幻想の中の、もっと青春

小森収さんの「小劇場が燃えていた」を読み返しています。

小劇場が燃えていた―80年代芝居狂いノート

小劇場が燃えていた―80年代芝居狂いノート

これちょっと不思議な話で、この本は第三舞台の解散公演が始まったときから、読み返したいなあと思っていたのだけど哀しいかな実家に置いてあるためそれが果たせず、帰省したときに持って帰ろうと思っていたのにそれも忘れて自分のばかばか、と思っていたのですよ。

それで、実家の母と電話で話したときに、第三舞台のDVDBOXをやっぱり送って、銀色のBOXと金色のBOXがあるから銀色のほう、と言って頼んだんですよね。そのときに、この「小劇場が燃えていた」も送ってもらおうかなと頭に一瞬過ぎったのだけど、きっと母にはどこにおいてあるかわかるまい、と思って言わずにおいたのです。

そしたら、いざブツが届いてみたら、ですよ。一緒に送られて来たんですよ、この本が。しかも、私が「ピルグリム」だけ手元に持ってきていたので、空いた1本分のスペースにすぽっと収まって。

えええええーーーーー!!なんで、なんでわかったん!!!
テ、テレパシー!?

とか思いましたが真相は母には聞いていません(きっとオチはなんだそんなことかみたいなアレだと思うので)。いやでも嬉しかった。

約6年前に出版された当時にも書きましたが、小森さんの第三舞台に対する、いや、第三舞台の「観客」に対する深い理解と愛情は、他のどんな劇評や分析よりも「わかってもらえている」と私に思わせるものでしたし、第三舞台が解散した今これを読んでも、やはり同じことを思います。

小森さんは「プラスチックの白夜に踊れば」から第三舞台の公演をご覧になっているのだが、劇団の名前よりも鴻上尚史の名前よりも、「岩谷真哉」という役者の名前を最初に覚えたと書いています。「第三舞台の快進撃は、岩谷ぬきには語れなかった」とも。一部を抜粋します。

「…圧巻は、様々なところから、都合よくやってくるゴドーを次々に演じる場面で、変わり身が早く、キレの良い演技は、ちょっと真似手がない。少なくとも二十二歳とか二十三歳とか、そのくらいで見せられる芝居ではない。スピードやパワーは年齢特有というか年相応というかであろうが、細かさと芝居の粒の立て方は、並の才能ではなかった。」

その後、スワンソングが聞こえる場所、デジャ・ヴュの再演2本については「ともに岩谷の亡霊に苦しめられる結果となった」とあり、「筧にも京にも、荷が重かった」と続けられています。私はもちろんこの2本を実際には観てはいないですが、しかしそれは実際に筧さんや京さんご自身が、様々なインタビューで語られていたことからも、真実に近いのではないかと推察します。

筧さん、京さん、勝村さんは、オーディションで第三舞台に入り、そして「第三舞台の歴史」に消えない足跡を残していった3人ですが、彼らはいずれも「岩谷真哉」という、実際には一度もその演技を見ることのなかった*1役者と向かい合う、という作業をしてきたひとたちだったわけです。

なかでも勝村さんは第三舞台デビューが「朝日」、そのゴドー1を2度演じられているというだけでなく、「宇宙」でもクリア・ダンサーという岩谷さんの役所を受け継いでいらっしゃったわけで、勝村さんが意識したかどうかはともかく…いや、意識しないなんてことはないと思いますが、どう受け止めていたかはご本人のみぞ知るではあるのですけれど。

解散公演の「深呼吸する惑星」で、岩谷さんの存在を託された役を演じたのは高橋一生さんでしたが、私がこの公演を通じて彼に抱いた印象は、一貫して「なんてタフなんだろう」ということでした。それは、公演を重ねて観て、一生くんの役が岩谷さんを思い起こさせればさせるほどその思いは強くなりました。WOWOWで放送されたノンフィクションの中で、鴻上さんが一生くんに「もっと青春、幻想の中の、もっと青春」というところがありますが、鴻上さんの中にいる「幻想の中のもっと青春」である岩谷さんと真っ向から向かい合って、その思いを舞台上で引き受けて立っているというのは、タフでなければできないだろう、かつて筧さんや京さんや勝村さんが、長い時間をかけてそうしてきたように。

彼らが向かい合った「第三舞台」「岩谷真哉」というものは、どういうものだったんだろう。叶わないこととは思いますが、かつてを「知らない」からこそ、彼らだけが知り得ることとなったさまざまな「第三舞台」を、いつか聞いてみたかったという思いは、私の中に今でも少なからず残っています。

*1:DVDの副音声で、オーディション組は第三舞台を一度も観たことがなかったと語られています