「テイキングサイド」

恥ずかしながらというか、実の姉がずっとピアノをやっていてクラシック音楽というのが身近にあったはずなのにというか、だからこそというか、クラシック音楽についてはもう完全に白旗です!という人生(名曲を聴くだけで眠くなるテイタラク)を送ってきましたので、フルトヴェングラーという名前そのものは知っていても演奏を耳に(音源含め)したことはたぶん、一度もありません。

テイキングサイド、どっちの側につくか?というタイトルのとおり、芸術にすべてを捧げた男と、揺るぎない現実主義者とが常に向かい合い、ぶつかり合う芝居です。

偉大なるマエストロ、フルトヴェングラー平幹二郎さん、彼を「非ナチ化」の罪で取り調べるアメリカ人将校を筧さんが演じていますが、筧さんの機関銃のように繰り出す粗野でねちっこい台詞の山と、どこか鷹揚として芸術家としての大物ぶりを遺憾なく発揮する平さんの台詞回しの応酬はさすがです。圧倒的に台詞、台詞、そして対話、対話で物語が進んでいくので、これは台詞を乗りこなす力のない役者がやったら殆ど悲劇だろうなと思わせますが、そこはお二人とも微塵も揺るがない芝居で堪能しました。

私は自分で自分のことを「芸術」を理解する人間だとは思っていないところがありますし、先に書いたようにフルトヴェングラーの偉大さを実感していないところもありますので、あの徹底した現実主義者の将校が彼を「偉大な芸術家」ではなく自分たちと同じ人間という地平に引きずり下ろしたい、と暗い情熱を傾けた気持ちは理解できる気がします。圧倒的な現実の前では、芸術などというものが何の役に立つのか。この2,3年でそのことを少しも考えなかった日本人はあまりいないのではないでしょうか。

しかしそれでも、芸術には、音楽には、人の魂を癒す力がある。あの部屋で、そのことを真に信じることができないあのアメリカ人将校のこの先のことを、ついつい考えてしまいました。

小林隆さんがフルトヴェングラーのために証言するベルリン・フィルの第2バイオリンを演じていて、いかにも小心という佇まいや人間的な弱さを露呈する場面でも、その人物を憎ませない品があってとてもよかったです。あと、これからご覧になる方へ、終盤にかなり長い間実際のナチスドイツに関わるフィルムが映し出される場面がありますが、そういうのが苦手だという方はあまり目を凝らしてご覧にならない方がいいかもしれません。