「マクベス」

蔵之介さんがひとり芝居で「マクベス」をやる、という第一報が出た時はツイッターのタイムラインが「パワーマイム…」とざわ…ざわ…したものですが(実際シャトナーさんは保村大和さんと「ひとり芝居マクベス」やってらっしゃいますしね)、どれぐらいチケット動くもんなのかなーとか思ってましたけどがっつり捌けきってましたね、すごいや蔵さん。そういえば、会場でチラシ束と一緒になんかのサプリもらって、そういう商品がついてきたのってさんまさんの舞台ぐらいしか覚えがないヨ!芸能人スゴイ!って思いました。

今回のマクベスアンドリュー・ゴールドバーグがNTSで演出した舞台(キャストはなんとアラン・カミング!)の日本版ということで、NTS版をベースにしつつ日本版オリジナルということで創りあげた作品。舞台はとある精神病院の隔離室、そこに連れてこられた男はその監視された環境のなかでひとり「マクベス」の登場人物達を演じている…

ひとり芝居という、フォーマットからして変則であるからには当然いろんなアイデアが盛り込まれているわけですが、最初に唸ったのは3台の監視カメラを3人の魔女に見立てていること。そう、ひとり芝居=見立ての勝負といってもいいわけで、暗殺者との会話を鏡越しでみせたり、バスタブで最大の効果を引き出しまくったり、映し出される影で場面を作り出したり、そのアイデアを堪能するだけでもこれは見る価値あると思わせます。ラストのマクダフとの戦闘シーンを潜水という形でみせ、そこで「死者」と「勝者」を浮かび上がらせるのとかほんと、うなるほどうまい!

マクベスの作品自体はこれまでいろんな演出家で見ていますが(蔵之介さんも昔、自転車キンクリートでやりましたね)、これは面白い解釈だなー!と思ったのは、ダンカン殺害を唆すマクベス夫人とマクベスのやりとりを、ベッドのうえで、つまりセックスしながらの会話にしているところです。いやでもこれ、個人的にはすごいしっくりきた。特にマクベスの最後の「男の子だけ産むがいい」の台詞への繋がりがきれいにはまっていてなるほどなーと思いましたよ。あと、2時間という上演時間からもわかるように、全部の場面をやっているわけではなく(バンクォーの死やマルカムとマクダフのやりとりなどは場面としては出てこない)、また登場人物たちのわかりやすいアイコンとしてバンクォーなら林檎、ダンカンは車椅子というような小道具が添えられているんですが、車椅子を使うということもあってダンカンが老い先短い老いぼれ風の、あまり明晰でなさそうな役になってるのも面白かった。大抵、堂々たる偉丈夫、という感じの役者さんがダンカンをやることが多いんですけど、こういう形だとなるほど殺すという思考に結びつくのもわかるね…と思ったり。

小道具で気になったのは子どものセーター。最初のシーンで、衣服や指輪まで外させ、DNA採取、爪の間の証拠も採取されていることから、男はなにやら事件があってここに連れてこられたのだとわかりますが、とある証拠品袋だけは手元から離そうとしない。その袋に入っているのは子どものセーターで、この小道具はマクダフの妻子殺害のシーンで使われます。指輪を外させたところから見るに男には家庭があり、どうやら子どもを喪った、または殺したのではないかというような背景がうっすらと感じ取れる、というのもなかなか好きな演出でした。そして、もうこれ何回も言っていますけど、私は最初と最後がループして終わる構図が三度の飯より大好き!いやーもうラスト、あっ、くるぞ、やっぱりキター!って心の中で拍手喝采でしたもの。いつまた会おう、三人で。

しかし、この芝居をやるというのは役者にとってはもちろん魅力的な挑戦でもあるでしょうが、覚悟のいる話だよなあとも思いました。テクニカルな演じ分けがどうこうという部分よりも、そのマクベスの世界を演じないではいられないというひとりの男、というフィルターがあるので、物理的にも精神的にも丸裸になって挑む気概が求められる舞台ですね、これは。個人的にうれしかったのは、マクベス夫人を演じる場面。ここのところお見かけする蔵之介さんは、なんというか地に足の着いた芝居が多かったけど、さすがにマクベス夫人をやるとなると一気にギアが変わるというか、自然派食品のレストランがこってこてのギッタギタの定食屋になるぐらいの佇まいの変化があり、そうだよ、これだよこれ、おまえはもともと押し芸のひとだったではないか!と見ながら顔のニヤケを止められませんでした。あと鏡越しの暗殺者との会話もよかったなー、モニタが「三人の魔女」を映し出す場面でも、相当な顔芸を披露されててよかったです。

なにより、他にふたりの出演者がいるとはいえ、2時間にわたってずっと舞台を引っ張り続けなければならない、しかもそれが観客と地続きの世界ではなく、あの隔離室の、さらにその男の中の「マクベス」の世界に引きこまなければならない、これはほんとに実力のある人でなければできない舞台だろうとおもいます。ひとつのアレンジされたシェイクスピアとしてとても楽しく拝見しました。