「スポットライト 世紀のスクープ」


今年度アカデミー賞作品賞受賞作。レヴェナントに行くかと思いきや、脚本賞と作品賞をかっさらっていきましたねー。題材的にも自分が好きそうだなあと思っていたので、公開を楽しみにしていました。

2002年にボストン・グローブ社がスクープし、その後続報を掲載し続けた教会での神父による性的虐待事件が題材になっており、そのボストン・グローブ社のコラム「スポットライト」を担当する4人の記者を中心にした群像劇です。カトリック系住民の多いボストンにおいて、数十年にわたってもみ消され続けてきた事件を、丁寧に、丹念に、そして執念をもって突き止めていく記者たち。発端は、新しい編集局長の就任で、この編集局長が小さいコラムで取り上げられたゲーガン神父による性的虐待事件をもっと突っ込んで書くべきだ、指示するところから始まります。こういう、反体制的なことを取り上げようとするときに、上が圧力をかけるという構図はありがちですが、まさにトップダウンで全容を解明しろという構図はなかなか新鮮でした。

物語の展開からしても、多くの人がそう言及してるだろうと思いますが、かのウォーターゲート事件を暴いたワシントンポストの記者を描く「大統領の陰謀」を思い出しましたし(特に連なるデスクの間を歩きながらのショットとか)、事件の内容のショッキングさよりも、その事実を洗い出す記者たちの奮闘に焦点を当てて描かれているところが面白かったです。その記者たちが決して聖人君子でないところもよかった。事件の「胸くそ悪さ」とは別に、最後までライバル社にすっぱ抜かれることを気にしたり、過去の自分の過ちと向き合ったり…。その上で文書公開の許可を求める時にマイクの言う台詞、「君が公開を求めている文書はかなり機密性が高い、これを記事にした時の責任は?」「では、記事にしない場合の責任は誰が?」という、その台詞に集約される使命感でこの事実を詳らかにしていく過程がとてもスリリングでした。個人的に一番うおっとなったのは、年鑑という何気ない、まさに誰でも見られる資料から虐待神父をあぶり出していくあの緻密な作業、そしてその結果が、全体の6%という予測とほぼ違わなかったというところ。

教会の体制を糾弾することは、多くの人が信じているものを糾弾することに他ならないわけですが、テレビドラマの「ザ・ホワイトハウス」でもそうでしたがアメリカ社会における「教会」というものの大きさ、宗教と政治の密接さは日本にはないものですよね。刷り上がったばかりの新聞が運び出される様子と、それぞれの記者がその初刷りをどう迎えたかを連続で見せるショットはいずれも素晴らしいですが、女性記者のサーシャが敬虔なクリスチャンの祖母の手を握りながら一緒に記事を読むシーンはことのほか印象的でした。

確かどこかの映画賞でアンサンブル演技賞を受賞していたと思いますが、ほんとうに隅から隅まで行き届いたキャスティングで、「スポットライト」デスクのマイケル・キートンはもちろん、熱血記者のマイクをやったマーク・ラファロもことのほか素晴らしかったです。変人扱いされながらも不屈の意志で被害者側に立ち続けるガラベディアン弁護士を演じたスタンリー・トゥッチの演技も印象深い。

映画評論家の町山さんが、今のジャーナリズムはある事象をどう評するか、という「批評ジャーナリズム」に偏ってしまっているが、こうした「何が真実なのか」を暴き出す調査ジャーナリズムこそもっと重要視されるべきだと語ってらして、映画の中でも編集局長が語るように、「これこそがジャーナリズムだ」という矜持の感じられる1本だったと思います。