「壽初春大歌舞伎 夜の部」

「番町皿屋敷」。あれでしょ、お菊が皿を数えるやつでショ…みたいなぼんやりとした知識しかなかったので、こういう話だったのか!とも思いました。伝承とはずいぶんと違った形ですよね。

粗相で皿を割ったのではなく、恋人の心を試さんがための一事であったと知って青山播磨は激怒し、お菊を手にかけるわけですが、歌舞伎でこういった「お家の宝」みたいなものが出てきた時って、それが刀であれ掛け軸であれ、それをめぐって命のやりとりがおこなわれるというのが通常の展開なので、播磨が最初は「粗相ならしかたない」とお菊を許すのも意外だったし、ことが露見してから播磨を「皿と人命どっちが大事か」と諫められるのも意外だった。

しかし、この芝居のうまさは、「皿をあらためる」「枚数をかぞえる」時間をものすごくていねいにとっていることなんじゃないでしょうか。後半の、播磨が1枚1枚皿を割っていく緊張感の下積みがそこでできあがっているんですよね。吉右衛門さんの無言の圧力見事でした。

「女暫」。2年半前に松竹座の勘九郎襲名でも拝見しましたね。いやほんと、なんといっても玉三郎さまの女子力の高さに尽きる。もう女子って言っちゃいます。女暫だからもちろん荒事のテイですけど、だからこそ際立つ玉三郎さまのかわいさ。そして舞台番との大御馳走にもほどがあるやりとりから、花道でぐっと見得をきってみせるときのあの、なんつーんだ、オーラなんて安い言葉で言いたくないけど、劇場中の視線をぐぐぐぐっとひきつけてみせるあの力。あっわたし、こういうものがみたくて芝居にお金をはらってるんだな…!って実感する瞬間でした。

「黒塚」。猿之助さん、満を持しての歌舞伎座登場。待ってました!しかも勘九郎さんの阿闍梨祐慶…ありがとうございます。ありがとうございます。そして期待に違わぬ充実の一幕でした!ぎゃー!

舞台に設えられた小さな庵に老女の影が映し出される第一景、一面の薄にかかる美しい月をバックにした第二景、鬼となった岩手と阿闍梨祐慶らが対峙する第三景と、いずれも絵的にうつくしく、とくに第二景はそのささやかな月の明かり、そこをすべるように降りてくる老女の姿がまるで一幅の絵のようですらありました。阿闍梨祐慶の言葉によって、まさに雲が晴れたかのような岩手の心境とも相俟っていて、その中で踊る岩手の姿とともに心をつかまれる美しさでした。

決して閨の中を覗いてはいけませぬ、と言い置いて薪を取りに向かう岩手が、一瞬足を止めるときに入る三味線の音がまっためちゃくちゃかっこよくて、エレキギターもかくや、なソリッドな音だったなーと惚れ惚れ。いや、曲の美しさもものすごく印象的でした。

猿之助さんは言わずもがなですが、勘九郎さんの阿闍梨祐慶、ちょうかっこよかったわ…「あーかっこいいかっこいい、あんたはほんとにかっこいい」と心の中で何度呟いたかわかりません。しかも猿之助さんと共演でなんて、ふたりのあの躍動感に満ち満ちた動きにうっとりしました。幕となったあと、思わずほおっと大きく息をついてしまいそうな、緊迫感に満ちたすばらしい一幕でした。