「オール・ユー・ニード・イズ・キル」


原作は日本のライトノベル、ハリウッドで映画化して原題はEDGE OF TOMORROW、日本公開時にはタイトルが原作に沿って「オールユーニードイズキル」に戻ったという。

なんとなく何も考えずに観られるブロックバスタームービーがいいなあと思い選んだのですが、あまりそういうタイプの映画でもなかったというか。「ギタイ」と呼ばれる異星人が送り込んだ敵と戦う、という筋書きはあるにはあるんですが、眼目となっているのはその「ギタイ」と主人公がある種同化して「時のループ」を繰り返してしまう、というところにあるからなんですね。記憶は保ったままのループ。何度も何度も、何度も死に、そして無謀と思えるミッションを少しずつ成し遂げていく。

まったくゲームをやらない私でも、この「死ぬことで経験値を積み上げて次の場面に遷移する」のがまるでゲームのようだと思いますし、その「ほんの少しずつ前に進む」、逆にいえば少しずつしか進まない、という展開のもどかしさ、きりきりした感じがもどかしくもあり、楽しくもあり。あのあばらやに辿り着いてコーヒーを飲む場面での「このシーンは何回目?」とか、いい場面だったなあ。

原作を読んでないんですけれど、多分本来主人公は幼年の設定なんでしょうね。宣伝畑で成功した将校がいきなり前線に叩き込まれる展開はちょっと無理があるというか、なんとなく得心できないままって感じでした。

あとねー、これ最後の展開を書いてしまいますけど、ギタイは本来すべて同じひとつのものであること、その本体はオメガといいそれが時を操作する力がある(ループを作り出している)こと、主人公のケイジは最初の戦闘で「アルファ」を倒した時にその体液を浴びたためオメガのループに巻き込まれた、などの前提から、「ある特殊な機械を使って生きたアルファ(ケイジ)からオメガの居所を探る」→「追ってきたアルファを惹きつけるために相棒が犠牲になる」→「オメガを目前にアルファにとらえられる主人公、しかし手榴弾のピンはすでに抜かれている」→大爆発、の話の流れが

パ、パシフィックリムやないか…!

と思ってしまったことをここに告白し懺悔いたします(土下寝)。