「ホロヴィッツとの対話」

クラシックに明るくない私でもさすがにその名前は知っている、ウラジミール・ホロヴィッツ。偉大なるマエストロ、比類なきピアニスト。そして、だからこそ神経質で、扱いづらい、「変人」としても知られる芸術家。

そのホロヴィッツに信頼され、彼のピアノを調律することを許されたただひとりの男、フランツ・モア。物語は、ホロヴィッツ夫妻がモア夫妻の家を訪れ食事を共にする、その一夜を描いています。

ホロヴィッツを段田さん、その妻ワンダを高泉さん、モアを渡辺謙さん、そしてその妻エリザベスに和久井映見さん。たくさんの笑いとちょっぴりの涙と、そして最後には劇場にいる私たち同様、来たときよりも暖かな気持ちに包まれる登場人物たち。まさに三谷幸喜ならではのユーモアとウィット、そして切ないおかしみに満ちあふれた2時間10分でした。初舞台となる和久井映見さんの衒いのない素直な芝居と、段田&高泉という速い球でも変化球でもなんでもござれな巧者ふたりのぶつかり合い、ストレートをビシバシ決める渡辺謙さんの大きな存在感、ピアノの荻野清子さんを含め素晴らしいアンサンブルでした。とにかくオススメです。ぜひ足を運んでみてください。

以下、作品の重要なネタバレを含みますのでこれからご覧になる予定の方は回れ右!いやマジで。絶対、バレを知らずに見た方がいいです!!!(断言)


三谷さんがモアの著作を読んだことからヒントを得たというこの作品、「コンフィダント」同様、「偉大な人物よりも、その周りの人物」にピントを当てていくのは三谷さんの得意技ですし、ご本人も「そういう人物のほうが気になる」とよく仰ってますよね(「彦馬がゆく」とかもそうだしね)。ホロヴィッツのことは知っていましたが、モアのことはまったく存じ上げず、帰宅後著作である「ピアノの巨匠たちとともに」を図書館で予約しちゃいましたヨ!

ピアノの巨匠たちとともに

ピアノの巨匠たちとともに

そして「テイキングサイド」でも再三名前の出た有名な指揮者トスカニーニの娘とホロヴィッツが結婚していたのも当然知りませんでした。なんというリンク。

名声をほしいままにし、その奇人ぶりで知られるホロヴィッツとその妻にモア夫妻は振り回され続け、その様子が観客の笑いを誘うわけですが、確かに理不尽といえば理不尽なんだけど、ホロヴィッツの我が儘は演じる段田さんの素晴らしさもあってどこか愛嬌がある。偉大なマエストロだからこそ許される、といった稚気があって見ていていやな感じがしません。とはいえモアの「ときどきハンマーで後ろから殴りたくなるときがあるよ」という台詞にエリザベスが答えていう「お願いがひとつだけあるの。私の手の届くところにハンマーを置いておかないで」はわかるわかる気持ちわかる!と爆笑でした。

そのしっちゃかめっちゃかではあれど和やかな空気がおかしくなるのはワンダがモア家の子供部屋を訪れたあとからで、ワンダからエリザベスの、モア家への嫌味は階段を駆け上がるように痛烈さを増していく。それまでの、我が儘を言うホロヴィッツを軽くいなし、モア家での晩餐を楽しんでいたワンダはどこにも感じられない。観客は、そこまでに繰り返された何気ない会話の中から、なぜワンダがそこまで言い募るかをうっすらと予測している。さっきまでのドタバタ劇がまるでうそのように、手のひらに汗をかくような緊張感が舞台を覆う。

登場人物は4人ですが、そこにいないということで何よりも雄弁に物語る、ということもできるんですよね。

この劇中のホロヴィッツは言ってみればどこか偏屈な老人ではありますが、隣家の下手なピアノに耳を傾ける場面、ルービンシュタインの最後のツアーに同行するモアを子供のような言いぐさで引き留めようとする場面(すっごくキュートでよかったんだよな〜!)、そして沈没する船のたとえ話で、モアの言葉に心底満足げに「完ぺきな回答だ」と頷く場面、芸術家としてのプライドとモアへの信頼と愛情が溢れていてどれも深く印象に残っています。

それにしても、終盤の演技合戦というかなんというか、ワンダに一言言ってやらなければ気が済まない、というエリザベスに言い放つ「話をよくお聞きなさい。誰が子供たちの悪口を言っていますか。私はね、あなたの悪口を言っているのよ」。このシーンの!高泉淳子のすごさ!!!もう!!!!女優の仕事ってこれだろーーー!!!見たかーーーー!!!と叫び出したい気持ちでしたよ。そしてもっとおそろしいのが、そこをさらに制圧する段田安則の空恐ろしいほどのうまさだよ!!それまでよりもなんならトーンを落としているのに、もうその台詞喋っている間段田さんしか目が行かないあの吸引力ってなんなん!?なんなのよ!!

そのハブ対マングースみたいなところをまたさらに豪腕の渡辺謙が押さえ込むんだから、もうほんと息をするのも忘れるほどだよ。かなりの長台詞、謙さんものすごく入り込んでらっしゃって、涙がとめどなく溢れてくるという姿(しかも私の真正面でその長台詞だったもんだから)、いやいやもうもらい泣きしない方が無理!って感じでした…それでもきちんと台詞を届けようとされるところはさすがです。

劇中にホロヴィッツが言う、笑いとはつまるところ緊張と緩和、ではないですが、その緊張のあとにきたプレゼントの顛末にはほんっと笑い転げたよね…!伏線も最後まできちんと拾いあげていていやはや、今更ながらの言葉ですがさすがです。ほんっと嬉しい男だよ三谷幸喜ってやつは!

本公演初日で、若干台詞がぶつかり合ったりというような場面もなかったわけではないですが、そんなことはどうでもいいと思わせる完成度、脚本も演出も役者陣もお見事でした。心から笑い、舞台の楽しさに酔った2時間10分。言うことなしの一本です!!!