「燕のいる駅」

  • テレピアホール F列7番
  • 作・演出 土田英生

土田英生セレクションで上演する演目を決定したのは震災前とのことでしたが、先日の「寿歌」といいそういうリンクが続きますね。そういった偶然なのか必然なのかわからないものも含め、この頃物語の根底に「終末感」のある芝居を目にすることが格段に増えたとおもう。

舞台の背景ははっきりと劇中で説明されるわけではありませんが、かつての「日本」をモチーフにしたテーマパークにある駅で、住民が避難した後に残された数名の男女が、うっすらと匂い立ってくる「終末」に向かい合う姿が描かれています。スーパーや駅や、そういったものはそのままなのに「人間」だけがいない町。たしかに、今この芝居をみると、それを絵空事とはとらえず明確なビジョンが私達には見えてしまう。虚構感のなさが(この設定に虚構感がないという事実自体に震撼としますが)登場人物たちの物語に入り込むのを阻害する部分もあるような気もしたり。

世界の終わりに「何を」するのか考える男たちと、「誰と」いるのか考える女たち。その対比が実に鮮やかでした。世界は終わるのに、燕の雛が死んでいることを好きな人に教えたくない。それは矛盾しているかもしれないけれど、でもそれがひとの心情というやつに他ならない。

この間見た箱庭円舞曲でも外国人の排斥、という話が物語の中で描かれていたけれど、奇しくもこの作品にもリンクしていて、書かれた年代は違うのにこういうのって不思議と連鎖するんだよなー。

今回の作品のために書かれたという千葉雅子さんと土屋裕一さん演じる葬儀屋のふたりがとてもよかった。千葉雅子無双!と言いたくなる、あの圧倒的に客を巻き込むパワーとテンポはすごい。千葉さんが喋ると空気が変わる、まったく惚れ惚れするなーと思いながら見ておりました。土屋さん、たぶん初見じゃないかと思うのですが、若い頃の入江雅人さんを彷彿とさせる佇まい!あの役でちゃんとキャラの愛嬌を失わずに見せてくれるのは素晴らしい。オットコマエだし!

主演の久ヶ沢さんがハンパない愛されキャラで、有本だけじゃなくてそれはそれは周りから愛されてるっていうのがわかる、だからこそ最後の場面の彼は切ないですよね…。土田さんが自らキャストを選んでいるというのもあって、とても雰囲気のあるいい座組でした。