Dance,dance,otherwise we are lost

本日2本目は「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」。
鴻上さんはじめtwitterで演劇人の熱い賛辞が続いていて、例によって鴻上さんに勧められると行かなくちゃいけないような気になるお手軽なわたし(というか、最初に見たものを親と思いすぎの病)。

3D映画だったんですが、実は私初3Dでした。なんか、3Dつったらアバターとかそういう感じの、いかにもサイエンスフィクション的なあれが似合うような気がしていたんですが、これで3Dデビュー大丈夫だろうかどきどき、とか思いつつ。映画の感想の前に3Dの感想になっちゃってますが、確かに「おおっ」と思うシーンもあるものの、でもこの映画で感じたキモの部分というのは3Dだからこそ、という感じはしなかったなーとも思いました。私がメガネっ子だからというのもあるのかもしれないけれど、普通の映画より目が疲労する気がする。そんなことないのかな。

私は自分がどっちかといえば「言葉」にまみれて生きている人間だと思うし、舞台芸術においても同様に言葉を重視する傾向があります。だからコンテンポラリーダンスに明るい訳ではないし、ピナ・バウシュの名前も勿論知ってはいるけれど実際の舞台を拝見したことはない。この映画にも「言葉」はほとんど出てきません。出てきても、意味あるものとして発せられると言うよりはどこかBGMのよう。

美しいとか、すべての感情がむきだしで迫ってくるようだとか、そういう感覚も確かに自分の中にありましたが、自分の中で一番「この映画を観た!」という感覚になったのは映画が終わって映画館の外の風景を見たときでした。言葉に頼れない分、無意識のうちに五感をフル活用していたのか、ちょうど夕闇の迫る、なんの変哲もない(毎日のように見ている工事現場と、ビルと、駅の灯り)風景が、まったく違うもののようにぐっと迫ってきた感じがしたんですよね。毛穴が開くというけれど、五感も開くことがあるのかしらというような。すべてが鮮明で、そして過剰で、そして美しく見えた。なんだったのだろうかあれは。

ちなみにそれは駅のホームに辿り着くまでずっと続いていたんですけど、電車を待つ間携帯でtwitterのTLを読んだあとにはもうそのマジックは消え失せてました。ほんとになんだったんだろう。でも、なかなか得難い体験でした。

「踊れ、踊れ。自分を見失わないように」。