「小劇場が燃えていた」

先月の末にBBSのほうで教えていただいた小森収さんの「小劇場が燃えていた」がfringeの方でも紹介されていたので、さっそく購入。本当は90年代前半までを取り上げる予定であったとのことだが、ページ数の関係でそこまで至らず、ほぼ80年代の小劇場に関するもので埋め尽くされている。

私が第三舞台を初めて見たのが88年で、実際に第三舞台や遊眠社以外の劇団を見るようになったのは90年以降だから、ここに書かれている舞台の殆どを私は見たことがないけれども、しかし「まる十二年間、浴びるほど芝居を観た」という小森さんの目を通じてその時代を見させてもらっているようで、とても面白かった。当たり前だけども過去にあらゆる芝居があり、今演じられている芝居もその作用・反作用がどこかにあって存在しているのだなと考えさせられる。

私は第三舞台のファンなので、最も興味深く読ませていただいたのは第六章に取り上げられた「第三舞台とその時代」である。いままで、こういった「小劇場ブームを総括」的なスタンスの本を何冊か読ませていただいているけれども、これほど「私(たち)の気持をわかってもらえている」と思えた本は他にはなかった。今まで幾人ものひとが「なぜ第三舞台があれほど受けたのか」ということを分析していたけれども、そのどれもが私にはピンとこないものばかりだった。小森さん自身が第三舞台を好きだということももちろんあるだろうけれども、本文中で書かれているように小森さんが「私達の側に」立ちたかったと仰っていることと、それは無関係ではないと思う。

くしくも、というか、先日の「深夜劇場へようこそ」でゲストに小須田康人氏が招かれ、冒頭のトークの中で第三舞台に関する話も出た。その中で非常に印象的だったのが、第三舞台の魅力、というものについてこう語っていた点である。

第三舞台の魅力、というのは漠然としているものなのじゃないか・・・そうでなければ、僕には第三舞台の良さはわからないのかもしれない」
「鴻上作品の本質というものはわからないんだけれども、わかるお客さんにそれを投げることは出来る、という思いがある」

この前に小須田さんは「受けた理由」として「サービス精神」をあげていらっしゃるのだが、もちろん観に来た以上お客さんになんらかのお土産は渡す!という鴻上さんの(第三舞台の)精神は確かに希有なものだったのかもしれない。それが実際どうだったか、ということよりも、それを意識しているかいないか、という違いは大きいだろうと思う。だけども、私には小須田さんが正直に「第三舞台の良さはわからない」と言ったことにより興味を惹かれた。そしてこういう言い方は僭越極まりないと承知の上であえて言うのだけど、その分析はとても正しいもののような気がする。

それは小須田さんに限らず、他の第三舞台の役者さんほとんどにも言えることなのではないだろうか。むしろ、そう分析できる小須田さんの賢さに私は感じ入ってしまったのだけど、劇団の中にいる人が、その主宰者の信奉者ではないというのはすごく健全なことのように思える。

では、第三舞台の魅力とはなんだったのか。

「・・・だが、一方で、ひとり第三舞台の客席に座り、そして、自分に対するある肯定的な感情をそっと感じ取って、現実の社会に戻っていった観客が、確実に存在した。それは理論的な存在ではなく、具体的に名指せる人として。私にそう言い、それに対して私がうなずいた観客が。(中略)そうした実在の観客が、さらに潜在的にいることぐらいは、信じることが出来るし、そうした人々の側に立ちたいと、私は思った。」
(宝島社発行「小劇場が燃えていた」小森収著より引用)

「自分に対するある肯定的な感情」というのは、言葉にするのは難しい。私は以前、それは広義の意味での愛じゃないかと考えていたことがあったけども、いずれにせよ他の作品では感じることの出来ない、その作品の魂みたいなものが存在するとするなら、第三舞台の場合はこの小森さんの言葉がそれを最も言い当てているのではないかと思う。第三舞台を観に来ていた何万という観客すべてがそうだったというのではないし、中にはもちろん流行っているから、笑えるから、それ以外の理由で足を運んだ人も沢山いただろう。だが、今もなお私にとって第三舞台を特別な存在とさせているのは、小森さんが書かれたような劇場での体験に他ならない。

小劇場が燃えていた―80年代芝居狂いノート

小劇場が燃えていた―80年代芝居狂いノート

第三舞台を含め、素晴らしい作品には惜しみない賛辞が、そうでない作品には辛辣極まりない評がぎっしりと書かれています。骨の髄まで観客として芝居に向き合ったひとしか書けないものが、ここにあると思います。
ぜひご一読を。