「八月納涼歌舞伎第三部」

◆「土蜘」
勘九郎さんの襲名でも拝見しました。演目としてはかなり好き!ただ、座席が真っ正面で、かつ私の前に背の高い男性が座られたので、センターのみほぼ見えないという…どセンの罠!松羽目物で正面の視界がやられるとやっぱりちょっと集中力欠いちゃうところがありますね。

今回の納涼、座組としては相当魅力的な顔ぶれなんですが、勘九郎さんと染五郎さんが一緒に出る演目がなかったりと大所帯ならではのジレンマもあり。猿之助さんと勘九郎さんが一緒に出るのもこの土蜘の番卒だけなんですよねえ。勘九郎さんとこの次男の哲之くんが出ていて、そうはすまいと思っていても時々ちらっ、ちらっと父の顔が出るところがなんだか微笑ましかったです(台詞のときに一緒に口が動いちゃったりね!)

橋之助さんはこの公演を最後に芝翫になられるのだなあ…(しみじみ)

◆「廓噺山名屋浦里」
笑福亭鶴瓶さんの新作落語を、高座を聞いた勘九郎さんが「これは歌舞伎になる!」と思い立って走り出した企画とのこと。師匠が高座にかけたのが2015年1月だそうなので、ものすごいスピードで実現したことになります。

いやー、勘九郎さんの「これは歌舞伎になる」という嗅覚に誤りなし。すばらしかったです。また勘九郎七之助の兄弟がこのお話の中の二人ががっつりニンだというのもすばらしい。

江戸留守居役という大役を仰せつかった酒井宗十郎は絵に描いたような四角四面、良く言えば高潔、悪く言えばカタブツ、実直が服を着て歩いているような男。そんな彼だから、他藩留守居役との「おつきあい」、今で言えば接待ですわねえ、経費(藩のお金)でつきあいと称して芸者を上げて酒を飲み遊興に耽ることがどうしても耐えられない。そんな「清く正しく」の宗十郎は他藩の連中からはどうにも面白くない、目の上のコブ。カタブツ男をからかって嘲笑ってやろうと次の寄り合いには江戸の妻、つまり馴染みの遊女を連れてきて皆で紹介しあおうという。もちろんこのカタブツにそんな女はいないと踏んでのことだ。

宗十郎と浦里の出会いの場の鮮やかさ、ひたすら実直に、山名屋の主人に正面から事の次第を明かす宗十郎の生真面目さ、そしてその約束の寄り合いの日に、果たして浦里はやってくるのかというその見せ場の作り方!こういう、言ってみれば「鼻をあかす」展開って物語の王道中の王道と言えるし、そこまでの理不尽な宗十郎へのいびりがひどければひどいほどあの襖パーン!の展開に胸がすくんだけど、このお話の何がいいってここからの展開なんですよ!

後日山名屋を訪れた宗十郎は、些少だけれど、と謝礼のお金を主人に渡そうとする。しかしそこに浦里があらわれ、後生だからそのお金を持って帰ってくれと頼む。彼女は自分の生い立ちを、廓言葉では「実がない」とお国訛りのままに語り出す。父母や故郷への思い、花魁となった今までの苦しさつらさ、そしてここまですべてが「金とともに動く人生であった」ことへの苦悩。心がはれたことはいっぺんもなかった、けれど、ひたすら真心でことを頼む宗十郎の真っ直ぐさに、ただその心意気に、心が打たれ、心が動いた。そのお金を受け取ってしまっては、それがまた金とともに動いたことになってしまう、と浦里は語る。

この場面で、浦里が宗十郎に、「おいらのことを、美しい、気高いと言ってくださった…」と語る場面があるが、もうここで私の涙腺が大決壊してダメでした。吉原一と謳われた浦里だから、だれもが美しいと彼女を讃えただろう、けれど、それだけではなく、気高く、菩薩のようなひとだと宗十郎は言ったのだった。そのことが、浦里にどれだけ響いたか。万人からの美辞麗句よりも、たったひとりからの心ある言葉を支えにしたい、そのいじらしさ、切なさ。

浦里は宗十郎に恋をしたと言うけれど、恋といい、友情といい、どちらにしても、それが心の結びつきという意味で言うのなら、大して違いはないのじゃないかとおもう。少なくとも、浦里も宗十郎も、この世界で心が響き合う相手を見つけたということなのだ。

いやだからね、それでもお金を返そうとする宗十郎に、「こおの、野暮天がぁ〜〜〜!!!」と一発くらわせたい気持ちにもなりましたけど、でもたぶんあれだね、宗十郎にとっては、彼女の心根の美しさもなにもかも全部当たり前、そんなのわかってるよってことで、だからこそその心根に甘えちゃいけないと思ってるんだろうね。とはいえ、やっぱり、そこは、だまって、受け取れよぉおお!!と思いますけれども(笑)

生真面目でいつも額に汗をかいていそうな謹厳実直な勘九郎さん、よいいじめられっぷり、いたぶられっぷりでした。最後の平兵衛とのやりとりもだけど、ふっと笑いを誘う間もすごくいい。そして七之助さん、いんやもうよかった、よかった。美しさは言わずもがな、あの語りの場面で客を惹きつける力、そして客の心を鷲づかみにする力、いやー堪能しました。物語としてのカタルシスもあり、女の粋、を楽しめる芝居でもあり、新作とは思えない完成度ではないでしょうか。今後長きにわたって再演を重ねてもらいたい!と思います!