「シレンとラギ」新感線

蛮幽鬼」で出てきた殺人を生業とする部族「狼蘭」は出てきますが、世界観が共通しているというわけではない感じ。南北に別れて争う国家の中で、人を殺すために生まれてきた女と、その女を愛した男を軸に物語が転がっていきます。

以下ネタバレ。

前回の髑髏城もそうだったような気がしますが、一時あれだけ多用していたスクリーンに映像を投影するってやり方がほぼ一掃されていて、もうめでたいなんてもんじゃない、あたしゃうれしいよ!と思わず快哉をあげてしまうほどです。ええこっちゃ。

ラストの展開は人によって好き嫌いが(良い悪いではなく)別れるところだろうなあという気がして、そして個人的にはあまりぐっとくるラストではなかったんですよね。しかし、今回の脚本はまさにこのラストありき、で描かれているとは思うのでこれはもうまったく好みの問題でしかないのですが。

新感線におけるドラマの作り方は、チャンバラという基本がある以上どこかに対立構造ができていなくてはいけないわけで、それは過去の作品において絶対悪に向かうものもあれば(髑髏城、朧など)悪ではないが「戦うのが宿命」という作品(阿修羅、蛮幽鬼など)もある。シレンとラギで私がもっとも食い足りない、と思うところはまさにその対立構造のおもりのバランスが最後の場面で取れていないと見えてしまうところです。最後にシレンとラギがそのおもりの両端に立てばバランスは取れるのでしょうが、今回描きたいのはそういうラストではない。最後に「悪」として二人に相対峙するのは古田新太演じるキョウゴクですが、二人の背負った血のドラマに較べると、最後のキョウゴクにあるのが「野望」でも「憎しみ」でもなく「やけっぱち」に類するものであるところが、どうにも弱い。彼を倒したことへのカタルシスが薄いんですよね。

逆に言えば、そのキャラクターでもって最後の最後まで主人公の前に立ちはだかり、その圧倒的な殺陣(実際まっとうにやって勝てるわけがないと思わせてしまうほど)と、尋常じゃない膂力でドラマを持ち上げ続け、成立させる古田新太の力にはほとほと感服したというか、まったくもって千両役者だよ、あんたは!と最終盤でみせる啖呵に喝采を贈りたくなりました。

物語の軸にあるのはギリシャ悲劇「オイディプス王」で、藤原竜也くんはまさにそのオイディプスの運命を歩むわけですけれども、シレンへの愛をぶつけるシーンも、憎しみに翻弄されるシーンも、ここまで正面切って苦悩する青年の心情をやりきれるというのはやっぱり大したもんですよね。でもってやっぱり声がセクシーです彼。ささやき声とかまじたまらん。個人的には二幕の最後のシレンとの会話「あたしを変えてくれるって言ったひとがいたんだけどね」「へえ、そうなんだ」←このへえ、そうなんだ、みたいなトーンがもう!めちゃくちゃ好きです!(細かい)

彼らの関係が明るみに出る一幕のラストは展開も構図も言うことなしの鮮やかさでしたねえ。思わず拍手が出てしまうのも頷ける。そして1幕から2幕冒頭にかけて物語を支えるゴダイの高橋克実さんがまったくもってすばらしいです。舞台の上であの古田新太が気圧される(役柄としてではあっても、実際そう見える)ほどの迫力があります、ゴダイ様。ゴダイがなー、もうちょっと後半まで立ちはだかってくれたら、とも思うんだけど、父母との関係性がきわめて重要である以上致し方ないのかという気もし。うう、しかしもっと長く見ていたかったわん。

新感線ファンとして今回なにより嬉しいのはじゅんさんと古田さんががっつり絡む(ええ…絡むんです…w)ことで、後半になればなるほどシリアスにならざるをえない古田さんの分まで、じゅんさんが新感線魂をこれでもか!と発揮してくださっていることではないでしょうか。やっぱりこの二人の並びはときめきますよねえ。そしてこのじゅんさんのおそれを知らぬ暴走ぶりこそがまさにスピリットオブ新感線だよなあと思ってしまうのです。ああじゅんさん大好きだよじゅんさん。

ゆっきと三宅さんはなんというか、うーむもったいないといえばもったいないかなあ。それぞれの持ち味としては堪能できるし、がっつり印象を残していかれるあたりはさすがなんですけど、ファンとしてはもう一声!みたいな気持ちもあり。シレンの永作さんはキリッとした中にもかくしきれぬ可愛さが溢れてるよね…!っていう。あれは好きになっちゃいますよね。ミサギは正直役としてもなんつーかどこにも効いてない感があってざむねん。

東京の後半(楽前かな)でもう一回拝見する予定なので、どういう変化が生まれているか見るのが楽しみです。