「母に欲す」

足の踏み場もないほどに散らかったアパート、ベッドに半ケツで横たわる男の、全身から漂う怠惰な空気、何度も何度も鳴る電話。着信音を無視することに慣れきったふうな男は緩慢な動作でベッドから起き上がり、トイレに行き、財布を確かめ、格安のデリヘル嬢を呼ぶ。到着の連絡を待つ間、携帯の着信履歴を確認する。弟からのメッセージには答えないが、ひとつあった友人からの着信に彼は折り返す。友人は告げる。おまえのかあちゃん、おととい死んだぞ。
私はポツドールの公演を拝見したことがないので、三浦さん演出の舞台を見るのはこれが2度目です。で思うんだけど、三浦さんの演出が自分の好きなタイプか、そうでないかといったら多分好みじゃないんですよ。けれど好みじゃないのに、この3時間超えの結構な長尺の舞台を集中して見ることができるっていうのがなんか自分でも不思議なんですよね。たとえば冒頭の、東京での裕一の姿は、かなりの時間をかけて(しかも殆ど動きがない中で)見せていますが、あれを「もっと短くしろ」とはやっぱり思わないわけですよ。三浦さんが求める濃度に達するには時間が必要だというのがわかるし、その濃度に達してからはそもそも時間が気にならなくなる。つまるところ、演出家がちゃんと舞台上の濃度をコントロールできているのかいないのかっていうのが私にとっては大事なのかもしれないなーと思いました。

タイトルがタイトルだし、三浦さんだし、ともっと母と息子のセクシャルな部分に焦点があたるのかなって思ってたんですけど、いやもちろんそれもあるんですが、それよりも息子が母親に求めていること、というものがプリズムみたいに角度を変えて見られたような気がします。そこはやっぱり、娘から見る母、という視点からははかれないものなんでしょうね。

それにしても、弟からの狂ったような留守電を無視し続け、母親から仕送りしてもらった(おれが生まれつき身体が丈夫じゃないのはアンタのせいだ、などという鬼の台詞まで言ってせしめた)2万円を、場末のどうしようもない風俗につぎ込んでしまう長男も、一見一番大人だけれど、父の後妻(になるであろう人)に対して距離感をはかれず、どうしようもなくつらく当たったり、逆にどうしようもなく懐いたりしてしまう次男も、あっという間に新しい女を家庭に連れ込んで、疑似家族ごっこに余念がなく、体面ばかりを気にする父親も、いやもうマジで、クズだな…!と1人につき1回はしみじみと思った気がします。と言いながら、父の後妻をかばったり、東京に行った勝手な兄をそれでもゆるしたり、黙って息子の滞納した家賃を払って帰り際に顔を見に来たりするのもまた彼らなのだった。いい人ばかりではない、のではなく、人はいいところばかりではなく、そしてもちろん、悪いところばかりでもない。

裕一があの友人の電話だけは、最初のシーンから一貫して答え続けてるっていうのは実は気になっていて、ラストで実際に友人がその話をするのですが、それに答えた台詞がちょっと聞き取れなくて、そこが地味に気になっています。

銀杏BOYZ峯田和伸の初舞台、しかも作演が三浦さん、ということで話題を呼んでいましたが、峯田の肉体はなんというかとてもリアルで、そのだらしなさまで含めてすごい存在感でした。そしてもちろんのことながら、ギターを持って歌うと俄然圧倒的。池松くんを舞台で拝見したの初めてですが、やーあのスレンダーでバランスのよい身体(その点ではリアルさは薄い)、兄ちゃん、兄ちゃんって、俺の気持ちわかってくれるの兄ちゃんだけなのにっ…とか、あの顔で言われたらもうどないもこないもありまへん(両手でバンザイ)。おそろしいほどかわいかったです。

しかし、一番ずがん、ときたのはまあもう、ある意味あざといのかもしれないけれど、最後の母の留守電ですよね。「こんなことになって、もっとこうすればよかった、ああすればよかったと、私にしてあげたかったことを悔やむかもしれません。でもお母さんは、あなたたちにして欲しかったことなんてひとつもない。その代わり、あなたたちがお母さんにして欲しかったことを思ってください。それがお母さんのしたかったことです」。これで、泣かないでいる、というのは、ちょっと無理だった。そしてだからこそ、このタイトルなのだなと、得心した次第です。