笑いの彼岸

すごいタイトルつけてますけどそんな大層なアレじゃないです。先日「さんまのまんま」に西加奈子さんがゲストで出演されて、それがほんっっっとに面白かった(興味深いという意味でも、笑えるという意味でも)ので、なんか書いておきたくなったということと、これ、関東地方は13日(日)の放送なんですよね?なので、見のがさないで!(まやみき)的な意味もあったりなかったりです。なのでこれからご覧になる(つもりの)方はこの先を読まずに録画予約を!

おそらくこの西さんゲスト、というのはさんまさんからの提案であったのだろうと(番組の最後に宣伝なにかありますか、と聞かれて西さんは「ないです!」ときっぱりはっきり仰ってることからも)推察するんですけど、そのさんまさんは新幹線で帰る時に、手持ち無沙汰だなあ〜と本屋によってたまたま見かけた「サラバ!」を、ぱっと開いて見たページに
明石家さんま
の文字があるというその天啓というか、偶然のなせるわざによってその本を買ったとのこと。

さ:パッと開いたところに明石家さんまって書いてあるってすごいなって
  それでこのひと大阪弁の使い回しウマいひとやなと
西:いやー、さんまさんがこんなん言うてる、やーこわい、今日しぬんちゃうかうち
さ:それで、全部読んだんですよ
西:上下ですよ?
さ:上下ちゃう、他の本も
西:えっ!私のほかの?えっ、ほんまにしぬんちゃうか今日、えーーーうれしい
さ:それで聞いてらっしゃいます?あの、「漁港の肉子ちゃん」
  あれ吉本に言うて映画の権利押さえろって

なんたるいれこみよう!

西さんの、さんまさんを形容する表現がことごとく、あっそんな風に考えたことなかったけどわかるわかる!の連打だったのもすごかった。「さんまさんて、なんかお札のひとみたいなんですよ」「人間て感じがしない、大きなお祭り。ねぶたとかだんじりとかを(目の前で)見てるみたいな」「さんまさんて輪廻転生しない方だと思ってて、これがもう、最終。さんまさんが生きてく命のために繋がってきた命の、ここが最後、だからその命たちが最後やぞ〜〜〜!!!ってさんまさんを寝かさないとおもう」

西さんはさんまさんへのお土産に葛飾北斎の本を持って来てらっしゃったんですが、西さん曰く「さんまさんと北斎、絶対合うと思う。北斎ね、めっちゃ頭おかしいんですよ」。

西:この「北斎」って雅号で、5年間ぐらいの名前なんです。
  90歳ぐらいまで生きられてて、最後の雅号が「画狂老人卍」っていうんです。
  さんまさんもそうなりそうだなって、笑狂老人さんま。
  (中略)
  で、90で亡くなる時に「あと5年あったら、俺は本物の画家になれた」って言ったんです
さ:うわー、かっこええな
西:でもさんまさん言いそうじゃないですか、100歳まで生きて
 「あと5年あったらもっとおもろいことできた」って
さ:もっとおもろいこと、ああたぶん、そういって死んでいくと思う
西:ほら!ほらほらほら

北斎のおもしろエピソードを交えつつ、さんまさんに「北斎と会ってほしかったなー」という西さん。

さ:おれはね、ここ(北斎)まで行けない。人として。北斎ってこう(一点に向かう)でしょ。
  おれはね、寄り道したいから。人生ここまで集中できない
西:でもさんまさんがお笑いについて「ここまでできない」なんて
  ほかの人が聞いたらびっくりされるでしょうね
さ:いやいやそんなんですよ、まだまだ。それでお笑いって突きつめればひとつなんでね。
  ここに辿り着いたらだめなんですよ
西:えっ、どういうことですか
さ:笑いっていうのはもうワンパターンなんですね。緊張と緩和だけなんです。
  つきつめればそこだけなんです。枝雀師匠はそこで考えすぎはったんですね。
  だから、そこまでいったらあんまり考えないようにしてる
西:そこブレーキかけてはるってことですよね
さ:ブレーキかけてます
西:生きるためにってことですよね
さ:そうそう、生きるためにです。笑いと自分の人生比較したら、自分が生きる方が大事でしょ
西:それすごい話ですね、つまりそこが見えてらっしゃるってことですよね、
  だから俺いってもうたら死んでまうってことでしょ?
さ:そう、考えすぎたらね。あー無理かーって思う。
 (西さんに)自分で、100パー、100点の本書いたら、どう、いややろ?
西:(一瞬考えて)そこまでの境地、まだ想像もできないです
さ:100点の本書いてしまうねんで?おれはもう、70〜80点ぐらいでうろうろしときたい

いやーこのやりとり。しびれました。何が凄いって、さんまさんからこの話を引き出した西さんがすごい。さんまさんの考えてる泉に見事水路を繋げたという感じ。そして、そこで西さんに「100点の本を書いたらどう思うか」と尋ねるさんまさんのクレバーさ。

これ、ここではお笑い芸人と作家の話ですけど、創作と名のつくものすべてに関わることのような気がしますよね。私はもちろんただの気楽な観客であり、視聴者であり、読者にすぎないので、軽々しく「完璧」ってことばを使ったりしますけど、ほんとうに完璧と思うものができてしまったときって、それは創作者にとっての一種の甘美な死なのかなって思ったりします。その甘美さをおそれつつ、でもそこを目指さないではいられないという業。

辿り着かないまでも、そういうものが見えてしまったひとの心境って、どんなんなんだろ。小説の、演劇の、絵画の、お笑いの、向こう側。笑いの彼岸。

でも、わたしはひとりの気楽な観客として、そういうところに向かわないではいられないひとにお金をはらいたい、って気持ちはやっぱり、あります。しかしそう思うと、観客とはなんという残酷な生き物なのか!なんて、思ったりもしますけども。

番組の後半で、さんまさんの顔はアートにならない、そこがすごい、尊敬するって西さんが仰ってて、さんまさんに混ぜっ返されていたけど(でもさんまさんもたぶん真意は汲み取ってらっしゃるとおもう)、滋味のある「いい顔」になんかならない、「オゲージュツ」にはならない、ってほんとすごいことですよね。30分間の番組がほんとにあっという間で、ここでは引用しきれてないけど爆笑の連続で、でも何度でも見返したくなる深さもあって、まさに珠玉の30分間でした。