「her/世界でひとつの彼女」


すっごくよかったです!このあとがぜんネタバレして感想書いているのでお気をつけくださいませ。

自分の涙腺を刺激するモチーフ、ってひとによって違うと思うんですが、私の場合昔から「手紙」というのがその中のひとつなんですね。手紙(もちろんメールでもいい)を書くという行為は即ち、相手の不在にむかって語りかけることであって、だからこその切なさ、思いの結晶みたいなものが感じられるんだと思うんですよ。
この映画は、そんな「不在」に向かって語りかけることを生業とする男が主人公。

現在よりももうすこし時間が進んだ、AI搭載のOSが開発されている未来。主人公のセオドアは未来における「代書屋」で、恋人や家族への節目節目に送られる手紙を代筆している。彼は妻と現在別居中で離婚を迫られている。ベッドに横たわり、かつて過ごした妻との愛しい日々を壊れたテープのように思い出すだけの日々。ある日かれは、その最新型AI搭載のOSを購入する。簡単な質問のあと「最適化」されて彼の前に現れたその声は、自分のことを「サマンサ」と名乗った。

AIに恋した男のはなし、そういってしまえばそれだけなのかもしれませんが、見ているうちにおそらく誰しもが考える、AIに、OSに恋する、それは異常?OSの声とセックスするのは異常?ではチャットルームで偶さか知り合った女とテレフォンセックスするのは正常?その違いは?前者に肉体がなく、後者には肉体があるから?じゃあひとは、いったいひとの「何に」恋をするのか?

OSのサマンサにときめきながらも、かつて心底愛した妻からの痛烈な言葉にゆらいでしまうセオドア。ただのPCじゃない、そう言いながら、自分でもどこかでOSと恋をする自分を疑っている。自分には人間として決定的な何かが欠けていて、だからもうリアルな人間関係を築くことができないのではないか、と彼は考える。でもそれって、たぶんみんな一度は考えたことがある(わたしだってしょっちゅうそう思っている)ことで、だからこそ主人公のゆらぎに心を沿って見ることができたような気がします。

AIが相手である以上、この物語の結末がメデタシメデタシで終わらないことは最初から想像できるのだけど、現実の妻も、AIの恋人も、「ひとりで成長していく」ことを選ぶことによって彼から離れていくのがなんというか、痛烈だなあと思いました。

AIには肉体はないけれど、いつでもそこに「いる」。彼がボタンを押せば、声をかければ、彼女は必ずそこにいる。アップデートで通信できなくなった時の「いない」感にセオドアが必死になるのも、いないことがあり得ないからこそだ。けれど「いる」からこそ、セオドアはそこにいない、彼女の不在に対して語りかけることはできない。AIの不在を愛することはできない。ラストシーンで、セオドアは元妻に、元妻の不在に対して言葉を残す。それはサマンサに対してはできなかったことだ。けれど、「いない」ことに思いをかけることができると教えてくれたのは、サマンサだったのだなあとおもう。

セオドアを演じるホアキン・フェニックス、すばらしい。なんというか、魅力ある男性としても、ちょっとナードな部分を匂わせる男性としても、ときによって違う見え方をするのがすごいなああ、と。ルーニー・マーラがちょうかわいくて、あの三角コーンかぶってごっつんこするとことかヒイイ!ってなったよ女ながら。そして音楽!最高でした。サントラ欲しくなる。