今週の清盛

第26回「平治の乱」。
先週の土曜日「天日坊」観てきたんだけど、そこで出てきた「俺は誰だ?」って台詞。日曜日に三鷹でままごと観た後脇目もふらず家に帰ってきて「清盛」の放送をオンタイムで見ていたわけですけど、清盛と信西の出会いを回想するシーンで清盛がまったく同じことを言っていた。俺は誰だ!誰なんだ!

だれでもよーーーい!!

誰でもよいゆえ、助けてくれ!これが阿部"信西"サダヲの登場シーンでした。笑った。サダヲちゃんぽいにもほどがあるよー、なんなのそういう役回り?とか言っていた。けど、あの「だれでもよーーーい!」の瞬間から、こうなることは決まっていたんだなあ。誰でもではなくて清盛の名前を呼ぶけれど、その時清盛はそこにはいない。

自分を探しに来た敵方に清盛の幻影を見るとか、そんな、演出、あざといようううとか思いながら、信西それきよたんじゃないからああああ!とか言ってテレビの前で身を捩っていたわたしである。お安くて申し訳ない。でもおやすくてけっこうです。しかしそれにしても、ああいう場面での阿部サダヲはすごい。かわいかったりかっこよかったり、時にはキモかったりといつもそれぞれに強めなカラーを打ち出してくる人だけれど、ああいう「勝敗を決する最後のパス」をぜったいにはずさない、というのがこの人の真価だよなああと思う。強い目をしていたなあ、最後の最後まで。

日本人のDNAには「源氏びいき」というか「義経びいき」ってのがすり込まれているんですかい、と思わないでもないのですが*1、普通に歴史を真っ平らに読めば、保元の乱以降の清盛は時の権力者(=信西)におもねって地位をあげていく、腹黒かつ狡猾な男、と見られてもしょうがないだろうと思うのに、この時期の清盛をそう見せずに描ききっているのは脚本の力もさりながら、この阿部サダヲという役者の持つ魅力も随分その助けになっていたのではないかと思います。

次はいよいよ「宿命の対決」。間、髪を入れずに今度は義朝たんとさようならか…うううう…(泣いている)(もうからかい!)

*1:視聴率のことは言いたくはないけど、でも清盛というのがあまりにも歴史上敵方としてのアイデンティティを確立しすぎているというのもあると思うのね…