「太陽」イキウメ

2年前に蜷川さんの演出で「太陽2068」として上演されていましたね。イキウメの公演は初見!いやー、もちろんこの作品に限らず、演出家が変われば作品の手触りが違ってくるのは当たり前ですが、前川さんと蜷川さんは演出家としてのベクトルがまったく違うのでこ、こうも違うか−!って作品として楽しめました!

老化が極端に遅く、透徹した意識を持ち、人間の「バグ」を取り除いたかのような「ノクス」はしかし太陽を浴びることができない。旧態依然の人間達は骨董品、「キュリオ」と呼ばれ差別される。ある日、ひとりのキュリオが、ひとりのノクスを殺してしまう、ノクスを太陽に晒して…。

キュリオとノクス、ふたつに別れた人種をめぐる、3組の男達が物語には登場します。冒頭の克哉と彼に殺される、おそらくは友人であったノクス。ノクスになった金田とキュリオとして村にとどまった草一。新しく門番になった森繁とノクスのことが知りたい鉄彦。そして、このイキウメの、前川さんの演出する「太陽」においては、やはり金田と草一にもっとも話の力点が置かれていると感じます。草一の娘をノクスにしてしまった、その河を渡らせてしまった金田。こういう、「ポイント・オブ・ノーリターン」を抱える人間、その瞬間の一種残酷さ、そういうものを捉えるのが前川さんはほんとうにうまい。蜷川版を見た時にも、個人的にこの金田と草一のやりとりが私の中では白眉だったので、自分の中ですごく得心がいく感じがありました。

でまた、その金田をやっているのが安田さんだものね。こういう役を託される役者さんだよなあと改めて。

蜷川版のときにいいだけキャッキャウフフだった森繁と鉄彦、このイキウメ版でももちろん彼らに一種の希望が託されているところはあるんですが、それはあくまでも他の2組との対比に力点が置かれているというか、この2人だけを突出した存在のようには描いていない。ラストシーンも、結がノクスとなり、そこで「何を喪ったか」を目の当たりにすることで、鉄彦がある決意をする、それを見つめて彼に微笑む森繁…で暗転。な、なるほどね〜〜〜!!!こういう寸止めですか〜〜〜!!好き!好きです!!ってなりましたもの。

中村まことさんの草一よかったなあ。あと、浜田さんのなんというか、ちょっと独特の無機質な肌感というか、ノクスにぴったりだよね…!うまれつきのノクスって、この物語の設定からするとかなり希少種って感じですが、それも納得の佇まい。

前川さんのこういう、「大いなる虚構」を描く作品って他でなかなか見られないので、毎回違う世界を楽しめるのがいいですよね。次は奇ッ怪其の参、イキウメの新作は来春だそうです!