「HHhH プラハ、1942年」

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

"Himmlers Hirn heißt Heydrich"。「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」、この一風変わったタイトルはこの言葉の頭文字から取られている。ナチによるユダヤ人大量虐殺の首謀者で責任者であったラインハルト・ハイドリヒ。ヒムラーの右腕、第三帝国でもっとも危険な男、金髪の野獣。この「プラハの虐殺者」を暗殺すべく送り込まれたチェコ人とスロヴァキア人の二人の若者。

ジャンルに分ければ「ノンフィクション」に類される小説ですが、恐らくこの本の感想や書評のあらゆるものに「それだけではない」というエクスキューズがつけられているのではないかと思います。作者のローラン・ビネは「真実」もしくは「事実」を描写することに一種異様なまでのこだわりを見せる、たとえば作品中に出てくるメルセデスの色が黒なのか深い緑なのかということまで。作者は「ある程度の事実に肉づけをして真実を創作すること」をこの作品から排除し続けようと試みる。そのために作者は徹底的に調べる、調べる、調べ続ける。

しかしながら、「かつてあったこと」を描きだすのは、どうやっても「かつてあったかもしれないこと」を描き出すことまでしかできない。「ほんとうのこと」はその場にいた人間にしかわからない、いや、その場にいた人間にもわからないことがあるだろう。「あったかもしれないこと」を「あったこと」に極力近づけることはできても、その二つがぴったり重なることはない。絶対にない。

作者はその重ならない二つの間で葛藤し続ける。その葛藤は作品の中でそのまま吐露される。しかし、その長い助走ののち、作者はとうとうあの場所に降り立つ。これまでに積み上げた圧倒的な「彼らにまつわること」が、作者と同時に読者もその場所に連れていく。そこからはもう、一気呵成だ。読んでごらんなさい、そうしたらわかるから、としか言えない。1942年5月27日のプラハに降り立ってみたいと思うなら、この本を読んでみるしかない。

本屋で手にとって、最初の一行でああ、きっと私はこの本が好きだ、そう思いました。そしてそのまま迷うことなく購入した。あとがきに引用されているタイムズの書評の言葉を借りれば「短くパンチの効いた断章を駆使することで、ローラン・ビネは脱兎のごとく語り抜けていく」。「いかにもそれらしい真実」を排除しようとする作者が、その葛藤を乗り越えて描き出す数々の場面はことのほかすばらしく、その短いセンテンスの積み重ねによって一気に引っ張りこまれてしまいます。

その抑えた表現ゆえになんでもない場面でも胸に迫るものがあって、特に131章はその末尾の一行までしびれるような精度で描かれているように感じられて、個人的にたまらないものがありました。

圧倒的な、圧倒される一冊です。ぜひ。

ガブチーク、それが彼の名、実在の人物だ。彼には聞こえてきただろうか、闇に沈むアパートの鎧戸の背後で、たったひとり小さなスチールのベッドに横たわり、プラハ路面電車のすぐにそれだとわかる独特の軋み音に耳を傾けただろうか?
僕はそう思いたい。
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*1:ローラン・ビネ著『HHhH』冒頭より引用