2019年の観劇ふり返り

令和2年明けました!明けてもう3日目!というわけで今頃ですが2019年の観劇ふり返り参ります!明けましておめでとうございます!

総観劇本数48本。リピート含まずなのは例年通りですが、もはやリピート自体殆どないのも例年通りです。かろうじてけむりの軍団を2回観たかなぐらいです。そして2019年は個人的に観る芝居の選択をする際に自分の中でいくつか決めごとをしておりまして、それが「単価の高いミュージカルはひかえめにする」「歌舞伎の割合を去年よりもおさえる」など。まあ個人的な懐具合ありきのテーマではあるし歌舞伎は勘九郎さんお休みだからってのもありますが、まあいろいろ思うところもあり、そもそも私は自分の出発点は小さな劇場の会話劇だったのではないか…と思ったり思わなかったりで、今年はできるだけミニマムな芝居を優先して見に行こう!と思っていたんでした。

ということで2019年良かったもの5選(観た順)。

トロンプ・ルイユ
ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ
チック
命、ギガ長ス
最貧前線

パッと選んでちょうど5本だったんですが、このほかにもミュージカルだったらキンキーブーツ、歌舞伎だったら四月こんぴらのすし屋とかもよかった。

小劇場ならではのアイデアと見立てに満ちた作品という意味では「トロンプ・ルイユ」はかなり満点に近くて、見立てることからくる面白さと切なさがきっちり両輪にあって本当に大好きな舞台でした。2018年から続いたシアター風姿花伝の企画のおかげでパラドックス定数の作品を多く観ることができたのはうれしかったな。

ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶはプロデュース公演のお手本というか、レキシの楽曲でミュージカルをやるという優れたアイデアに、それを実現するならこの人しかいない、という演出家をちゃんとひっぱってきて、キャスティングもスタッフもガッチガチのガチな布陣という、よくある寄せ集めとは一線どころか三線ぐらい画す作品だったなと。これぞプロの仕事。

チックは、初演の評判を耳にしていたので再演チャンスに飛びつきました。こういうところだけは記憶力がまだ生きている。評判に違わぬ高いレベルの作品で、ラストシーンのプールの底に沈んで上を見上げる、あの見せ方と「思っているよりもずっと長くそうしていられる」という台詞が重なるところ、忘れられないですね。

私は松尾スズキさんの作品をそれなりに長いこと観てはいるんですけど、ずっと「私は松尾さんのいい観客じゃないな」っていう感覚がどこかにずっとあって、めっちゃ憧れてるんだけど、好きなんだけど、私に矢印が向いていないような、作品は大好きなのに「私のものではない」みたいな一枚膜を張ったような感覚がずっとあったんですけどね、この「命、ギガ長ス」は初めて松尾さんの作品とガッチリ握手できた!って感じがしたのが嬉しかった。「ただ、いたずらに、長らえるだけでもいいので!」っていうあのセリフの風を真正面から受け止められたというか。個人的に記念碑的な感じです。

最貧前線は布陣からすると間違いなさそうだけど、宮崎駿の短編漫画を舞台に、というのが吉と出るか凶と出るか、という気がしてたんですけど、演出も脚本も、そしてもちろん役者も一分の隙もない仕上がり。なにより、エンターテイメントとしてよくできてる!そこがすごく好きでした。こういうテーマを扱って重いボールを投げるのも勿論大事なんだけど、まず作品として愛せるっていうところの視点がしっかりある。

2020年もすでに気になる公演情報が続々入ってきつつありますが、夏はオリ・パラ関係で遠征が途轍もなく困難になりそう(宿がない)なので、ちょっとうまいこと考えないとだめかな~って感じですね。2020年もたくさんの良き芝居と巡り合いたいです!

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」

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スターウォーズ、全9部作の完結編!監督は前作のライアン・ジョンソンから7作目を撮ったJ・J・エイブラムスにふたたびバトンタッチ。

見終わった後まず思ったことはうんうん、よかった、よかったじゃん。各論で飲み込みにくいところがある気がしたけどまあまあ、よかった!うん、よかったよ!だったので、よかったんだと思います(語彙どこ行った)。いちおう全作見ているけれどさほど強烈な思い入れがあるわけではない、とはいえ私は前作の「最後のジェダイ」がどう頑張っても飲み込めなかったタイプの人なので、JJに戻ってよかったなと思いましたし、わりとすっきり劇場をあとにできた感じです。

このあとむちゃくちゃネタバレている(製作側が予告編とかでも出してない系のことも書いてる)ので、まだ見てない人は見てから読んでね。

むむむ、となった点はやっぱりパルパティーン周りのところですかね。あのお馴染みのオープニングからいきなり1行目で復活したってことで話を済ますの荒業すぎんかってなったし、とはいえスノークがこの前に死んでるからお出まし願うしかないわなってのもわかるし、いやでもだったら最初からそういう筋で話を作っておかないか?ってのも思うしでモヤらなかったと言ったら嘘になる。あとあのじいさんレイをどうしたかったんだ。「生かして連れてこい」でここは一貫したほうがよかったのでは。カイロ・レンにレイを殺せっつったり、レイに自分を殺せっつったり、レンとレイに死ねっつったり、お前のヴィジョンが見えねえんだよ!!!ってなりましたもんね…

あとストーリーラインの軽重というか、どこに重きを置くかのバランスがシーンごとにバラバラなんですよね。銀河の危機なの?チューバッカの命なの?アンドロイドのシステムアンインストールなの?その時々での「重要事項」だけを追いかけて描いてるのでC-3POの翻訳システムと全宇宙の危機が同じ天秤にかかることになっちゃうっていう。チューイの件も、いやあれがチューバッカの最期のわけない(さすがに暴動起きるぜ)って観客も思ってるのにそれが物語として引っ張られるっていうジレンマ。

なので、私がもっとも重要視する「物語が美しい流れを描く」という点では疑問符を付けざるを得ないんですが、それでも最終的に「よかった」に針が傾いているのは主要キャラクターの描きぶりとしてはわりと満足いってるからという気がします。私フォースの覚醒のポー・ダメロンが大好きなんですけど、最後のジェダイでの彼がほんとしょんぼりしちゃうアレだったので、今作でなんとか中間地点ぐらいまでには持ち直した気がしたし、レイとポーとフィンの3人にフォーカスをあてたところはぶれなかったのが自分の好みにあったんだなと思います。最初のさ、ポーがBB-8の愚痴を聞いてレイがミレニアムファルコンになにしとんだゴルァみたいなああいうやりとりがめっちゃ好きなんだよね私。フィンは今回むたくた頼りになる男で、ポーのちょっかいを軽くかわしてるのもいい感じです。今回また新しくいい雰囲気の女の子でてきたけど、毎回こういうの出さなきゃいけないルールでもあるのかとはちょっと思ったな~。だってフィンはレイにやっぱり心がある感じするじゃん。それだけじゃだめなんかい?

あとはなんといってもアダム・ドライバーだよね。フォースの覚醒で見た時は「またすごい重要な役に思い切ったキャスティングだな」って思ったけど、今となっては制作陣の慧眼おそるべしとしか言いようがない。スターウォーズによって有名になった役者はいっぱいいるだろうけど、アダム・ドライバーはもうその域を超えてるつーか、もはや逆にカイロ・レンが彼じゃなかったら?って考えると恐ろしい感じがしてくるもん。いやもうほんと素晴らしい。言葉では言い尽くせない。

レイとの「交信」も、今回の見せ方はかなりオタク心くすぐるっつーか、あのライトセイバー・パスはうおー!てなったもんね。あのデス・スターでの父との会話、そこからの展開も、相当強引な展開なのに、アダム・ドライバーに集中して見ているとちゃんと乗っていけるんですよ。

最終決戦の構図もまあ、いつものあれだよね!と思うし、「彼らはやってくる」な展開も、エンドゲーム…とか、ダンケルク…(民間船だけに…)とか思ったけど、私この味は何度でも美味しく頂けるタイプなので美味しくいただきました。まあ、あの前振りで「来ない」ルートなんてないんだけど、でもここぞというところで来るとわかっているものが来る気持ちよさを味わうの、きらいじゃない。

ジェダイは血ではない、という最も強烈な証左となるレイの最後の対決とあのラストシーン、あそこが最高に腑に落ちたというのも読後感じゃねーや鑑賞後感がよかった要因かもしれません。

あとエンドロール、これでもか、これでもかとばかりに浴びせてくるジョン・ウィリアムズの名曲の数々。あれは席を立てません。このあともマンダロリアンはじめシリーズの系譜は続くみたいですが、とりあえずはいったんのピリオドですね。おつかれさまでした!

「モジョ ミキボー」

  • シアタートラム B列6番
  • 脚本 オーウェン・マカファーティ 演出 鵜山仁

今回が再再演になるんですかね、以前からタイトルは耳にしたことがあったんですが、この夏に観た「チック」がすごく良くて、その時にたしか「モジョミキボー」もいいですよ、再演しますよって話題を見かけた気がします。

チックの舞台はドイツ、モジョミキボーはアイルランド、どちらも中心になるのは少年二人…なんだけど、物語の手触りとしてはかなり違う作品。モジョミキボーにはカトリックプロテスタントという、アイルランド紛争の深い根がびっしりとはりついており、その根っこは少年時代の甘やかな連帯、というようなものをも覆い隠してしまう力がある。

登場人物すべてをお二人が演じられるんですが、その「役」を象徴する小道具(スカーフとか、エプロンとか、帽子とか)を効果的に使うっていう手法と、逆に声色と姿勢、表情だけで役替わりを見せていくのも、両方堪能できてすごかった。こういうときって、自分の担当の役同士が会話するときは対話の片方を一人が喋る(言ってみればエアー相手役状態)ことで表現したりするけど、対話も全編シッカリ喋らすので、これは石橋さんと浅野さんのまさに磨き上げられた匠の技という感じ。当たり前だけど、今どっち?みたいなことは一切起こらない。さすがです。

物語のかなり根幹の部分に、映画「明日に向かって撃て!」が関連してて、有名なシーンを再現してくださった映像が流れる(むちゃくちゃ笑いました)んだけど、これは映画見といてよかった、見といてっていうか私もむちゃくちゃ大好きな映画なので、モジョとミキボーがブッチとサンダンスに憧れて、それをなぞろうとする心がすんなりつかめたのは大きかったなーと思います。ラストシーンなんてね、まさにそのまんまですもんね。

セットのミニマムな書き込みと、最小限で最大の効果を狙う大道具、照明も印象的でした。なにより再演を重ねて石橋さんと浅野さんのふたりの練り上げられた演技が見事で、いい芝居を観たなあという気持ちにさせてくれる作品でした。

「ラスト・クリスマス」

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クリスマス・ロマンティック・コメディ。どこをとっても私の嗜好と縁がなさそう。最初はそう思ってました。エミリア・クラークヘンリー・ゴールディングも好きだけど、あのキラキラ感あふれるフライヤーに「クリスマスに奇跡が起こる」のキャッチコピー、音楽はあのクリスマスソングのド定番のワム!、見に行く選択肢に入ってなかったですよ直前まで。でも私のツイッターのTLでまったく別方向から激賛が入ったんですよ。え?そう?しかも「前情報何にも入れないで見て!」とかいうじゃん。気になるじゃん。ということで遠征の隙間に足を運んできたってわけです(前置き長い)。いい?じゃ、私も言うけど、

何にも前情報入れないで見て!

いやー、よかった、よかったです。このクリスマス迫る今の時期だからこそ見てほしい。クリスマスがやってくる前に見てほしい。脚本はエマ・トンプソン、監督はポール・フェイグ

クリスマスショップで働くケイトは居候していた友人宅を追い出され行き場に困っている。実家はあるが、帰りたくない。ケイトは歌手を目指していて、オーディションを受けたりもするが、うまくいったためしがない。ケイトの一家はユーゴスラヴィア紛争のため難民としてロンドンにやってきたのだが、弁護士だった父はタクシー運転手となり、母は誰ともかかわろうとせず、子どもたちへの干渉を深める一方だ。ケイトの姉は女性と交際しているが、そのことを両親にカムアウトしていない。真綿でゆっくりと首を絞められているような日々の中、不思議な青年がケイトの前に現れる。

あんなに推されるぐらいだから、何かがあるのだろう、それは「あっと驚く展開」のようなものなのだろう、というぐらいの読みは当然していて、その「あっと驚く展開」はもちろんあったんだけど、でもそれがこの物語のキモではないのだった。それがすごい。そこから何を受け取ったのか?ということが淡々と積み重ねられて描かれている。私の敬愛する俳優がかつて言った、「他人を変えられると思うなんて傲慢なことだよ。自分が変えることが出来るのは自分だけだ」って言葉を思い出したりした。ケイトが目の前にカップを置いて、歌って寄付を募る場面、最初にコインを入れた紳士が帽子の縁をきゅっとさげる仕草をする、ああいう一瞬がどうしようもなくぐっとくる。

ねえ、生きてるってすばらしいことよ。生きてるからこそ助け合える。こんなド直球歳末助け合いみたいなセリフで、まさか自分がどうしようもなく泣いてしまうとは。

家族との「ままならなさ」の描き方もよかったな、居候しているケイトのはた迷惑ぶりったらない(家を追い出されたと聞いて最初はえっひどい、と思う観客も、5分後にはそりゃ追い出されるわ…と思うであろう)、でもあの母親と一緒に暮らせない、と思っちゃうのもわかるし、姉に対するケイトの仕打ちは弁護の余地なしなんだけど、でも一つずつ関係を構築していこうとする、それがまた一気にうまくいくんじゃなくて(あの外国人が多すぎる、の母の台詞に対するケイトの表情、最高よね)3歩進んで2歩下がるみたいな長期戦が予想されるのも、よかった。そうやって自分が変われば、世界も少しづつ変わるっていう。

ケイトの勤めるクリスマスショップのオーナーがまた素敵で(ミシェル・ヨー!)むちゃくちゃ毒舌なようだけど最後の一線のところで他人を見捨てない、っていう人物像なんだよね。あそこでケイトをクビにしないの、本当すごい。折々に出てくる女性警官のコンビも効いていて、いや思えばさ、こういう「別に性差なくどっちの立場でもいい」っていうキャラってもれなく男性がやってきたよな…ってことも思ったりしましたね(この手の男性警官コンビってむちゃくちゃ頻度高いもん)。

コメディとしてもフックが効いていて楽しく、あとなによりワム!の音楽に対するポール・フェイグ監督の愛を、ジョージ・マイケルに対する敬意をむちゃくちゃ感じるフィルムでした。この季節、耳にしないことはないあのラスト・クリスマス
Last Christmas,I gave you my heart
But the very next day you gave it away
この歌詞を耳にするとき、今まで思いもよらなかったことを思ってしまうかも、この映画を見た後では。

エミリア・クラークの魅力爆発、ヘンリー・ゴールディングの魅力大爆発、脚本を手掛けたエマ・トンプソンもさすがのインパクトある母親ぶり、すみからすみまで「いいいキャラ」尽くしで本当に愛しさあふれる映画でした。どんなマイノリティも置いていかないぞ、という心意気のクリスマス・ムービー。ぜひジングルベルの鳴る前に映画館で!

「近江源氏先陣館 盛綱陣屋/蝙蝠の安さん」

近江源氏先陣館 盛綱陣屋」。白鸚さんなんと28年ぶりの佐々木盛綱だそう。吉右衛門さんはわりと手掛けられている印象があるんですけど。あと今年の初めに仁左衛門さんの盛綱も拝見しましたっけね。

これこの演目の感想のたびに書いてる気がしないでもないんですが、私は子役の出てくる芝居が苦手なんですけど、盛綱陣屋は見るたびにそのことを忘れさせるつーか、いや最初はやっぱり苦手だなと思うんだけど、後半につれそのことを忘れさせる場の力がありますね。盛綱の「相違ない、相違ござらん」「偽首の計略成った、対面ゆるす」で舞台の上も客席もどっと息を吐くあの瞬間のカタルシス、何回見ても劇的でおもしろい。

小四郎をやっていたのが松本幸一郎くんというお名前だそうで、このお名前での初舞台らしいんだけど、立派だったなあ~~!これからが楽しみになる役者ぶりでした。

「蝙蝠の安さん」。かの名作、チャップリンの「街の灯」を歌舞伎化した作品を、幸四郎さんが88年ぶりに上演。宣伝ビジュアルも完全に和のチャップリン幸四郎さんの愛嬌あるしぐさがよく似合ってました。

もとが「街の灯」なんだから、そりゃもう物語はいいに決まってるってなもんですが、しかしただ物語の良さをみせるだけじゃない、楽しく、ペーソスのあふれる舞台に仕上がっていて、こういうときの幸四郎さんの信頼の裏切らなさよ。

花売り娘と出会って、その娘が自分を裕福な旦那だと勘違いしてしまうときの可笑しさ、酔っぱらった新兵衛との息の合ったやりとり、そしてあのラストまで、笑って笑って、最後にはぐっと胸に熱いものがこみあげてきてって、もう世話物の王道じゃないですかって感じでしたよね。

あの花道から新兵衛の乗る船がやってきて、高くなった橋げたのセットの下をくぐり、その橋げたのセットが下りてきてお花との出会いの場面になり、また安さんがねぐらに帰るところで昇っていくセットを縄ばしごで降りてくる安さん…という一連の舞台転換が見事すぎて唸りました。転換で客を待たせないというだけじゃなくて奥行きと高さをいっぺんに出現させて、しかも客から見づらくなるシーンがない。素晴らしいですね。

ラストシーンのお花と安さんの場面、あれほんと匙加減ひとつ間違うと難しい(お花が薄情に見えてもだめだし、安さんが恩を売ってるようにみえてもだめ)んだけど、あの場面での幸四郎さんの佇まいがほんっとに絶妙で、お花の目が治ったうれしさ、でも自分はここにいられず、そして自分がしたことを語ることもない哀愁が舞台の上に満ちていて、だからこそお花の手を取った瞬間の表情と、それを見守る安さんに胸がいっぱいになってしまうんだよなあ。あそこはほんと幸四郎さんと、そしてお花をつとめた新悟ちゃんの品の良さが出た場面だったなと思う。

あと猿弥さんと幸四郎さんの爆笑コンビっぷりな!もう、あの橋の下でのやりとり、どうということはない「魚が、魚が獲れた」でひーひー言うほど笑ってしまった私ですよ。酔いがさめたときの旦那っぷりとのギャップがまたおかしい。ほんといいコンビですよね!

「新作歌舞伎 風の谷のナウシカ」

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  • 新橋演舞場 1階9列2番/1階10列16番
  • 原作 宮崎駿 脚本 丹羽圭子/戸部和久 演出 G2

基本的に感想書くときはそのチケットごとで区切ってるので、原則に沿えばこれも昼夜でわけて書くことになるんだけど、原則があれば例外がある、ということで昼夜通しの感想といたします。というか、やっぱり分けて書くのが難しい。

宮崎駿の長大かつ壮大な原作7巻に及ぶ「風の谷のナウシカ」を昼夜通しで新作歌舞伎として上演。無茶しやがる!主演のナウシカを務めこの公演の座頭である菊之助さんの執念たるやである。原作もさることながら劇場版アニメはそれこそ老若男女に膾炙した作品なわけで、そのイメージがあるだけに「ナウシカを…歌舞伎で?」という戸惑いがなかったと言ったら嘘になりますが、それもこれも菊之助さんのこの作品にかける情熱が吹き飛ばしていきやがったぜ、という印象。

歌舞伎はもともと「美しく物語る」というよりも、物語の場面場面のドラマを濃縮還元してお届け!みたいな傾向があると思いますが、この作品もストーリーラインを丁寧に追うというよりも、場面として強いところにきっちり焦点を当てて構成しているという感じがして、そこはさすが菊之助さん、歌舞伎の子だなあという感じ。そして、劇場版アニメによって観客にもイメージがついてしまってる序幕の部分よりも、そのあとの場面の方が創り手の発想も自由で、歌舞伎味もふんだんに味わえた感じでした。あのテトとの「こわくない…こわくない」とかさ、もうあれ自体がミーム化しちゃってるところもあるもんね。

あと、私が一番すげえなと思ったのは、大詰での庭の主とナウシカの対話、それからシュワの墓所での墓の主とナウシカの対話の場面です。我々は作られた存在だ、この穢れた大地とたまさかの時間を過ごし、そして消えてゆく、滅びるのがわたしたちの定めだ、と。でも、生は生である。そうか、と思いました。菊之助さんがなぜこの作品を、新作歌舞伎の昼夜通しというべらぼうに高いハードルを越えてまでやりたかったのかわかったような気がしました。正直、この作品において(菊之助さんの腕の怪我により演出の変更があったことを引いても)他のキャラクターのようなわかりやすい「しどころ」がナウシカにはない。原作でも彼女は基本的に受ける立場なので、クシャナやミラルパやクロトワみたいに面白いボールをぶんぶん投げる立場の人ではないんですよね。でも大詰めにおいてはまさにナウシカこそが芯だし、そしてこの物語の芯も結局はここにある。

ちょっと脱線するけど、この場面を見ているときに思い出したことがひとつあって、私の敬愛する漫画家である獣木野生さんが、伸たまきさんと名乗っておられた頃に書いた「2821コカ・コーラ」という中編があります。その中の台詞。

「ぼくもきみも邪教のもとにうまれついた
けれどもそれにはなにかわけがあるんだ
僕らはけがれた存在だがその時は
小さく砕け散って やがて生い茂る草や木の糧となるだろう」

原作を読んだ時は、その物語を追うのに必死というのもあるけれど、この2821コカ・コーラの台詞のことなんか頭をよぎりもしなかったのに、そういうことだったのか…!という、10?20?年越しの得心というか、天啓というか、そういう気持ちをこの舞台で呼び覚ましてくれたことに私はむちゃくちゃ感動しました。生は生である。生きねば。

歌舞伎アレンジとして面白かったところは、クロトワがクシャナの前で言う「おれはシッポを出しちまうぜ」から始まる七五調、言うまでもなく弁天小僧ですよねー!亀蔵さんのクロトワ、はまり役にもほどがありましたね。二幕の、王蟲を育てる溶液をひっくり返しての松也ユパ様とアスベル右近くんの大立ち回りもアイデア満載で面白かった!本水の立ち回りここでくるかー!っていうね。松也さんのユパさまジャンプめっちゃかっこいいけど足もと滑りそうで怖いのでなんか敷いてあげて!(突然のオカン魂)ヴ王歌六さんっていうのも、なんとも贅沢で、でも歌六さんほんとなにやらせてもうまいからヴ王の存在感マシマシだったなー。巳之助さんのミラルパ/ナムリスもよかった。個人的にはナムリスの立ち振る舞いが好き。あとみんな言ってるけど橘太郎さんのミトじいがミトじい以外のなにものでもなかった…声までミトじいだったもんね…。

シュワの墓所の美術、からの大量ぶっ返りもおおおおこう来るか、って新鮮さがあって好きでした。あと!庭の主の芝のぶさんな!!!あのお声、あの芝居の確かさ、芝のぶさんご自身この原作にひとかたならぬ思い入れがおありのようで、あの不思議な佇まいとナウシカとの非常に複雑で、でもこの物語のまさにキモ!な対話の数々、いやはやお見事でした。

あとは何といってもあのクシャナが第三軍と合流、兄皇子との対面、クロトワの機転…からのあのクシャナの子守歌じゃないですかね。原作でももちろん屈指の名場面ですけど、蟲に囲まれ、クロトワを胸に抱いて目を伏せたクシャナが歌う旋律、っていうのが立体化したらこんな美しく一種荘厳な場面になるのか…!という驚きと感動があった。あの場面もっかい見たい。それにしても、七之助さんのクシャナはすごかったね。いや、ハマると思ってましたとも、過去にもそういうアレでナニをたくさんアレしてきましたから。しかしマジのマジで「これが…2.5次元…!」みたいな新鮮なトキメキがありましたよ。「醜く太った豚に情けは無用!」「やれ」「雲の上にて待つ!」「しょせん血塗られた道だ」etc…いやもう、クシャナ殿下目覚まし時計がほしい。夢女子の一人としてクシャナ殿下に叱咤されたい。そうそう、原作読み返した時に「このシーン…やる気がする」とピーンときた、クシャナナウシカに「後ろをとめてくれ」って着替えを手伝わせるシーンな!いやあの衣装からして止めるとこなさそうですけど、でも私にはわかってました、菊ちゃんぜったいここやってくれるって!だって!萌えるから!(最低だなお前)いやでもまんまと萌えましたよね!?ナウシカクシャナっていうだけでも萌えるけど、だって中の人菊之助さんと七之助さんよ!?(もうわかったから落ち着け!)

舞台美術も衣装もむちゃくちゃ頑張っていて、私の観た回で幕がタペストリー幕に引っかかって降りない!みたいなハプニングもあったんだけど(別の幕を下ろして乗り切った)、いやこれだけ段取りと早替えと小道具大道具の転換の山って、普通に考えて常軌を逸してると思いますもん。キャストの中には七之助さん始め26日まで小倉にいた面々もいて、中10日余りでこれを作り上げたと思うと歌舞伎役者まじハンパないし、ハンパないどころかむしろこわい。でもそれも、この作品を絶対に成功させる、この物語の華をぜったいにこの舞台の上で咲かせる、という菊之助さんの強い意思のなせるわざだと思います。お怪我が気にかかるところだけど、でも菊之助さんにとってはこれを成功させることこそが「生きること」なんだろうなと思わせる、情熱のある舞台でした。チケットは完売しているようですが、映画館で見られるチャンスがあるようなので、興味のある方はぜひ。きみもクシャナ殿下の夢女子・夢男子にならないか!(台無しか!)

「ドクター・ホフマンのサナトリウム~カフカ第4の長編~」

カフカ大好きケラさんの新作。昔「カフカズ・ディック」って作品おやりになったこともありましたね。「世田谷カフカ」なんてのもありましたね。兵庫公演のチケットが激戦で苦労しました。

存在しない「カフカ第4の長編」が発見された、しかもそれはカフカがかつて知り合った少女、その経緯がWikipediaにまで書かれるほど有名なエピソードであるその係累から見つかった、という世界と、その「第4の長編」で描かれている物語世界、さらにカフカが晩年を過ごした1923年のドイツと舞台はひっきりなしに入れ替わります。とはいえ、ものすごくよくできたパズルのように精緻に組み立てられ、完全に交通整理されているので、自分が今何を見ているのか、というのを見失うことなく3時間半の観劇を堪能できるのはすごい。たぶんすごすぎて「普通こうだよね」とか思ってしまいそうだけど、3つの世界でしかもそれが少しづつズレていくっていう展開でこうも飲み込みやすく作れるのって、もはや匠の技としか言いようない。

とはいえ長尺は長尺で、1幕はさすがに「長いな」という感じもありましたな。逆に2幕は「もう終わり!?」と思ったので、1幕での種植えがうまくいっているからこその物語の面白さ、とも言える。

終盤に「間違った列車に乗った」という台詞があること、途中で訪れる教会にダビデの星が掲げられていたことからも、この舞台全体に極右政党の「最終的解決」を匂わせる不穏さがあったのが印象的でした。物語の構成で好きだったのは1923年に迷い込んだふたりがカフカの描く作品の中にその徴を残してしまうっていう展開。こういうの大好き。

あと舞台装置がすっばらしかったね!!!いやあれどうなってたんでしょう。エッシャーのだまし絵みたいだった。そんなことあり得ないのに人が逆さまに歩いているような気さえした。ケラさんと言えば、なオープニングのカッコよさはもちろん折り紙つきだし、やっぱりかなり高次元のスタッフワークの結晶なんだなーと改めて思いましたね。

キャストもほんとうに手堅い。プロフェッショナルしかいない。全員自分の持ち球をガンガン決めにきてるのに俺が俺がになってない。気持ちいいですね。そういうとこも「長いけどずっと観ていられる」要因の一つなんだろうな~と思います。麻実れいさまのサディスティック女王様なんてどんな御馳走かと思いました。いっけいさんと大倉くんのコンビもよかったな~。KAATプロデュースだからなのか、キャスト表の配布がなくて、そこはちと残念でした。もうね、役名があやしくなる一方なんです、この年になると!ぺら紙でいいのでキャスト表ほしい!よろしくおねがいします!