「南へ」NODAMAP

「ザ・キャラクター」「表に出ろい!」に続く3部作の3作目。この戯曲は野田さんの最新戯曲集「21世紀を信じてみる戯曲集」に収録されている。

信じてみる、というのはなんだかずいぶんポジティブな言葉にも聞こえる。この前の戯曲集「21世紀を憂える戯曲集」とくらべてもそう思える。だが作品にはそのポジティブな匂いはどこにもない。今までの野田さんの作品にはほとんどといっていいほど残されていた叙情、語ることのカタルシス、そしてひそやかな希望、みたいなものは少なくとも作品の中には残っていないような気がするのだ。信じる。信じるとは何か、を描いた作品なんだろうか、これは。「何を」信じるのか、そして信じることによって、「何が」起こるのか、ということがこの戯曲集に描かれているということはとてもよくわかるのだけれど。

以下ネタバレ含みます。

序盤は、蒼井優さん演じる虚言癖の女「あまね」の役がどうもしっくりこず、自分としては集中できないところもあったのですが、後半から一気にのみ込まれるように集中して見ていた気がします。話の重心がいろいろなところに転がるので噛み砕きにくい感じはありましたが、それでもわからないなりに圧倒されるというか、理屈の力ではないものに酔うことができる、という点ではとてもよかった。

しかし野田さんのマスメディア、テレビサイズの世論への歯に衣着せぬ批判精神は健在すぎるほどに健在。天皇制、ということについても、TABOOでもそうでしたが、そうとうにきわどい台詞もあちこちにあって、もしかしてこれもメディアで放送されることはないのかもなあと思ったりも。

アマネが「来た方向から来たのよ」というところで、一気に今までの彼女の謎が氷解していくところはぞっとするほどでした。あなたも同じなんでしょ、わかるでしょ、記憶を学んできたんでしょ。のり平っていうのは普通男の名前だけどね、日本では。

火山の噴火というのが物語の中では大きなモチーフになっていますが、大噴火が起こるぞというその台詞を、観劇後ホテルにもどってつらつらと思い出しながら、ふと「戦争」という言葉に置き換えてみた。自分を証明するものがなにもない、日本人だということだけが記号となった南のり平は、最後に帽子を深々とかぶって立ち去る。その姿は何かを思い出させる。会ったことのない誰かのために、俺はどうしてこの山を駆け下りているんだ。

アンサンブルの使い方、そしてパイプ椅子を変幻自在に舞台美術に組み込んでいく見事さは舌を巻きます。パンフレットでもふれてらっしゃいましたが、能舞台を模したというセットも、シンプルなだけにいろんな形を見せることができるんだなあと。

中劇場の構造のせいもあるのか、蒼井優さんの声がどうも高く拡散しがちで、キンキンとした印象だけがしばらく残ってしまったんですけど、後半からは声のトーンも落ち着いていてぐっとよくなった気がしました。妻夫木くんはね、もうこれは「キル」のときにも散々言ったんですけど、ほんっと堤さんに声が似てる!つまりは野田さんの好きな声、好きなトーンを持ってる役者さんだってことなんだよなあ。この強烈な舞台において、強さだけでキャラを押してこないあたりはすごく好きです。いっけいさんをはじめ周囲を固めるベテラン陣はもちろん期待通りでしたが、あれですよ、「表に〜」でも娘役をやった黒木華さん、それほど多くない出番でも自分の印象を残すことに完璧に成功していてさすがでした。絶対野田さん今後も使うと思う(笑)

客入れのときの音楽がカントリーミュージックだったんですが、終演後のロビーに流れる「Take Me Home, Country Roads」の曲に、ついさっき舞台のなかで「わたしの腕をひきちぎって」と故郷をたどる道を拒んでいたアマネの声が重なるようで…ほんとうに、なんて舞台を作るんだ、野田秀樹ってひとは。