「それからのブンとフン」

  • 銀河劇場 E列29番
  • 作 井上ひさし  演出 栗山民也

「ブンとフン」という小説を読んだのが何歳の頃だったかは正直記憶に薄いのですが、しかしいわゆる「子ども時代」に読んだ本の一冊であったことは確かです。思えば私にとって井上ひさしというひとはまず小説家だったし、その後観劇を趣味とするようになってからはたくさんの舞台も拝見したが、やっぱり三つ子の魂、ではないけれど、「ブンとフン」や「モッキンポット師の後始末」「青葉繁れる」などで幼い頃に夢中になった原体験の強烈さにはなかなかかなわなかったところがありました。
以下、物語の終盤の展開をがっつり書いているので、畳みます。
「それからのブンとフン」は、小説を戯曲化し、さらに後日談をつけ加えてテアトルエコーに書き下ろしたものだそうです。観劇する前に、ブンとフンを読み直してから行こうかなと思っていたのですが、ちょっと時間がなくてバタバタしてる内に当日になってしまいました。けど、読んでなくても大丈夫でしたね。始まったら、すっかり思い出した。

「それからの」にあたる、つまり「ブンとフン」の後日譚にあたる部分は二幕で展開されます。「一億総泥棒」と化したスラップスティックな場面から一転、世界各国に翻訳された「ブン」たちが集まるブンの世界大会で、国家のイデオロギーが絡んだ「翻訳」からそれぞれ考え方の異なる「ブン」たちが生まれ、「ブン」と「ブン」とが真っ向から対立する。「できないことのない」ブン同士の対立によってブンの世界は膠着していく。二度とブンを生み出せぬよう牢に閉じ込められたフン先生のもとにオリジナルのブンが現れ、生き残る為には逃げ続けなければならないとフン先生にお別れの言葉を告げる。それを見送ったフン先生はペンと紙がないのならと牢の壁に自らの血で、ブンを助けるための新たな小説を記していく…。

もとの小説を読んだ方には、エッと思われる展開かもしれません。あの一気呵成に突き進んでいくブンとフンの、どこかあっけらかんとしたような突き抜け方とあまりにも印象を異にするというか。

けれど、ブンとフンで描かれた(この舞台における一幕の)世界は、どこか必ず世界はよい方向へ向かうのだというような信条のようなものに支えられていたところがあったと思うのですが、だが実際にはそうではない。理想は崩れ、希望は打ち砕かれ、世界は暗闇に包まれる。けれど、というそこからの意思、打ち砕かれたからこその根強い意思を描こうとするところは変わっていないのかなと思いました。

観劇後に再読してみて、実際にこれを書いたときの作者の年齢を越えた今、また違う視点で読める物語だなあと改めて思いましたし、あの頃はまだたとえば共産主義だとか、アナーキズムだとか、そういうイデオロギーの匂いをかぎ取ることすらできない子供でした。けれどこの作品のすばらしいところは、そういった匂いを感じとることができなくても存分にその世界を堪能できる物語だというところなのかもしれません。

市村さんのフン先生、ぼさぼさ頭によれよれの褞袍、すばらしい愛嬌とそしてもちろんすばらしい歌!堪能しました。オリジナル・ブンの小池栄子さん、そういえば「若尾文子」って人を知ったのはこの小説だったなと改めて思い出したり。じゅんさんのクサキサンスケ長官もイメージにピッタリ!

芝居の感想というよりは「ブンとフン」の思い出、みたいな話になってますが、やはりそれだけ、幼少期に触れた本の影響力というのはすごいのだなということでおゆるし願えればと思います(笑)