よく知らない彼女のこと

彼女のことはあまり、いやほとんど、よく知らない。彼女の名前を世間に広めたドラマも見ていなかったし、彼女の出世作と言われる作品も見ていない。舞台では一度拝見したのだが、その作品そのものがわたしにとってはあまりにもぴんとこず、彼女の印象も薄いまま終わってしまっている。

こんなことになって、だからべつに何かを言いたいというような強い気持ちがあるわけではない。彼女のことをよく知らないし、思い入れもない。このまま彼女が表舞台から遠ざかったとしても、それほどの感傷に浸ることもなく、淡々とそれを消化するだろうと思う。

けれどひとつだけ、彼女の名前を聞いて思い出すことがある。去年の夏、自分の好きなバンドを特集してくれたのがきっかけで聴くようになったラジオ番組に、彼女がゲストで来た。地方のAMラジオにやってきたのは、彼女がその局でラジオドラマに出演していたからだ。

音楽が好きで、たくさんいろんなバンドのライヴを観に行っていると言っていた。もともと、音楽に造詣が深いというわけではなくて、そういうお仕事をいただくようになって、ちゃんと聞いてみようって思ったのがきっかけです、と話していたのが印象に残っている。そういうことを、かっこつけず正直にちゃんと話すひとなんだなあと思ったからだ。ラジオドラマの収録で大阪に来ている間でも、時間があれば、観に行けるライヴがないか自分で探して、当日券で行ったりするんですよ、そう言っていた。そして実際、彼女が好きなバンドとして名前をあげたそのどれも、私はまったく知らなかった。番組のコーナーで一押しのニューカマーを挙げたときも、彼女はDJのひとでさえ知らないインディーズバンドのことを、熱を持って語っていた。

正直なところ、あの事務所も宗教法人も、わたしにはよくわからない。どんな正当性があるにせよ(あるかどうかはともかく)、ある一人の才能ある女性から名前を剥ぐようなことをするところを信用する気にならないし、どんな緊急性があったにせよ(あるかどうかはともかく)、あらゆることを投げうたせてあんな直筆の手紙を公衆にさらすようなところを信用する気にならない。もちろん、彼女自身のことだってよく知らないのだから、彼女自身のことも信用できないというべきかもしれない。

でもあのラジオ番組のゲストできた短い時間のなかで、彼女が語った音楽への愛情と情熱、そして、そうやって音楽でも芝居でもなんでも、楽しみを自分で探しにいくことができるひとりの女性と、あの直筆の文面の9行目からの唐突さが、どうしても線で繋がらない。

ほんの少し前、羽生理恵さんが自身のツイッターで、ご自身の経験からメディアやネットでの紋切り型の報道の怖さを語っておられ、それを読んだひとはおそらくほとんど皆、そうだよなあ、メディアってこわいよなあと思ったはずなのに、こうしてまた先行する報道になにかをわかったような気になっている。わかっているのだろうか?ほんとうに?

結局のところ、私たちにはなにもわからないし、できるだけそのことを忘れないでいたい。わかったような気になりたくない。大事なのは、ほんとうのことなんて、だれにもわからない、ということをわかっていることなんじゃないだろうか。

何がほんとうのことかわからないうちは、私はあの夏に聞いたラジオの向こうの声の彼女だけを信じていたいし、それは私の自由なはずだ。私の知らないバンドの知らない曲を大切そうに語っていた彼女のことを。彼女に今、そういう音楽が寄り添っていればいいのにと、願わずにはいられない。