僕と演劇と夢の遊眠社

僕と演劇と夢の遊眠社

僕と演劇と夢の遊眠社

fringeで荻野さんが「若い制作者必読」として紹介していたのはしっていたのですがスタジオジブリの月刊広報誌に連載されていたものが単行本として出版されたとのこと。
でたよ、というのは姉からのメールで知ってて、だけどフェスの直前だったりということもあってなかなか買いに行けず、ようやく今日会社帰りに街まで出て買ってきた。一気に読了。

高萩宏さんは「劇団・夢の遊眠社」の創立メンバーのひとりで、長年制作者として遊眠社を支えていらっしゃった方です。劇団を離れたあとは、グローヴ座や世田谷パブリックシアターの制作部長として活動していらっしゃったので、おそらく知らず知らずのうちにでも、高萩さんの仕事に触れたことのあるシアタゴア−は少なくないのではないでしょうか。

しかし、爆発的に力を伸ばしていく劇団にはやはり優秀な制作あり、なんだよなと改めて。第三舞台における細川さん然り、大人計画の長坂さん然り。

隅から隅まで、「いかに演劇を興行として成り立たせるか」というお話なので、そんなノウハウには興味ござんせん、と思う方もいらっしゃるかもだが、芝居を長年見続けていれば「作品に対する感情」とは別に「制作に対する感情」ってやつもひとつはふたつは必ず出てくるのではないでしょうか。そういう裏で「何が起こっているか」ということが垣間見られる面白さがありますし、なにより学生劇団から出発した集団の制作として、前人未踏のことをやり遂げた数々の貴重なエピソードには引き込まれずにおられないものがあります。

企業メセナ、とかいって遊眠社や第三舞台に大手のスポンサーがばんばんついていた、あれは確かに今思うとバブル経済というものの末端だったんだろうなあとおもう。4万円からスタートしたこの回想録が、最大で億というお金を動かすに至るまで、それにはやはり好景気の波というものがバックに厳然としてあったのだなあ。

それにしても、第三舞台のほうの話でもそうだが、集団というのはなんとめんどくさい。そんなことで?というようなことで人間は人間を批判し、怒り、そっぽを向くのだなあ、そしてそれらを「一つの公演を成功させる」ということを最大のモチベーションにしてまとめていくことのなんという困難さよ。しかし、だからこそ「集団でなければ創り出せないもの」も確かに存在するんだろうと思う。

私が最初に遊眠社を観たのは1989年の南座「贋作・桜の森の満開の下」で、つまりこの本を書かれている高萩さんが遊眠社の制作として携わった最後の公演である。あの南座は忘れがたい。何度も言うが、わたしに初めて「演劇の美しさ」を教えたのはこの舞台だった。この舞台だったことを心から感謝している。
その後夢の遊眠社が解散し、その後に出た「定本・野田秀樹夢の遊眠社」などの本を読むにつれ、この南座公演のころには劇団はもうすでに終末期を迎えていた、という話なども聞いて、それはあまり知りたくない話だったかもなあなどと思ったりしたこともありましたが、しかし高萩さんがこの南座での公演を、自身の遊眠社の公演において忘れられないもののひとつ、と言ってくださっているのは一ファンとして素直に嬉しかったです。

しかし、この連載を始めたころには思ってもいらっしゃらなかったでしょうが、高萩さんは2008年4月から東京芸術劇場副館長をつとめられていて、そしてその劇場の芸術監督して、野田秀樹さんがこのたび就任されたことはもう皆様ご存じの通り。本の中でも劇団を離れて20年、「東京の舞台芸術の状況を変えていけるかもしれない状況で、野田と再び同舟することになった」ことを「不思議な気分だ」と綴っておられます。

その波瀾万丈な(まさに!)劇団運営のよもやまは本を読んで頂くとして、非常に頷けるところのあった部分を引用させていただきます。

「商売において、同じ年代の人が同じような消費行動をすると期待することがすでに難しくなってきた。人間はそれぞれ特異な感性を持っており、流行を探るには個人の選択肢を積み上げていくことが必要になっている。しかも今の時代は、そういうことがコンピューターの発達である程度できるようになってきている。
かつてのような大量生産・大量流通によるコスト削減を工夫していくのではなく、個人のニーズに合ったものをコストがかかっても直接届けることが大事になってきている。逆に、そうすることでしか生産者も流通関係者も生き残れない。人類の歴史の中で、支配者や大金持ちでない一般の人間の選択がここまで重要になったことはない。」