第三舞台、愈々。

だいさんぶたい、いよいよ。このタイトルにしようと10年前から決めてました。第三舞台を見始めたころ、劇団から送られてくるDM(OTTS、オッツと呼ばれてた)があって、そのDMに書いてあったんです。第三舞台、愈々。これをなんて読むか高校生の私は知らなかった。母親に「いよいよ、だよ」と教えてもらった。第三舞台、いよいよ、かあ。

第三舞台、やります。

今のところ公式サイトにはキャストと、11月下旬から紀伊国屋ホール、その後大阪をはじめとするツアー、と書かれてます。キャストには大高小須田の双璧、長野筒井山下の鉄壁のトリオ、そして筧さん、高橋一生くん。

twitterで長野さんが「第三舞台復活するんですね!」というリプライに「そうなのよーよろしくねー」と応えてらっしゃって、ってことは長野さん出るんじゃないか、だってご本人が出ないのによろしくねなんて言わないだろう、とか、大高さんはもっとあからさまにそういう趣旨のことをつぶやいていらっしゃったが、かつて果てるまでいきますよと言った大高さんが「出ないかも」なんてことは私は微塵も疑ったことがなかったのだった。大高さんの出ない第三舞台なんて第三舞台じゃない。

筧さんが出るかも、というのは心中期待していたところもあって、というのはファントムペインのときに筧さんが出たがっていたこと、そしてリレイヤーⅢを、本当なら筧さんを主役にすえた芝居にしたかったということを鴻上さんがかつて書いてらしたことがある、というのもあった。そして去年の雑誌「悲劇喜劇」でのインタビューで、第三舞台の復活公演のことについてふれてらっしゃったというのもあった。そのたった一行読みたさに本屋を5軒もハシゴした。だから、予感がなかったわけじゃないけど、でも予感が予感で終わることなんてざらにある話で、だから期待しないでおこうと思ってました。

それだけに、喜びもひとしおです。

ちょっと前に、わたしの愛読しているブログで「フィフス・エレメント」なるものをやっていて、それは「その人に影響を与え、価値観を構成する要素となった5つの表現」をあげていく、というものなんだけど、こういうことに答えるのが三度の飯より好きな私もさっそくとびつこうとしたのでした。でもなんか、うまいこといかなかったのですね。それでその記事をUPするのはやめたんだけど、でもまさにいの一番、なんの逡巡もなく名前が挙がったのが「鴻上尚史第三舞台」でした。私はそれこそ、舞台などのエンタテイメント、というものに接する時の姿勢のみならず、「死なず、時々負けながらも、それでも何かを捨てず」に人生を乗りこなしていくためのちょっとしたノウハウ、というようなものまで、彼らの影響を色濃く受けているとおもいます。悲劇と喜劇は同時に存在する、弱くなると人の心の悲鳴に敏感になるから、想像力だけが私を苦しめる、真実は存在しない、ただ解釈だけが存在する、言葉はいつも、想いに足りない。

もはや、作品としてどう、というような目で第三舞台を観ることは私には不可能なのかもしれません。私にとってこれは友人との再会、という気持ちにより近い。そんな思い入れを辺り構わずまき散らすことのみっともなさはよくわかっているつもりだけれど、もしみっともないのだとしたら、金輪際みっともなくないことなんてしたくない。私にとって第三舞台はそういう劇団です。

公式サイトにあがっている鴻上さんの「ごあいさつ」。これを読んで、思い出したのは「第三舞台の本」のあとがきです。わたしがいちばん好きな鴻上さんの文章といってもいいかもしれません。

僕達は、一年に一回か二回、ひょっとすると二年に一回か、お互いの確認をしたいのです。僕達は、なんとか生きている。そして、今回、ここまでやりました。あなたはどうですか。死なず、時々負けながらも、それでも何かを捨てず、客席に座っているあなたはどうですか。いくつになったのですか。人生はどう変わりましたか。それでも、まず、生きていること。それだけで喜び合いましょう。
なんとか生きている。僕達もあなたも。うんうんうなりながら、耐えながら、喜びながら、苦しみながら、何とか、生きている。
そして、劇場で再び出会う。


鴻上さん、10年前の約束通り、わたしはなんとか生き延びました。物理的にも社会的にも、なんとか生き延びました。
劇場で再び出会うことが出来る日を、心から待ちのぞんでいます。

第三舞台、愈々。