第三舞台「深呼吸する惑星」大千秋楽!

いよいよこの日がやってきました。紀伊國屋で初日を迎えてからこの日まで、この「第三舞台の最後」は本当に奇跡としか思えない幸福と幸運に満ちあふれていたと私は思っていて、だからこそ、この日無事に終わること、事故や怪我や病気や天災や無神経な携帯電話の着信や、そういったアクシデントが起きないことを心の底から祈っていたし、その通りにすばらしい「最後」を届けてくれたことに何よりもまず安堵しました。

配券をしてからライブビューイングが決まったからだと思いますが、何列かの座席がカメラ設置のために振り替えられていましたね。

出だしは、あー少し空気が固いかなと思うところもあったんですけど、筒井さんの登場あたりで空気がほどけた感じがあって、そこからはもう盤石という仕上がりだったと思います。もちろん、最後だからという感傷が入り込むところはところどころありましたが、揺れがあればそれが自分のものであれ、他者のものであれ、絶妙のチームワークで引き戻していく様は、これぞ「劇団」だ、と思わせるものだったし、彼らこそ正真正銘のプロだ、やっぱり私が好きになったひとたちだ、と誇らしい気持ちになったものです。

長野さんの着ぐるみダンスのシーンで、ここまで、あのシーンで私は泣いたことはなかったんですけど、突風のような感傷が襲いかかってきてしまった。たぶんそれは、あの光景があまりにも幸福だからだったと思うんですよね。それがとうとう喪われるのだ、という気持ちがほんとに、一気に襲いかかってきた。

しかし、大空に飛んでいって二度と皆さんの前には現れません、と言ったときの長野さんは、相当感情的にマックスだったと思うのに、最後の最後まできちんと台詞を埋もれさせることなく言い切っていて、ああもうほんと、サトちゃん!あんた最高だよ!と拍手で見送りながら改めてそう思いました。

あと、この日の筧さんは凄かった。ほんとうに。橘と二人のシーンでバルコニーからの演説をやってみせるところあたりで、今日の筧さんはいいな、と思っていたんですけど、そこからもうどんどん調子をあげていって、それが爆発したのがあのダンスシーンだったと思う。見ながら、なんなんだこれは、最後の最後にこんなにかっこいいなんて、どうしろっていうのよ!ばか!と思わず心が乙女になるほどに、全身から舞台をのみこむようなオーラを発していたと思います。

別れのシーンでの長野さんと大高さんも忘れがたい。人生の最後にもう一度出会えてよかった、という台詞をいう大高さんも、それを受ける長野さんも、台詞だけではない感情が満ち満ちていて、やっぱりこちらの気持ちともリンクしてしまうし、もうぐっときたなんてものじゃなかった。そのあとの小須田さんとの別れの言葉も。「その時はまた、踊りましょう」。

カーテンコール、2回目でスタオベだったですかね。筧さんが小さく手で煽っていて、それを大高さんが笑いながら制していたなあ。長野さんはツイッターでも言われていた通り、スタオベになった瞬間にはぐっときてらっしゃる感じがありましたけど、最後まであの美しい笑顔のまま。はーかっくいい。

役者紹介で、虚構の劇団の3人がまず紹介。小沢くんのお父さんが第三舞台のファンで、幼少期より強制的に公演ビデオを見させられていたというのは笑いました。お父さんお出でになっていたみたいですね。荻野さんの紹介の時に「とても真面目、着ぐるみダンスについて『これは劇中においてどういう意味があるのか』と聞いてきた、そんなものはない!」と言われていたのも笑いました。三上さんは、虚構版の天使で筧さんのやった総統役をやった、という話だったのですが、鴻上さんが噛みすぎてわけわかんなくなってました(笑)一生くんは、トランスで雅人をやった、その時からもうこの舞台にいることは運命づけられてた、と言われていたような。

6人の紹介には、それぞれ鴻上さんが印象に残っている役も重ねて仰っていて、ちょっと書き出すと

  • 山下さん 「天使」テンコ、「デジャ・ヴュ」時不二子
  • 筒井さん 「ビーヒアナウ」ドロンジョ、「天使」マリ
  • 長野さん 「天使」ケイ、着ぐるみ全部
  • 小須田さん「ピルグリム」六本木実篤、「天使」電通太郎、「朝日」エスカワ
  • 大高さん 「朝日」ウラヤマ、「天使」マスター
  • 筧さん  「宇宙」ケダモノ王、「水平線」ポチ

聞きながら「天使」の率がハンパないと思っていたんですが、そういえば初日通信の小森さんが、「天使」は岩谷さんなきあとの第三舞台の役者が、鴻上さんの戯曲に追いついた作品、というようなことを仰っていたことを思い出し、それほど皆のはまり役だったのだろうなあと。長野さんのところで、ハッシャ・バイがあがるかなとも思いましたが、あれは「女2」とかなので伝わりづらいところもあるのかな。

前日に第三舞台81-91の映像を見返していて、山下さんがデジャヴュの話をしているときに、ああそうか!この役は時不二子そのまんまじゃないかと思っていたので(上司の男の人を好きなんだけど、サポートしながら見守りながら、でも相手にされないんだけどがんばってついていく)、鴻上さんが時不二子の名前を挙げた時にはそうだ!と心の中で快哉をあげましたね。

長野さんが挨拶で仰った、どこの劇場でも古くからの友人のように迎えてくれたことに感謝します、という言葉と、そしてなにより大高さんの、「第三舞台は永久に不滅です!」という言葉がほんとうにうれしかったです。

そして最後は鴻上さんの挨拶、「また宇宙のどこかの劇場で、あなたと!(キャストみんなが観客を指さす)お会いしましょう!」

板垣さんがこの日のライブビューイングのディレクションをなさると知って、最後の最後になにかあるんじゃないかと思ったら、バックに映し出される懐かしい写真を、スクロールされてくる「上演記録」そして「第三舞台を創った人たち」。キャストの最初の並びが、大高さん、森下さん、岩谷さんとなっていて、旗揚げ朝日のウラヤマエスカワゴドー1のならびそのままでした。そのあとに続くスタッフクレジット。私が第三舞台に出会ったときは、ビデオもなにもなくて、だから劇場でもらえる二つ折りの当日パンフを、穴が空くまで眺め続けてました。そんなことをずっと繰り返してきたから、スタッフの名前もほとんどが見覚えのある名前ばかりなんですよね。鴻上さんの名前は、一番最後。大高さんではじまり、鴻上さんで終わる。

そのあとに、「and you.」の文字が浮かび上がる。

正直、この「エンドロール」が始まった瞬間に涙腺が決壊していて、走馬燈のようにではないけれど、私が届かなかったときから、一緒に走り始めるまで、そして今を、いくつもの思い出が一気に蘇ってきてしまって参りました。そのあと、舞台の緞帳が降り、まさに終幕。

この時点で終わるべきなんだろう、これ以上の拍手は鴻上さんの意図するところではないのだろうと思って、わたしは椅子にへたへたと座り込んでしまったのだけど、でも拍手をやめたくない気持ちももちろんわかる、だってこの拍手がおわるときが、第三舞台が終わるときなんだから。

鴻上さんと大高さんが出てきて、大高さんが「また、どこかで」と感情が一杯こもった声で仰っていて、でも、観客は拍手をやめない。最後には、紀伊國屋の初日と同じように鴻上さんが出てきて「あのねえ!祭りは引き際が肝心なの!」ああ、また怒られた(笑)「あれ(エンドロール)作るの大変だったんだから!あれで、and youで号泣で終わりでしょう!ちゃんと終わらないと、ちゃんと始められないんだからね!」

最後、去っていく鴻上さんに、ありがとうって言えて、よかったです。

私は今まで、自分が心底思い入れた集団の「解散」というやつに何度か立ち会ってきましたが、こんなふうに終わりを迎えることもできるんだ、すべてがパズルピースのようにかっちりとはまって、幸運だけがその集団の最後をとりまくこともあるんだ、それは私にとって驚きでもあったし、最後の最後までやっぱり第三舞台はわたしの憧れなんだなと思わせるのに十分すぎる「解散」だったと思います。

ほんとうに彼ら、最後の最後まで、しぬほどかっこよかった。
ずっと好きでいさせてくれたことに感謝します。
私にとって第三舞台は、生きていることの興奮と、生きていることの肯定を、同時にくれる劇団でした。
また、宇宙のどこかで。
その日まで、わたしと第三舞台の対話は続きます。ずっと。