白か、黒か

お次は「リーガル・ハイ」。
話のテンポもよいし(最初は女性のキャラが若干不安だったけどそれも解消し)、1回ぐらい飛ばしたかもしれないですが楽しみに拝見しておりまして。特に前回の古美門と父の対決がことのほか面白く、あそこで「私に息子はいません」という台詞を言わせる台本の強さ、しびれるなあと思っておったのです。で、その時の次回予告でどうやら次は企業訴訟らしいと。

もともとアメリカドラマでいわゆる「弁護士もの」といわれるジャンルが大好きで、何しろ「七人の弁護士」から「プラクティス」、「ボストン・リーガル」にいたるまで、デビッド・E・ケリーをリスペクトしてやまないわたくしなのでございますよ。そしてそういった弁護士もので描かれる企業訴訟はそのシーズンの肝となるエピソードになることが往々にしてあるのです。それは企業訴訟が原告側に圧倒的に不利であることが常だから。相手側には優秀な弁護士がおり、なにより潤沢な資金がある。それに対して原告に資金はなく、立証責任の大きく厚い壁が立ちはだかる。だからこそ、彼らが一矢を報いる展開に血湧き肉躍らずにはいられない。

今回のリーガル・ハイでも、過疎の片田舎で、工場による公害を理由に原告団が結成され、そこに古美門たちに白羽の矢が立つわけですが、こういう展開自体はとくに目新しいものではない。映画「エリン・ブロコビッチ」を例に出すまでもなく、ある意味企業訴訟のパターンと言ってもいいぐらいです。実際、ホールのエントランスで企業側と接見するときに黛がその土地の水を出すシーンは、エリン・ブロコビッチにも全く同じシーンがあるくらいです。

しかし、今回の脚本の素晴らしさは、序盤から古美門が懸念するように原告団の「ことにあたる」姿勢をまず最初に打ち破るべきものとして設定したところではないでしょうか。アメリカの弁護士ドラマのハイライトは言うまでもなく陪審員に向かって語る最終弁論ですが、最後の古美門の10分以上に亘る演説はまさに最終弁論さながらです。違うのは、それが相手側に対してではなく原告に向けられていることです。彼は言う。「あの老人たちには、戦争とズワイガニ食べ放題つきバスツアーの区別がついていない」。

しかし私たちにはあの老人たちの気持ちがわかる。金がすべてではないという姿勢こそを美しいとし、誠意を見せてもらったと矛先をおさめようとし、出来るだけ穏便に、苦しい思いを押し殺してでも、「うまくやっていく」ことを第一に考えてしまう気持ちが。古美門はまさにその「私たち」そのものに矢を投げかける。あの台詞を言われているのはドラマのなかの老人たちであり、私たち自身でもある。しかし何より素晴らしいのは、そう受け取ってもいいし、そう受け取らなくてもいいというスタンスが一貫して崩れていないところです。あれは受け手を信用して投げられた矢にほかならず、だからこそ受け取ったものに深い余韻を残すのではないでしょうか。

「金がすべてではない?金なんですよ」「責任?とるわけないでしょう!」という古美門の台詞を、ここまで清々しく聞くことができること、その台詞の清潔さを感じることができることに心から感服しました。

そして、ただ感情を吐露するばかりではなく、長台詞の後半に具体的な事実を羅列して述べ、さらに全体のテンションをあげていかなくてはいけないという役者泣かせの構成をみごとにものにし、観るものを文字通り圧倒した堺雅人さんに、心から拍手を贈りたいです。