終わりなき闘い

今朝、ツイッターでこのオリラジあっちゃんのブログに行き当たり、読んでいたら、歩いて7分の会社に遅刻しそうになった。実話である。
読みながら、ほとほと、あっちゃんの賢さに唸らされた。

オリラジ中田、転売撲滅の画期的システム発表!

ブログの中身は読んで頂くとして、あっちゃんが提示している解決策「キャパに柔軟性を持たせることで需要と供給のバランスを取る」というのは実のところあまり現実的ではないと思う。果たしてそれだけのキャパのハコが都合よく直前に押えられるのかという点、場所が変動することでチケットを買い控える人間がいることが予測される点、そしてハコ側の都合を考えると(たまたま空いているところにスケジュールが入る方は歓迎だろうが、仮押さえされる方は諸手を挙げて歓迎とは言い難いだろう)、なにより、転売屋の一番の温床である大箱のライヴ、芝居などはそもそもこの手段を取ることはできないだろうと思うからだ(その点についてはあっちゃんも言及している)。

しかし、とはいえ、このあっちゃんが示した転売屋が蔓延る構図についての解説には、よくぞ言ってくれたと思うところがひとつある。
あっちゃんも、前回のブログに対し「誰も損してない」という意見があったと書いているとおり、必ず出る反論の一つがこの「誰も損してない」という主張だ。主催者には定価だけのお金はちゃんと入っている。爆発的な人気を誇っていれば転売屋が売り損ねることもなく、出演者にもあっちゃんのいうところの「損」(ファンの獲得機会の減少や、適正キャパシティの把握など)はほとんど目に見えないと言っていい。
でも、損はしている。しているのだ。
定価以上の金額を払ってチケットを買った人はもちろん損しているといえるかもしれない。でもあっちゃんが一番に損をしている人にあげているのは、
「ルールを遵守し転売チケットを買わず、結局ライブに行けない人」なのだ。

芝居でも、ライヴでも、こうした転売チケットの話が取り沙汰される度、結局のところ転売屋を撲滅させるための手段を「観客が買わないこと」というように、こちらに丸投げしてくるのが私には不思議でしょうがなかった。あるアーティストが「僕らにはどうしようもできない」と言っていたこともある。どうしようもないわけあるかい。あっちゃんの言葉を借りれば、それは「大損」にほかならず、「申し訳ないけど、大損してください」と私たちは言われ続けているのだ。

そして、そんな大損はもういやだなあと思ったファンが、自助努力をするようになる。購入機会を増やそうとFCに複数口入る、友人と協力体制を取る、チケットがよぶんに手に入る、それは誰かに売りたい(ここまでは悪意がない、とあっちゃんは書いている)、
でも、売れるなら、できるだけ高く売りたい。
と思うようになる。
もはや完全に悪循環でしかない。

他方、まったくのガチガチに、定価でのやりとりだろうとなんだろうと、友人はもとより親類縁者いかなる関係であっても譲渡まかりならん、事前の氏名登録・本人確認徹底させ、それ以外の入場は一切認めない、というのも難しい。誰しも体調を崩したり、仕事の都合、家庭の事情、そういった事態になることは容易に想定され、そこでもはや一切の融通がきかない、となるのは、これも結局のところ「大損」に我々を追い込んでいるだけになってしまう。だからこその、公式の譲渡システムが稼働するという話なのだろうし、実際のところTHE YELLOW MONKEYが昨年のツアーで行った「FC入会者だけのチケットトレード」はそれのさきがけのようなものだったのだろう。賛否両論あるかもしれないが、ひとつの解決策ではある。

すべてが定価かそれ以下でのやりとりなら、つまるところ金銭的な「儲け」が出なければ、業者はあっという間に足を洗うだろう。「絶対に定価以上で売らせない」というためのシステムがどうやったらできるのか。当日になるまで席番がわからないシステムは、高額取引を止めるためには非常に有効だろうとは思われる。しかしたとえばドームクラスの大箱で、果たしてそれができるのか。

あっちゃんのブログに書かれた意見について、その陥穽を指摘する人もいるだろう。全部が正しいわけではないのもその通りだろう。でも、少なくとも、大損しているのが誰なのかをあっちゃんはわかっている。そして大損させないためにどうしたらいいかを考えている。大損し続けなさい、と言われ続けることに私もさすがに飽き飽きした。こうして主催する側が動き考えることで事態は絶対に動くはずだ。それが少しずつでも、こうして考えてくれる人がいるうちは、何かの扉が開くはずだ。中田敦彦さんの賢さが、それを動かす一端になるかもしれない。そう思いたい。