大阪の陣400年記念 大阪平成中村座 夜の部

◆俊寛
橋之助さんの俊寛初めて拝見しました。歌舞伎を見始めた当初はこの演目が苦手で避けて通っていたような時期もありましたが、さよなら歌舞伎座公演のときの勘三郎さんの俊寛のあまりのすばらしさに涙滂沱し、それ以来たのしく拝見しております。

たくさんかかる演目だからこそ、同じ演目でも役者によって違う部分が浮き彫りになるところありますね。橋之助さんの俊寛、どことなく現代風というのか、今の感覚に近い芝居だったような気がする。船が出ていってからのおーい、おーいの応酬、一旦は思い切るもののどうしてもまた船を見てしまう、ってあたりの芝居はほんと十人十色というか、役者さんのカラーが出て面白いところですよね。しかし、「未来で」の台詞は、何度も見るたびごとにこみあげてくるものがある…。

成経は国生くん、日程後半の千鳥は鶴松くん。ここまで若い顔ぶれで見たのはさすがにはじめてかなー。千鳥はほんと、見る度に思うけど大きい役ですよね。鶴松くんもまだまだこれからといったところ。座組が若いだけに亀蔵さんの瀬尾が出てきたときに、悪人だけどなぜかほっと安心した自分がおりました(笑)

◆盲目物語
谷崎潤一郎原作。お芝居としては楽しく見られましたが、わあ!誰にも気持ちが引っ張られない!谷崎パイセンの世界、ヒヨコの自分にはまだまだ遠いッス!みたいな気持ちになった。個人的に弥市がお市の方に何度も何度も「療治を」「療治を」と口に出すところで、うわあ!やだ!と思ってしまったのは勘九郎さんにすまないことをした。それだけ芝居が真に迫っていたということかもしれない(何を言っているのか)。あとお市の方にふれる前に懐に入れていた布を揉んで手を温めるところ、あっUNCLEでイリヤもやってた…とか明後日のこと考えてしまってすいません。

弥市か秀吉かっつったらまあギリで秀吉かなって感じなんですけど、あの庭先に潜んでいた秀吉がお市の方に冷たくあしらわれるところ、すごいのが帰れ帰れと正面切って言われてるのにじっ…とお市をみつめて微動だにせず、その視線にお市がびびりまくったところでぱっとほどけたように「本日はこれで」と明るく切り出すところが、もう、お市さま!逃げて!と私でも全力で思うほどの粘着ぶりを一瞬で体現していてすごかったです。しかしあの構図、どことなくリチャード三世とアンみたいですよね。

七之助さんのお茶々は、あの天守閣でのかわいらしいお姫さまぶりより、竹生島詣でのときのほうが好きです。七之助さんの上から目線さいこう。あと朝露軒のキャラクター好きです。っていうか私が亀蔵さんを好きだからか!?そうなのか!?

ラストで、三味線を美しく哀しく奏でる弥市と、そこに浮かび上がる在りし日のお市の方の琴の音が重なり、舞台の背面が開いて、大阪城が浮かび上がる。まさに弥市と秀吉の「難波のことも夢のまた夢」のような景色。

最後の趣向に、何か勘三郎さんを思わせる演出をしてくるんだろうなあというのは、公演の事前のインタビューなどでなんとなく思っていて、実際この最後の場面で、後方に秀吉に扮した勘三郎さんが映しだされるという演出があった。還暦にはもういちどもどってきます、と語っていらした勘三郎さんをもう一度この場に連れてきたい、という座組の思いだったのか、客席はいちだんと大きな拍手につつまれ、中村屋!の大向こうが飛び交っていた。

私はなんとなく、あっこうきたか、と思い、大きくなる拍手にすこし取り残されたような気持ちを味わっていた。なぜかはよくわからない。想像の範疇だったということもあるかもしれないし、オレはいいからこの借景を見てよ!と勘三郎さんなら言うかもなと思ったからかもしれない。どちらにせよ私のきわめて個人的な思い入れにすぎない。

きわめて個人的な思い入れついでに、今回の5年ぶりの大阪平成中村座で、私は何度も5年前のこと、その前後のことを思い出していたし、角を曲がるたびに5年前の自分の背中を見つけるような思いがどこかにあった。大好きな夏祭浪花鑑の、あの幕切れ…。最後の趣向は、たくさんの人の思いを掬ってくださったものではあったと思うが、あの映像は私のなかのひきずるような残像を超えてくるものではなかったということなんだと思います。