「天使は瞳を閉じて」虚構の劇団

第三舞台での初演再演、ミュージカル、そして虚構の劇団。ロンドンに行かれる前にもやりましたよね、若き日の堺雅人さんが出演されていましたが。ご自身でもおっしゃっていたけど、やっぱりよくできてる脚本だからこそ、群像劇としていろいろ「しどころ」のある脚本だからこそのこの上演回数なんだろうなと思います。

今回は、マスターの役に大高さんをひっぱってきたということで、いやーそれちょっとどうなの、それは行かざるをえないのかやっぱり、でもスケジュール的に盛り込めなさそうな感じなんだけど、と逡巡していたんですが、先日の第三舞台解散の報もあって、そしてなんといっても「天使」、初演から見続けてきた者としてここまできたら意地だ!みたいなところもあって無理矢理スケジュールにぶっこんで観てきました。以下ネタばれを含みます。

私がこの虚構の劇団を拝見するのはグローブ・ジャングル以来なんですが、まずなにより、何人かの役者さんが見違えるほど成長している、成長なんて言い方ものすごく上から目線ですけど、「役者」としてよくなっている、魅力的になっていることにまず驚かされました。特に男性陣にそれが顕著だったような。サブロウを演じた三上さん、ガッツあふれる押し芸とキュートさで、ことに芝居の前半はその魅力が炸裂していてとてもよかったです。逆に「議長」になってからが若干物足りない気もしましたが、まあこれはあれですね、私の中での要求水準がもう「総統」のトシちゃんになってしまっているがゆえだとおもいます、はい。

逆に後半になればなるほどよかったのが天使役の小沢道成さん。やーよかったです。普通に台詞を言っていても間が抜群だし、天使の姿が見えなくなったテンコちゃんに「見えるのか」と聞いて、一瞬後「いいんだ、がんばれよ」というところ、胸を衝かれる良さがありました。クライマックスの、階段を駆け上がるサブロウ、降りてくるユタカとナツ、そしてストップモーションになるあのシーンでの慟哭もすばらしかったです。

後半になって役者の感情が昂ぶると、どうしてもボールが剛速球の投げあい、みたいになってしまいがちなんですけど、そこに大高さんという一石を置いているのがほんとによく効いてました。うまい、と当たり前なことに当たり前に感動した。

頭の中に台詞がほとんど入っていて、使用曲も、セットのチェンジも、演出も、なにもかもが頭の中に染み付きすぎているがゆえのもどかしさももちろんありましたが、逆に自分の中に染み込んでいないシーンであればあるほどその鮮やかさにはっとしたりもして、なかなか新鮮な体験をさせてもらった感じです。andymoriの曲の使い方がかつてのブルーハーツ同様にずっぱまりで、鴻上さんにとって今すごく重要なバンドなんだろうなあと思ったり。

オープニングは完全に書き換えていたんですが、この戯曲の設定が、こんなにも身近に感じられてしまう今の状態というものを考えずにはいられなかったですね。私が人生で最初に「メルトダウン」という言葉を聞いたのはこの作品の初演でした。今まではどこか絵空事のように響いた「放射能の降り注ぐ世界」に今私たちが住んでいるなんて、23年前には考えもしなかったことだったのに。

しかし、こんなものを高校生の時に見たんだなあ私。ありとあらゆるところにとびきりのアフォリズムが隠されていて、そりゃ夢中になっちゃうはずだよと思いました。見たいものが見えなくて、見たくないものだけが見えるんだよな、とか、人は自分を安心させてくれるものを求めているんだ、とか、真実であればあるほど、売れない、とか。そして、サブテキストというものを最初に知ったのもこの戯曲からなんだろうな。その頃はサブテキストなんて言葉は知らなかったけれど、どんどん錯綜し崩壊していく人間関係を描写しながら「町は幸福だ、ぼくは、書くことがなくて困っている」と綴り続ける天使、そして最後の「明日には僕は懐かしい受け持ち区域に戻ろうと思う」という字幕と、そこにかぶさる「ぼくは、僕はどこへも行かない」のナレーション。

実は、鴻上さんもtweetされていたけど、この最後の字幕が出なかったんですよね(笑)機材のトラブルだということですが、いやー私が汗かいた(笑)後ろで拝見されていると思しき鴻上さんはさぞかし気が遠くなられたのではないでしょうか。こういうことがあるから演劇はこわい。

しかしそれを差し引いても、観た甲斐のある芝居でした。足を運んで良かったと思います。良かったと思う理由の一番は、この2時間が私にとって単なるノスタルジーに浸るだけの時間ではなくて、新しい発見のあった2時間だったからです。

とはいえ、やはりなにもかもが懐かしく、ことに最後のシャンパンをあける中央の大高さんと、そして「おや、そこにいるね。さあ、握手をしよう」の台詞には、なんともいえない感情がこみあげてきてたまりませんでした。何度も言うけれど、この作品に出会っていなかったら、私は今ここにいないし、この最後に差し伸べられた手と見えない握手をしたことが、大げさでなく私の人生を変えた、そう思います。