シェイクスピア・アレンジ

長塚さんの「マクベス」観て、なんだかんだシェイクスピアの作品もそれなりに観てるよなあ…としみじみしていたんですが、感想でも書いたようにやっぱりそのままドストレートにやられるよりも「なにか」仕掛けてくる演出のほうが好きだし、がっつり脚色しちゃってる作品も、それが成功していればもちろん大好きです。

わりとよくある手法なのが「シェイクスピア劇」を演じる旅の一座ですよ的な、入れ子構造で見せる演出ですよね。今回の長塚さんのように衣装で主張する方法もありますし、設定を完全に「和」にして(台詞は変えずに)見せる方法も。脚色でいけばそれこそ先日の「鉈切り丸」もそうですし、新感線なら「メタルマクベス」もその系統。野田秀樹さんの「真夏の夜の夢」もそうですよね。野田さんといえば遊眠社時代に「三代目、りちゃあど」というこれまた傑作がありますが、再演する気配とかまったくないよねアレ…(笑)

そして私が過去観た中で、シェイクスピア・アレンジの最高峰にいまだに燦然と輝き続けるのが、自転車キンクリートの「ありがちなはなし」です。元ネタは、ロミオとジュリエット
ロミオとジュリエット、それぞれにいた「であろう」友人たちを描き出し、あのロミジュリを魅力的な群像劇に仕立て上げていること、この脚色の眼目はまずはそこですが、恋に落ちた主人公ふたりをけっして貶めることなく、その恋をもどこか魅力的にみせていて、これもういろんなところで言ってますけど

なんでこれを誰も再演しないんじゃーー!!!

と声を大にして言いたいわたしですよ。マキューシオの死の場面、仇を討つとロミオが決意するシーン、ジュリエットの友人たちの恋の鞘当て、ロミオがジュリエットに会えたうれしさにくるくるまわり「もーう分別ないですわたしたち!」と叫ぶシーンとか大好きだった。だってほんとまさにその通りじゃんね。ジュリエットが嫁げといわれる青年貴族パリスとのシーンも忘れられない。結婚の話をしにくるパリスがジュリエットを気遣って自分の祖母の話をする。かれの優しさに一瞬心が揺れるジュリエット。あのエピソードほんと好きだった。どんだけ好きかって、「ありがちなはなし」の上演が1991年10月ですでに22年前のことだというのにこんだけ切望しているということからもご理解いただきたい。

私が最初に観た「シェイクスピア」が遊眠社の「三代目、りちゃあど」で、次がじてキンの「ありがちなはなし」。もう、アレンジされたシェイクスピアを好むように育っても、しかたなかろうもんという話です。