。ぎゅんぎゅんに恋する乙女から、髪を振り乱して好いた男を逃そうと太鼓を打ち鳴らす熱情の芝居まで堪能できてよかったです。これ以前にもこの演目見た時も思ったんですけど、ラストでセットが回転して奥行きのある見せ方になるのがいいですよね。

お祭り。「待っていたとはありがてえ」のあれでございます。いやもっとゴリッゴリに踊ってくれる演目でもよくってよ!?と思ったりもしましたが、中村座九州初上陸ってことでの「待ってました」もあるんでしょうね。しかし、席が席だったので、いやーもう短い間とはいえゴンゴン目線が飛んでくるわ、あの美しい手さばきを目の前で拝めるわで短くてよかった長かったら命がないのでは…と思うほどでしたし、見れば見るほど好き…という感情しか沸いてこなくて自分でも笑いました。あの足の伸び!ハー!美しすぎて寿命も延びるってなもんです。最後は後ろが開いて、小倉城天守閣を借景にするという贅沢さ。満足。

封印切。封印切の感想書くたびに「この芝居あんま好きじゃない」って書いてて申し訳ないんですけど、やっぱどうしても苦手なのよね~(でもよくかかるのよね~)。今回は忠兵衛を獅童さん、八右衛門を勘九郎さん、梅川を七之助さん。いわゆる「つっころばし」の加減の難しさを痛感したというか、だめなところがあっても憎み切れない男のかわいらしさ、みたいなものを匂わさずにしっかり出そうとするとオーバーアクト気味になっちゃうんですよね(かわいさを見せようとしすぎるっつーか)。あとこれ勘九郎さんも獅童さんもこういう役柄のときの芝居がわりと直線的なんですよ。強い。だから双方の芝居の相性は合ってるんだけど、封印切のあのねぶるようなやりとりとして見ると固い感じになるつーか。とはいえ勘九郎さん、むちゃくちゃ嬉々として八右衛門やってらっさいましたけどね。悪いお顔を堪能出来て、ファンとしても楽しかったですけどね。とはいえ個人的には「お前は金のないのが因果、おれは金のあるのが因果」の台詞はもっとズバッといってほしかった感がありました。