「パトリオット・デイ」


2013年にあったボストンマラソンでの爆破事件を扱っています。いわゆるBASED ON TRUE STORYってやつ。予告編で見た、巨大倉庫に現場を再現して足取りをたどっていくところが面白そうで見たんですが、いやこれ、悪い意味で予想を裏切られました。悪い意味でというか、いやこういうものは求めてなかったというか。以下最後の展開までがっつり書いていますので、これからご覧になる予定の方はお気をつけて。

当該事件に関係する人物の当日の細かいエピソードを繋いでいって、いよいよそれが爆破事件につながり、そしてその犯人をとらえるための捜査機関の奮闘を描く、という意味ではまさしくそうですし、予告編で見て「面白そう」と思ったところはやっぱり面白かったし、何しろ実話を基にしているので、主人公補正というか、FBI悪者!現場の警官いいやつ!みたいな「あえてアホをつくってドラマにする」みたいなところももちろん皆無。全体に緊迫感のある構成で、だから途中まではわりと見たいと思っていたものが見られた感じでした。

じゃあ何が予想外だったかっていうと、犯人が逮捕されて、何しろ実話なので、テロップで「その後」みたいな後日談が差し挟まれる、ところまではまあよくあるし、そこに実際の写真がワンショット入ったりするのも別に珍しくない。しかしこの映画は、ここで一気に「ドキュメンタリ」になるんです。ノンフィクションではなく、ドキュメンタリ。つまり実際に犯人を逮捕した警官や、市長や、捜査官のコメントが流れ、爆破事件によって傷を負った人々の談話が流れ、悲劇を乗り越えた団結が語られる。みてくださいこのうつくしいしゅんかんを…!うわああ。これが、最初からドキュメンタリだったら、それはそういう心構えで見るし、感動もしたかもしれない(いや、しただろう)。しかし私はここに映画を見に来ているんですよ。実話を基にしていても、実話を見に来たわけではないんです。極端な言い方をすれば、ほんとうの話を基にしたうその話を見に来ているわけです。

最近は映画におけるポリティカル・コレクトネスがいろいろ話題になったりしますが、私個人はそういった部分での基準がおそらく、非常にゆるい人間だと思います。私は何しろ物語欲が強いので、ほんとうに、とても強いので、作っている人の思想や、出演している人個人にほとんど興味を抱かないかわりに、物語の面白さに寄与しているか、どうかでほぼすべてをジャッジしているようなところがあります。いいことかわるいことかはともかく、それが私の嗜好であるといえます。しかしそれは、あくまでも「物語」だからです。ノンフィクションであっても、物語は「ものがたり」です。そして、当たり前のことですが、現実と物語は違います。なんというか、クライマックスでいきなりチャンネルを変えられたような居心地の悪さだけが残りました。残念。