「おみおくりの作法」


ロンドンの自治体に務める民生係のジョン・メイの仕事は、孤独死した人たちを弔うこと。遺品から家族の、友人のよすがを探し、孤独死したひとたちの最期を「ゆたかなもの」にするために、彼は日々仕事をする。

このあと、映画の展開にがっつり触れますので、畳みます。
いい映画でしたかときかれれば、いい映画でしたと答えます。ジョン・メイの判で捺したような生活そのものも、孤独死した映画の中の彼ら彼女ら、親族からの手紙もなく、訪ねてくる友人もなく、葬式に参列するものもない彼らの姿をみて、それを他人事と片付けられない程度には、わたしも「そっち側」に足を突っ込んでいる自覚があります。飼っている猫からを装って自分宛の手紙を書く、それを寂しい老人のすることだ、と切り捨てられない程度には。

だからこそ、その最期を切り捨てられないジョン・メイの仕事ぶりに心を寄せないではいられませんでした。ある日、自分の住んでいるアパートの向かいの部屋の男が孤独死していたことがわかる。折しも、それを最後の仕事としてジョン・メイはリストラを言い渡されてしまう。彼には向かいの男のことが、鏡に映った自分のように思えたのか、それが最後の仕事だからか、その「死んだ男」の人生を辿ることに奔走する。

ひとつひとつの「生きているがゆえの品」から過去を辿っていくストーリーラインそのものも魅力的でしたし、判で捺したような生活を繰り返していた彼が少しずつ「人生のイレギュラー」を乗り越えていく姿もとてもよかった。だからこそ、最後の展開に、えっ、っとなってしまったのです。決められたレールの上を走っていた人間が、そのレール以外の世界に踏み出した途端になにもかもがうばわれる。そうじゃないだろ、と思ってしまったのです。そこから、そこからじゃないか。

ラストの対比となる葬儀のシーンは、非常にすぐれた構図だったと思いますし、そのあとの展開にはもちろん心が慰められはしましたが、その切なさ、やりきれなさよりも、砂を噛んだような居心地の悪さが私のなかにどうしても残ってしまった。ハッピーエンドを望んでいたわけでは決してなく、自分でもどうしてこんな風に思うのか不思議ではあるのですが。