「ナショナル・シアター・ライヴ ハムレット」


カンバーバッチさん人気のすごさでかなりの長期公演であるにも関わらずチケットが瞬く間に売り切れたのなんだのという話が聞こえてきておりましたが、ありがとうナショナル・シアター・ライブ!おまえはうれしいやつだよ!

電車遅延に泣いて1幕1場を見のがしてしまったのが痛恨なんですけど、まあ2場から間に合ったので良しとしよう…(通路側の席取っててよかった)。セットの組み方が部屋を対角線でぶった切って見せるような形になってましたね。衣装は基本、現代風。台詞はそのまま。「リア王」もこのパターンだったな。

ハムレット」自体はいちおうそれなりに脚色されたものもそうでないものも拝見してきていますが、結構大きなポイントを変えてたのが驚きました。まずあのもっとも有名な独白が三幕一場じゃなくなってた。えっここで言う!?てびっくりしました。なんでなんだろうなー。あと、ハムレットがフォーティンブラスについて語る台詞ばっさりカット。ここがなー!個人的にはえええっ!と思っちゃった。いやたしかに、最後の「王位継承はフォーティンブラス」って唐突すぎるってそれこそネタにもなったりするほどだけど、とはいえあのポーランドへの侵攻の時にハムレットはフォーティンブラスの姿と己の姿を引き比べているわけで、父王を殺された王子同士、という連帯が通底してあるとおもうのだ。それをすっ飛ばしてしまうと、最後に出てきて「私にも権利がある」とかいうフォーティンブラスがあんまりな人に見えちゃわないかなあ。私としては、悲しみに震えながらも、喜びを抱きしめねばならない…!ってあの台詞が大大大好きな自分としてはかなしいポインツ。

その他にも、さっき書いたノルウェー軍と行き交うシーンでハムレットが拘束されてたりとか、ゴンザーゴ殺しでルシア−ナスの役回りをハムレットがやってしまったり、あれ?と思う改変がところどころにありました。しかし、それがなんというか、有機的に結びついてひとつの世界として成立している感じはちょっと薄い。デンマークノルウェーの緊張関係を示すかのようなボードやテーブルの上の電話、書類などもこう…意図は伝わるんだけど、だったらもっと現代(や近代)とリンクさせるあざとさがあってもよかった気がします。あと一番ああっ…と思ったのが決闘のシーンラストのスローモーション…うーんどうなんだろう、あそこはもうスパッスパッとみんなが傷を負ってスパッスパッと死んでいくのがいいんじゃないかと思うのだが。

一幕のラストで部屋のドアが開け放たれ砂が吹き込んでくる演出はケレン味たっぷりで好きな感じでした。あと2幕は最初からセットの部屋が砂で埋め尽くされていて、あーこっちの方が個人的には好み、蜷川さんだったらずーっとパラパラパラパラ砂が降ってくる演出とかしそうだなと思ったり。オフィーリアご乱心のシーンで、彼女がピアノの上の砂を払ってその前に座り、レアティーズにピアノを弾くようにうながすところはすごくよかった(兄妹最初のシーンで一緒にピアノを弾いているだけに)し、砂が流れ込んできた部屋の中を裸足で扉の向こうに消えていく場面は絵としても相当インパクトあって好きでした。

年齢からするともう少し落ち着いたハムレットになるかな、と思ったけどそこは演出家のプランだったのか、大人になりきれてない、という部分がけっこう見え隠れするハムレット像だったかなあと思います。ベネさんはあの手で口を覆う仕草がなんとなくトレードマークっぽくなりつつあるような。ホレイシオがどことなくナードっぽくて主従色薄かったのもちょっと残念だったかなー。まあこれは個人的な好みもありますね。

しかしこうしてみるとやはり、演出家との相性って大事だな!って思いますし、古典の古典たるゆえんというか、アレンジには相当のビジョンとアイデアがないとオリジナルの強さに太刀打ちできんのだなあ、という思いを新たにした感じです。