持てる者、持たざる者


桐島、部活やめるってよ」を見てきました。
本屋でこのタイトルは何度も目にしてて、そしてそのタイトルの印象から「桐島」という生徒をめぐる熱い青春ラプソディ的ななにかなんだろうと勝手に思っていた私。桐島くんに、最後の一花を!的な感じで団結、みたいな。
ぜんぜんちがった。
いや、「ぜんぜんちがう」ということを知ったからこそ足を運んだんですが。

学校という建物のなかには、目に見えないヒエラルキーがあり、目に見えない戒律が存在する。彼ら彼女らはただ単純に楽しんでいるような顔をしながら、その危ういバランスをいつも読もうとしている。「桐島」はそのヒエラルキーの頂点に立つ人物であり、桐島の親友、桐島の彼女、桐島の親友の彼女…というように関係は連鎖していく。
その頂点が突然、彼らの戒律から外れたとき、この危ういバランスはどうなるのか。(以下いちおう畳みます)
ドミノ倒しのドミノではないけれど、最初のひとつが倒れたあとの連鎖がきわめて静かに、しかし説得力豊かに描かれていて、最後まで惹きつけられました。女子どうしの言外の意味をたっぷり含んだ相槌、あのめんどくささ、もう学生でなくなってから四半世紀が経とうというわたしですら、あの頃を思い出さないではいられない。

しかし、私がこの映画でいちばんぐっときたのは、教室でのおしゃべりや、好きな人の背中を見つめる目や、授業中に教科書の陰で隠れて書いていた落書きや、そういったすべてが「あれは確かに、あのときだけのものだった」ということを痛いほど感じたことでした。私はお世辞にも楽しい高校生活を送ったとは言えないけれど、そして「あの頃に戻りたい」なんてことを金輪際思わないけれど、そんな私でもあの時だけに許された苦さと甘さを、懐かしく感じてしまうほどに。

映画の中で「不在の桐島」を担保する役目を担っているのはヒロキで、彼のすごさ=それを凌駕する桐島のすごさ、として描かれるわけだけれど、こういう「山を描かずに山を描く」みたいな手法そのものが大好きでときめいちゃいました。ヒロキや桐島はまさに彼らの世界では「持てる者」なわけだけれど、だからこそ最後に8ミリフィルムを媒介して、それが逆転して見えるシーンがすばらしい。あの屋上でのふたりが向かい合うシーンはなんというか、美しかったですね。