「アメリカンスナイパー」


見終わったあとはなんだか身体のいろんな所をゴリゴリと削られた感じがして、感想と言われても「戦争…いくない…」って仰向けに大の字に寝転んでつぶやくぐらいのことしかできそうになかったんですが、しかし個人的に、もしかしたら映画の内容よりも私が興味を惹かれるのは、この映画がR指定映画として過去最高の興行収入を叩き出し、並みいるビックバジェットムービーを抑えて2014年の全米国内最高の興行収入を稼ぎ出したという点です。

この先物語の展開に触れますが、まあ実話をベースにした映画ですので、ネタバレというのもおかしいかな。

主人公クリス・カイルはこの映画の完成を待たずして(つまり生前から映画は企画されていた)、PTSDに苦しむひとりの元兵士に撃たれその命を落としますが、そういった展開が待っている以上、なんとなく物語の落ち着く先は「誰のための戦争か」とか「敵とはなんだったのか」とか、そういったところになりそうな気がするのに、いや、映画としてはそういった視点ももちろんあるのでしょうが、クリス・カイル自身はそこがブレたことはない。戦死した同僚の葬式の帰りに、彼が遺した手紙の内容(戦場に勝者はいない…というような)について「あんな手紙を書いたことがあいつを弱くした」とまで言います。つまり彼には明確な敵があった。

映画の中で描かれる、彼の敵の「敵らしさ」は徹頭徹尾貫かれています。ことに敵方の「暗殺者」とカイルの一騎打ち、あの「1700メートル」の距離を「いや、1900に修正」と報告するところ、その距離から最大のライバルを過たず仕留める、その銃弾がスローモーションで飛んでいくところなど、ほとんどマンガです。それが事実かそうでないか、よりも「そういった描き方」がなされていることが観客にとっては大きいのではないかと私は思いました。

アーロン・ソーキンが脚本をつとめるドラマ「ニュースルーム」で、ビン・ラディン死亡、いや、ビン・ラディン殺害のニュースを取り上げた回がありました。かの存在の死亡を知ったニュースルームの面々は、右派であれ、左派であれ、皆心から喜び歓声をあげる。誰かひとりの死を万歳で迎える、しかも私的なことではなくそれを人と共有する、それは、それがたとえどんな人物であったとしても、日本という国で育ってきた私にとっては「この感覚はちょっとない」と思わせるものでした。つまり彼らには明確な「倒すべき敵」がいるのだなと。

ラストシーンで流される、国葬もかくや、なカイルの葬儀のシーン、パレード、スタジアムに集まった人々。まさに英雄、ヒーローのそれです。なぜ彼はヒーローなのか、それは「倒すべき敵」をより多く倒したから。あの葬儀を見て、やはりあのニュースルームのワンシーンを思い出さずにはいられませんでした。

そして2014年12月というこの時期にこの映画がここまで人に足を運ばせたのは、今また「倒すべき敵」が、ISとなって出てきたことときっと無関係ではないのでしょう。

緊迫感のあるシーンが続きますし、個人的には思わず目をそらしたくなってしまうようなところもあり、確かにR15だねこれは…と思いました。あの有名(?)なフェイクベイビーのシーンは、そうわかってみるともうそれしか目に入らないって感じですね…w