「ふくすけ」

舞台で拝見するのは初めてです。ニッソーヒで上演されたものをシアテレで見てはいますが、やっぱり見ると観るとじゃ大違い。

こういう、初演から何年も経った後で再演される作品を見るときについつい想像してしまう癖があって、この芝居の初演を(ふくすけの場合はスズナリで)観た観客の、芝居が終わった後の興奮ってどんなものだったんだろうって。自分はすごいものをみた、すごいものを見ている、そんな感覚に震えたりしたのかなって想像してしまう。

あらすじをうまく説明できる気がしない、と思うほどにそれぞれの登場人物が抱えている状況がヘヴィーで、その関係が入り組んでいて、それなのに誰一人として欠かすことのできないピースとして書き込まれていて、その入り組んだ関係がほどけながら一気に終末に向かう。あの、落ちているのに上がっていくような昂揚感はなんだったんだろう。

中盤でフクスケを演じる阿部サダヲが滔々と語る長台詞は、松尾さんのエッセンスがぎゅっとつまったかのようなパンチラインの連続で、あの短い間に何本胸に矢が刺さったんだ!と思うほど届いて届いて届きまくりでした。俺に親切にするな、親切にするなら俺とセックスしろ、そういうことだろ、という台詞、神も宗教もないこの時代に人はどう生きるか、生まれてこないほうがよかったと言われたとき、人はどう生きるか、という台詞。それを、ここまで音も光もふんだんに溢れていた舞台で、このときだけは阿部さんはひとりで、舞台を文字通り縦横無尽に駆け巡りながら観客を呑み込んでいく。まさに圧巻だった。

フタバがタモツに「汚れてるぞ」と言われるシーン、フタバと電話で話しているときのヒデイチがまるで胎児のように身体をまるめて指をくわえるシーン、死んだ子供を抱えるヒデイチと子供を助けるマスの対比、ヤったんだろ?と繰り返し聞くコオロギの震えた声、繰り返し鳴っていた喜びの歌が最後に高々と光の中で演奏されるときの、ヒデイチの背中。

物語の展開を知っていても、こうまで圧倒されるものなのかと何度も思いましたし、やっぱり見ると観るとじゃ大違いなんだよなあ…ということを改めて思い知らされた感じがします。

終始ボールの受け手に回る古田新太というのも新鮮でした。マイラブ小松和重さんはコズマ三姉妹の長女で、違和感ないのがすごいよと申し上げたい!初演再演で松尾さんのやったコオロギをオクイシュージさんが演じていて、パンフで松尾さんが「コオロギには作家性がほしい」と仰った話が載っていたんですけど、一見コオロギがはまりそうな古田さんをもってこなかったのもその辺なのかなーと。いやオクイさんすごくよかったです。というか演出しながらコオロギをやってたなんて松尾さんタフすぎだろう!

見終わった後、あれだけ救いのない話と言っていいような物語なのに、なんだか浄化されたようなというか、かなり興奮した状態に自分がなっていて、あれなんだったんだろうなー。まさに劇的興奮を浴びるように、いやぶっかけられるように味わった舞台でした。