無報酬の愛のために

「劇団を愛していたが、やめる事になってしまった。」

この間twitterで「青木さん家の奥さん」をご覧になったkaiさんが、勝村さんが「青木さん」にでたときの話をされていて、その時に「私が観たのは94年で、そのときのパンフで勝村さんが第三舞台をやめていた事実を知った」とリプライしたのだけど、実際そのパンフを読んだときのことを覚えているかというとそれはもうかなりおぼろげです。でも芝居を観たときの感想にわざわざ書いているので間違いないと思う(なんでも書いて残しておくものですね!)。

それが、はっきり「やめた」とご本人が仰ったのかどうかはもう記憶が定かではないのだけど、でも今でもはっきり覚えているのは、天使は瞳を閉じてのインターナショナル版以降、第三舞台の役者さんが出ている公演を見に行くたび、そのチラシやパンフの名前のあとにカッコ書きで第三舞台、と入っているのか、いないのかを私がものすごく気にしていたということです。

先日のノンフィクションWでも、91年の「天使は瞳を閉じて」インターナショナルバージョン以降、作品数が激減したことに言及されていましたが、第三舞台は役者の退団をアナウンスしてくれるようなところではなく、もちろん退団公演などというものがあるはずもなく、次の本公演となった94年のスナフキンの手紙まで、いやそのずっとあとでも、「今、劇団員として残っているのは誰なのか」ということははっきり明示されないまま時間が経ちました。留学していた長野さんが欠けることもあれば、逆に成志さんが参加することもあり、ただ「あの人はずっと出ていない」という事実が積み重なり、それがやがて認識にかわっていくだけでした。実際にはっきりと、たとえば、伊藤さんが1991年に役者をやめた、ということを事実として知ったのは、「ファントム・ペイン」の「あとがきにかえて」で、そこで1998年に鴻上さんが送ったという「第三舞台の劇団員だと思っているか?」という問いへのそれぞれの答えも知ったというわけです。

その手紙に対して、第三舞台をやめました、劇団員ではありません、と返答したのは京さんと勝村さんですが、しかし京さんはその後「ファントム・ペイン」に出演され、鴻上さんの演出する作品にも出演されていました。しかし勝村さんは、その後一切、第三舞台鴻上尚史と名のつくところから姿を消した、というイメージが私にはありました。その後出演されている舞台も、もしかしたら第三舞台のメンバーの中でいちばん数多く拝見しているぐらいかもしれませんが、プロフィールの中に書かれていない「第三舞台」の文字に寂しい気持ちがよぎったこともありました。

5年ぐらい前でしょうか、勝村さんがblogを書いていらっしゃるというのをBBSで教えて頂いて楽しみに拝見していたのですが、そのなかで時折「第三舞台」の単語が出てきていたことは、だから私にとってはとても嬉しいことだったのです。あの、遊眠社と第三舞台でサッカー対決をして、大人げなく第三舞台が大勝した話とか、多分読んでいる間中私の顔はだらしなく緩みきっていたにちがいありません。

2007年に勝村さんが出演された「コリオレイナス」の埼玉公演千秋楽のあとに書かれたエントリは、今でもとてもよく覚えています。勝村さんが劇団時代のことをこんなふうに懐かしく語られるのは珍しい、そう思いながら読んでいました。

あちきは、劇団をやめてもう15年くらいになる。
劇団を愛していたが、やめる事になってしまった。
人生は思い通りにいかないもんである。

このテキストを最初に読んだとき、私は「やめることになってしまった」というその一文に、物凄く動揺しました。その「なってしまった」という事情のことを、考えてもしょうがないのに考えてしまうこともありました。本当のことは結局のところ当事者にしかわかりえないと重々承知していながら、それでも考えることをやめることができませんでした。

だから、なぜ「だから」という接続詞なのかはきっとわかって頂けると思うけれど、だから、神奈川での千秋楽に、勝村さんが舞台に立った、というニュースは、私にとってはパズルの最後のピースのようなものだったのだと思います。そのニュースを知ったときのわたしの興奮ぶりたるや、大晦日の実家の風景をどん引きさせるのには十分すぎるほどの狂躁でした。皆が元気で、それが舞台の上からでも、客席からでも、とにかく生き残って、そして第三舞台と向かい合っている、その最後のピースがやっと揃った、そう思いました。

もちろん私は今も、その事情というものは欠片もわかっていないし、そもそもそんな「事情」が、あったのか、なかったのかもわからない。でもそれを知りたいとは今はもう、思っていません。今になって思えば、なってしまった、というその言葉よりも、「劇団を愛していた」という言葉のほうが、何倍も何十倍も自分にとっては大きな言葉だということに気がついたからです。じっさい、それ以外の何の言葉が要るだろうか。

劇団を愛していたが、やめることになってしまった。いや、
やめることになってしまったが、劇団を愛していた。
それで十分です。