弔辞や追悼文、というものは「死」というものを前にした極端な感情が起点にあるので、名文、名スピーチが生まれやすい反面、その極端さからひとを遠ざけてしまう面もある。ここのところ、立て続けに心を打つ「追悼」を見たのでちょっと紹介したくなった。
マドンナがマイケルへ感動の追悼スピーチ
少し前の記事になりますが、このエントリのなかに動画へのリンクがはられています。世界中で「彼の痛みがわかる」という言葉を口にする資格があるのはもしかしたら彼女だけなのではないかとおもう。そしてこのスピーチを「マドンナ、マイケルとお忍びデート!?」などという見出しで記事にするやつらにはあきれ果てるばかり。
議会史に残る感動の名演説(前半)
議会史に残る感動の名演説(後半)
youtubeの詳細にあるとおり。故人との個人的な思い出を語る後半部分は特に胸を打つ。
弔辞といえば赤塚不二夫さんが亡くなったときのタモリさんを思い出しますが、横山ノックさんが亡くなったとき、「横山ノックを送る会」に芸能界を退いていた上岡龍太郎さんが顔を見せ、その壇上で語った「お別れの挨拶」も印象深い。まさに関西芸人の話芸ここに極まれり、という感じがする。単語の羅列、短いセンテンスでリズムを作っていくその巧みさ。タモリさんも上岡さんも一切原稿を見ず、そしてたった一度だけ声を滲ませた。
追悼文を集めた本はわりとたくさんあるのですが、実家にあったので折に触れて読み返していたのはこの本。
- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2004/12/08
- メディア: 文庫
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この本には入っていませんが、萩尾望都から手塚治虫への追悼文、どこで読んだか忘れたのだけど、あれも印象に残ってるなあ。この本で手塚治虫への追悼文を捧げているのは確か栗本薫だったか。その彼女ももう亡くなってしまった。この本を編集した遠藤周作も。
追悼文や弔辞は名文が多い。
でも、そんな名文がうまれるのは何倍もの悲しみと引き換えなんだけど。