「THE BEE ロンドン版」NODAMAP番外公演

  • シアタートラム C列17番
  • 作・演出 野田秀樹

演出面でのネタバレあり(日本版との違いなど)。

観る前に「よし!どっからでもかかってこい!」という体勢で観ていたにも関わらず思わぬ方向からボールが飛んできて呆気なくノックアウト、そんな感じでした。やっぱ重い、重いんだが、日本版と感じた重さにちょっと違いがあったように思う。

左右に字幕ありですが、字幕のスピードは正直芝居のテンポと合わない。日本版を観ている人は補完程度でいいと思います、字幕のチェックは。後半は殆ど台詞がないしね。

舞台は床一面の赤、電話や電卓やいろんなものが埋まっている。背面は一面のマジックミラーのようで、向こうが見えたり、反射して客席が見えたり。

日本語で観るのと英語で観るのとはやっぱり多かれ少なかれ違う作用をもたらすもので、英語を解するひとにとってどうかはわかりませんが、英語を聞いてもそれを「言葉」として意味を認識するのに時間がかかる私の場合でいくと直に意味が伝わって来ない分、台詞で語られる言葉の意味よりも観るものを重要視することになります。そうすると、この戯曲の持つ怒りのような部分より、哀しみを感じさせるものがより強く心に残ったのがまず一番の印象。なぜなら、日本版ではまったく涙しなかったのに、ロンドン版ではあるシーンを境に涙が止まらなくなってしまったからです。それもなんというんだろう、やるせない、やりきれない、という感じの涙。

イドが「昔ある男がいました」と語りはじめるときに、オゴロの息子をまるで本当の父親のように抱きしめて身体を揺らしながら語るシーン、あとオゴロの妻の指をオゴロの妻自身でドドヤマに渡させるシーン、これは日本版と違ったところだと思うんだけど、このふたつのシーンがロンドン版の「哀しさ」を感じさせるのにすごい効果を発揮していたと思います。

復讐に復讐でこたえても何も生み出さない、という言葉は、この舞台の前ではなんの力もなく聞こえます。では、私たちはどうしたらいいんだ。お互いの指を摘み取り合いながら、もっともおそろしいことにそのことに慣れていく。そしてもう何が復讐だったのかさえ最後には消えてしまう。その「毟りあい」の中にいる人間の哀しさ。誰もが見えない蜂に追いかけられている。

感じたものに違いがあるとはいえ、終わったあと「ほんともう勘弁して下さい」というぐらいの疲労感がやはりあります。いやもう、ほんと凄すぎて、重すぎて。