仕事、鈴木成一の

装丁を語る。

装丁を語る。

装丁家鈴木成一さんが自身が手がけた装丁の中から何点かを選んで、その装丁の異図やエピソードなどのコメントをつけてくださっています。
鈴木成一、誰それ、知らない、というひとはいるかもしれませんが、本を見れば必ずだれもが「ああ、あれ!」という。たとえば
白夜行

白夜行

これも鈴木成一さんなら
金持ち父さん貧乏父さん

金持ち父さん貧乏父さん

これも鈴木成一さん。
スカイ・クロラ

スカイ・クロラ

森博嗣さんのこのシリーズ、透明なカバーが印象的ですよね。
陰日向に咲く

陰日向に咲く

このタイトル字は実は鈴木成一さんの息子さん(7〜8才?)が書かれたそうです。この萩尾望都さんのシリーズ装丁も鈴木成一さん。銀の箔押しが印象的。

この本の面白いところは「本」というものをハードウェアとして解説している、つまりスペックが表示されているところ。サイズ、素材、印刷、加工、そういう物理的なデータがまず面白い。あの、ハードカバーについているしおり(スピン)と花布(はなぎれ。本の背の天地両端につけている布のこと)を、出版社は違えど一社が引き受けていることにへええ、と感心したり。箔押し、マットニス引き、つや消しとか単語見ているだけでも面白い。

装丁というのがただ単に本のカバーをつける行為ではなく、内容から描き出すイメージ(鈴木成一さんは装丁する作品を必ず全部読む)を掬い取り、それを別の形で表現する行為なのか、というのがとてもよくわかる本。

本を買う側からして、ジャケ買い、というものも個人的にはたくさん経験があるのですが、逆にジャケが(装丁が)いやで手が伸びない、というのも往々にしてあるような。特に文庫にありがちなんですが、なんかもう、みるからにやっつけ!みたいな情熱を感じない装丁はがっくりします。ハードカバーならなおさら、手にとってうれしい、さわって心地よ、目で見て楽しいものを選びたくなるよね、どうせ買うなら。

とりあげられた本の中で、私の印象にのこったものをいくつか。

邪魔

邪魔

本屋で見たときからすげえ、と思ってました。邪魔、の魔がまさにおまえが邪魔だといわんばかりに欠けている。どんな話か知らなくても、その偏執的な怖さが装丁から滲み出てくるようです。
私の男

私の男

これは紹介されていたエピソードが面白かった。この表紙の絵、ものすごく印象的なんですが、これはマルレーネ・デュマスというアーティストの作品で、この作家が非常に政治色の強い方なために、作品使用もダメもとでお願いしてみたらあっさりOKだったと。しかしその後いろんな人がデュマスに「使わせて欲しい」ってお願いしてもNG。ビギナーズラックで、運が良かった、とは鈴木さんの弁。この「私の男」が文庫化されるときにも、使用許可は出なかったそうです。なので文庫の装丁はこういう感じ。
私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

違う作品みたいですよね。
もうひとつ、これはそのかっこよさにしびれた!というエピソード。
ナイン・ストーリーズ

ナイン・ストーリーズ

これは装丁家自身の言葉を借りましょう。

サリンジャー側からの条件は、意味のあるビジュアルはNG。方針が決まらずギリギリになって、ならば用紙や加工で勝負!の仕様を版元に打診するも、編集から低予算で・・・と、ことごとく却下される。結果的に、コンセプトもなにも、時間もなければ予算もなく、おまけに意味までなくしてほしいというシバリだらけで追い込まれて、瀬戸際で居直りました。用紙はすべて定番の色上質にオフセット1色刷りという潔さ。完璧です。

それで雑誌の「街で気になった様々なデザイン」に選ばれてしまうんだから、もう、なにをかいわんや。