扇田さんのこと

扇田昭彦という名前をいつ頃覚えたのかは正直なところすでに遠い記憶の彼方なのだが、いずれにしろ、それが私が初めて覚えた劇評家の名前であることはまちがいない。

私は高校2年生で第三舞台に出会い、演劇、芝居というものを見始めた。つまり私はその頃、どこからどう見ても「子供」だった。有り体に言えば「ガキ」だった。そうしたガキにありがちなことだが、芝居を見始めたばかりのその頃のわたしにとって、劇評家というものはなんだか大上段に講釈を垂れるえらそうな人たちでしかなかった。私はあの頃、いかにもガキらしく自分は世界一面白いものを見ていると思っていて、そしてその世界と新聞に劇評が載るような「オトナ」の世界はまったくどこかべつの星のことのように思っていたのだった。自分が劇場で感じた空気や熱狂を、文字にして語ることにあの頃のわたしはまったく価値を見出してはいなかったのだ。

実家は長く朝日新聞を取っていたから、扇田さんの記事も読む機会はいくらでもあった。しかし、私が扇田さんの名前を覚え、その演劇に対する深い造詣と愛情に感銘を受けたのは実のところそれらの記事からではなく、NHKの衛星放送で司会をつとめられていた番組がきっかけだった。番組のタイトルはいろいろと変わったが、まだ今のように舞台の公演が気軽にメディア化される前の時代の舞台中継の数々はほんとうにありがたかった。そしてなにより、番組の冒頭にあった扇田さんとゲストの対談がことのほか面白かった。放送される作品のことだけではなく、扇田さんはかならず「その劇団・劇作家がこの作品にいたるまで」を丁寧に紐解いてくださっていた。インタビューという形式ではあったが、あれは扇田さんによる私たちのためのガイド、道案内であったし、そうして私は自分が目を塞いでいた劇評というものの世界と、自分が今いる場所が地続きであることを実感することができたのだとおもう。

初日通信の編集長だった小森収さんがmixiに書かれた扇田さんに関するすばらしいテキストを読んで、まずそこに描かれた「評価を残すことに対する執念」という表現にとても胸をうたれた。演劇は形として残らない、「風に記された文字」だからこそ、いいと思える作品、それを作った人、集団に評価を残すということがどれほど大きなことだったのか、それは一観客にすぎないわたしでも容易に想像できる。そしてもうひとつ、テキストの最後にある、差し替えのベスト5に対して扇田さんの言った言葉。
「ソカ」はおもしろかったですか。
これ以上ないシンプルな言葉で、だからこそ、扇田さんがいつも「おもしろい演劇」に貪欲であったことを思わせる。そしてその貪欲さこそが、何も知らずに演劇の海に飛び込んでくる観客たちの、行く手を照らす灯りになってくださっていたことを思わないではいられない。

たくさんのシアターゴアーが、きっと劇場で扇田さんと何度もすれ違い、そのことを思い出しているだろう。私もそうだ。扇田さんは行く手を照らしてくれる灯りであると同時に、観客という同志でもあった。同志だなんておこがましい言葉かもしれないが、でも、そうおもう。

ありがとうございました。ただ、ただ、感謝しかない。