スズナリのこと

まあさんたらちりさんのblogを読んでいてこの問題にぶつかった。
スズナリが消える!?

下北沢に幹線道路を通す計画があって、その敷地の中にスズナリの一部が含まれているのだそうだ。
スズナリは東の小劇場好きなら必ず足を運んだことのある、いわば小劇場演劇のメッカである。過去にたくさんの劇団がここを踏んで大きくなっていったし、今でもたくさんの演劇人に愛されている劇場だ。

などと、私が今更解説するようなことじゃないだろうと思う。あの劇場が、消えるかもという恐怖は、私には痛いほどわかる。
近鉄劇場・小劇場が閉鎖すると決まったとき、そして一部の有志の方が署名運動に立ち上がったとき、多くの人が賛同してくれた。でもそれと同じだけ、いやもしかしたらもっとたくさんの人々の「無関心ぶり」に私は愕然としたのだった。
大阪のことだから、関係ないという風潮は明らかだったし、巨大掲示板で「そんなことどうでもいいじゃん」という書き込みを見たときは、匿名の相手に向かって呪詛の言葉を吐きかけたくなったものだ。署名運動を立ち上げた方と個人的に手紙のやりとりをしたが、表立っては言えないけれど嫌がらせのメールや「そんなことをして何になる」といった内容の手紙を多く受け取ったということだった。呪われろ、呪われろ。そんな奴らは。

私はスズナリに三度しか足を踏み入れたことがない。だから、その価値を十分承知はしていても、愛着はない。心の底が冷え込むような恐怖は、今回は感じない。惜しいな、と思うしなくなって欲しくないと思う。出来るだけのことをしたいと思う。だが、それだけだ。

でも、多くの人が心の底からスズナリを愛しているだろう。あの劇場がなくなることが耐えられないという方が、たくさん居るだろう。いいですか、なくなったら、消えたら、最後だよ。一度失ったら、もう絶対に戻ってこない。スズナリはなくなっても、芝居はなくならない。私達の生活も変わらない。だけど、もう絶対に戻ってこないのだ。
私は喪った。私はなくした。なくしたくなかったものを。
スズナリには、まだ間に合うかもしれない。なくさずにすむかもしれない。「しょうがない」なんてことはない。「やっても無駄だ」なんてことはない。

下北沢の地から演劇の神さまがひとり、居なくなるかもしれないなんて、悲しすぎる。