「空ヲ刻ム者」

スーパー歌舞伎セカンド、と銘打たれて猿之助さんの盟友(と言ってよろしかろう)佐々木蔵之介さんのほか、浅野和之さんや福士誠治くんを迎えての公演。わたし、スーパー歌舞伎と名のつくものを観るのはこれが初めてです。

4時間40分という上演時間にひえーとなりつつも、とはいえ歌舞伎ではまあ普通の上演時間(途中30分・20分の幕間ありますし)。ちなみに私が見たときには4時間20分に縮まってました。来月は大阪でも公演があるので以下ネタバレにつき畳んでおきます。
同郷で理想を同じくしていた幼なじみ二人が、道を進むにつれて袂を分かち…というベースの物語があり、その十和という仏師と、一馬という領主の息子それぞれの己の道を選び取るまでの葛藤を描いているので、物語としてはとても追いやすいと思いましたし、飽かずに見られたなあというところ。しかし、食い足りないといえば食い足りない。これだけ長さがあって何が食い足りないのかな、って考えたらやっぱりやりとりする感情の「濃さ」みたいなものが足りなかったような気がしてしまいます。誰も彼もここぞというところでものわかりがよすぎる、と思うのは私が「のっぴきならない、引き返せない」ところからの幼なじみなら幼なじみの、兄弟子と弟弟子ならその兄弟弟子の、盗賊と役人ならその立場ゆえの、ぶつかり合うさまを見たい、と思っているところがあるからでしょうか。

才能があると人は言うが、それすらも自分にはわからない、自分たちは恵まれた立場におり、その境遇をムダにすることはしてはいけない、それらの台詞を猿之助さん自身になぞらえて見ることもできるんですが(定石通りでは面白くない、なんて台詞もありますし)、そういった重ね合わせをしたとしても、まずなによりもあの物語の中に生きている役として、親なり、友なり、同僚なり、師匠なりを超えてなお掴み取りたいもの、というのがちょっと見えにくかったですね。

しかし、まさか最後にあの二人が手を繋いで宙を飛ぶとは…いんやもう、ほぼ真下から見上げていたので、一瞬何が起こったのかわからなかったヨ!えええ!そうくる!?みたいな。そういうところも含めて猿之助さんのお楽しみ会的な感覚が残っちゃったのはよかったのかわるかったのか。

しかし、こうして「歌舞伎」という文法の中で見ると、さすが猿之助さんを始め澤瀉屋の皆さんの地力というのはすごいものがあるなあと思わされます。やっぱり芝居が大きいんだよね。だからねえ、蔵之介さんは勿論立ち姿もいいしニュアンスとしてはいい芝居をしていると思うのだが、もっと来いよお!とも思ってしまうのだった。理屈じゃない上乗せがないとどうにも十和とのパワーバランスがなあ。お前のピスタチオ魂そんなもんじゃねえだろう!と古い話を持ち出したくなってしまう罠。しかし、すごいのは浅野さんで、特に大きな芝居をしているとも思わないのに、ちゃんと澤瀉屋の皆さんと釣り合った芝居になっているところにほんと感心する。さすがですね。福士くんは役のかわいさもあるけれど、まっすぐな役をまっすぐやり切っていてとてもよかったと思います。