「2001人芝居」  NODA MAP

  • スパイラルホール   221番
  • 作・演出・出演   野田秀樹

もしかしたら、この世界には野田秀樹という作家と演出家と役者がいれば充分で、それだけでもう事足りているのではないかと思わせるような舞台。

「何をやってもダメだったけれど、何をやっても楽しかった。生きていくっていうのは、そんなに、難しいことじゃない。」と語るひと。「死ぬということは、自分さえいない無人島に行くようなものなのです・・・でも、わたしは今生きている。そのことが嬉しいのです。」と語るひと。とても美しくて、美しすぎる台詞。でもそれは、一人のモニター中毒患者の言葉にすぎない。モニターから聞こえてきた「自分のものではない」言葉にすぎない。

罪に問われた医者は自分の罪状をかたる。子供をモニターの前に捨てたと。モニターの前に捨てられた子供。それは私たちだ。テレビを見、ゲームをし、PCの画面を通じて会話し、モニターから無料で流れ込んでいる言葉に、情報に、喉元まで浸かった子供。医者は言う。孤独を知らず、地球を知らず、モニターによって育てられた人間は、どんな言葉を選ぶのか?どんな言葉を語り出すのか?

最後のリフレインが始まった瞬間、ああ、やられたー!と思いましたね。もちろん、心地いいやられっぷりなんですけれども。なるほどね。意味もなく、可もなく、不可もなく。これがモニターというものと、真っ向勝負を挑んできた野田さんの痛烈な宣戦布告なのかしら。と思ってみたり。

最近NODA MAPの芝居に出るたびに「野田さん動きすぎ」とか「うるさい」とか言われがちだったですが(あれ?そんなことない?)、ほぼ全編70パーセントをアドリブまがいの笑いのコーティングで包んでおきながら、ここぞと言うところで一気に観客の心を吸い寄せていくあの間、まだまだ健在と私は思いました。トンガの相撲取りがお母さんの写真を見るとこなんか如実ですね。うまいよねぇ。なーんかどんどん役者としての看板をわからないようにゆっくりおろしちゃえ!としているきらいがあるので、あたしとしてはそんなこと絶対許さんで!という感じなのですが。

ちなみに終演後アンケートに書いたこと。
「最近とても良い作品が立て続けなので、うっかり早死にしてしまうのではないかととても心配です。野田さん、どうか長生きして下さい。」

2001年のベストか?というほど、好きな作品。もう一回見たい。